5保育園

私のこどもは3年程保育園に通っていた。私立の認可保育園。
その保育園がほんとうに、ありがたい存在だった。

こどもが生まれてからも、私がなんとかそれまでの仕事を続けられたのは7割くらいこの保育園のおかげだと思っている。後の3割はこども自身の性格、夫の協力、私と私の職場のおかげかな。

核家族、両親・義両親が遠方、ママ友なし、だった私の子育ては、保育園の先生なしでは成り立たなかったと思う。
どの先生も、いつもこどものいい所や、出来た事にフォーカスして、私やこどもの肯定感を高めてくれたし、こどもの年齢、発達に合わせた遊びや生活を提供してくれた。

こどもだけじゃなく、親にも寄り添ってくれる園だったと思う。

基本スペックとして、PTAなし、アプリやzoomを取り入れて簡略化できることはする、持ち物に過度な制約をつけない(基本、家にある物でOK)、参観日の日程がかなり融通効くなどなど。働く親に極力負担をさせないように配慮してくれていたと思う。

こどもへの保育も充実していたと感じる。(親目線)
公園での外遊び、工作など以外に、外部講師を呼んで英語、ひらがな、数字などお勉強の時間があったりもした。
仕事のため、家庭で個別に習い事をさせる時間を確保するのが難しかったのですごくありがたかった。

あと、個人的には男性の保育士さんがいたのも良かったと思っている。
男性ならではのダイナミックな動きでこどもと遊んでくれたり、大人の男性がいるだけで防犯、セキュリティー面で抑止力なるのではと思っていたから。保育園っていう、一つの社会の中に成人男性が誰もいないっていうのもなんか歪な気もするし。(女の子への対応を心配される保護者もいらっしゃると思いますし、それは当然だと思う。一方で良い面もあると個人的には思っています。)

避難訓練もめっちゃやっていた。毎月実施していて、シチュエーションもいろいろだった模様。(こどもからの伝聞。今日は給食室から火が出たとか。朝の会のとき地震がきた。とか)
ある時、お迎えの時に地震発生!という訓練に遭遇した。
私はこどもと二人で下駄箱のそばで靴を履いている時だった。非常ベルの音と地震発生のアナウンスと共に、先生は遊んでいたこども達に覆いかぶさって保護していた。どうしていいか分からずにぼーっとしていた、私たち親子にも近くにあったカバンで身を守る様に指示してくれた。揺れがおさまったというアナウンスの後、先生達たちは速やかにこどもの人数確認や被害状況が園長先生に報告していた。
迅速に適切な行動を取った先生は、プロやなと思ったし、訓練に真摯に取り組んでいる姿も、プロやなと思った。(私は職場での避難訓練に真剣に取り組んだ記憶がない。すいません。反省。一応、やってる感じでした。)
東日本大震災がトラウマな私は、この訓練の様子をすごく頼もしく感じて、こどもを預けることの安心要素が一つ増えた。

夫が単身赴任となった時も、当時の担任の先生が「困ったことがあったら言って下さい。出来るだけ力になれるようにします。」みたいな事をさらっと言ってくれた。実際に何かをお願いしたりという事は無かったけど、さりげない心遣いがすごく心強く嬉しかった。

でも先生の退職や休職も、まぁまぁあった。
激務なんかなぁと思ったり。実際、先生たちはいつも忙しそうではあった。
実態は私には分からないけど、親やこどもたちへの寄り添いやサービスと引き替えに先生達に過度な負荷が掛かっていたのだとしたら悲しい。
先生のためにも、預けられるこどものためにも、保護者のためにも、保育士さんの働く環境の見直しや、賃金水準の向上が早く実行されることを強く望む。子育てには、お金も人出も想像以上にかかる。

引っ越しを機に、この保育園は退園することになったけど、最後のお迎えの時は、保育園への感謝と、保育園と一緒に頑張れたこと、この保育園を辞めてしまう寂しさが混ざった気持ちで、泣きそうになってしまった。(こどもはケロッとしてた、
そして帰宅後に私は号泣した。)

そのため、全ての先生たちにキチンとお礼を伝えられなかった事を今でも少し後悔している。
いい年して泣いてる場合か。

先生方、お世話になりました!
おかげでうちのこどもは、新しい園にも元気に通ってます。私もその節は、助けて頂きました。
あの時、先生達に助けて貰ったことを無駄にしないよう、私もこどもも新しい場所で、毎日を積み重ねたいです。

本当にありがとうございました。






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