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第4回『組み体操で気づいた世の中の仕組み』

こんにちは。大阪男塾の塾長です。

今日は、高校時代に組み体操で得られた気づきを書いていくっす。

第3回で、宇宙から地球にいる人を見下ろす「宇宙瞰(うちゅうかん)」という視座を得たと書きました。

僕は「物事を離れたところから観察し、構造を理解する」思えばこれを、高校時代からずっと続けてきたんすよね。

高校中退の僕ですが、高1の頃は授業や体育の授業も、まだ真面目に出てました。

ちなみに僕が通っていた高校は、長崎県の公立で偏差値がトップの学校。

全国の高校が1万校くらいあるんすけど、その高校は偏差値ランキングでトップ100にランクインしてるんで、上位1%に入る地元では名門と呼ばれるとこっすね。

確か偏差値が68~72くらいの間だったと記憶してるっすけど、まあ勉強ができる奴らが集まるんすよ。

一万円札になった福澤諭吉の『学問のすゝめ』も、この頃、授業で習ったはず。

諭吉が日本の教育に、めっちゃ大きい影響を与えた人ってことは、授業で知ったっすね。

諭吉といえば「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が有名です。

ちょうど授業で諭吉の話が出たくらいのタイミングだった思うんすけど、体育の授業のときに、こんなことがあったんす。

ほら、組み体操のピラミッドって、あるじゃないっすか。

デカイやつが土台を作って、軽くて小さいやつが上に乗っていって、最軽量のやつが頂上でドヤりながらポーズを決める例のやつっす。

僕はもう高校時代から、デカかったので、一番下のピラミッドの土台をやらされるんすよ。

偏差値が高い高校だったので、同級生たちは「俺たちは賢い」「俺たちは選ばれし者」っていうエリート意識をもっているんすよね。

でも本当の賢さって、勉強できることとまるで違うんで、そんな勘違いした連中の土台になっていること自体、ムカついてしかたなかったっす。

そいつらが僕の上で動くと、土台をやってる僕の手と膝にジャリがめり込んで痛いんすよ。

「わざと崩れて上の奴、全員、地面に叩き落としたろかい!」と、一瞬考えました。

でもそれをやったら、結局自分が下敷きになるだけ。カウンターくらって、ぺしゃんこになるんで、やらなかったっすけどね。

まずそもそもですけど「なんのためにこれをしてるか?」ってことっすよね。

「組み体操なんぞ、やる意味ないやろ?」くらいに思ってました。

なにごとも「これを達成する」というゴール設定があってこその逆算。

そこを突き詰めないまま、なんとなくやっているのが一番よくないんす。

みんなそれぞれ与えられた役割を必死でこなしているんすが、はっきり言って思考停止!

「先生に言われたから、やってます」って、受け身で何も考えていない連中ばっかり。

高校生だからしかたないっちゃしかたないんすけど、逆に言えばこの頃に気づいておいた方がいいこともいっぱいあるんすよね。

先生が「おいそこ、バランスを崩すな。ぴしっとしろ!」と怒鳴ると、シャキッとしていたやつもいました。

でもそれを見ながら僕は思ったんすよ。「こいつら、ただ怒られて、感情的に反応しているだけやん」と。

怒られて謝るのは、本質を理解したからじゃなくて、「もう怒られたくない…」という、怒られるのを回避したいだけの行動っすよ。

そして怒る側の先生も含めて「なぜその行動をとっているか?」が、まるでわかってないんす。

こうやって組み体操などの集団競技を通じて「理不尽を受け入れる従順な人間」を量産することで、得する人達がいるんすけど、誰だかわかるっすか?

国です。

国民が思考停止をした人ばかりだったら、デモも起こらないっすからね。

「そうか! 諭吉の企みはこれか!」と、組み体操の一番下の土台になってる最中に気づいたんすよ。

諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」って書いてますけど、「今、俺は組み体操で、人の下になっとんねん。踏みつけられとんねん!」と!!

「人間土台」にさせられてることも含めて、納得いかなかったっすね!

僕は普通に就職して人生は送るつもりは元々考えてなかったです。

出る杭は打たれるじゃないっすけど、「学校で平均化されて個性が死ぬ」っていうことを、本能的に拒絶していたんすね。

組み体操も北朝鮮のマスゲームも全く同じ。

何も考えず命令通り動く、従順な人間を作り出すのに組み体操って、もってこいなんすよ。

教育施設である学校のからくりや狙いが、色々透けて見えるようになってきました。

やっぱり大切なのは本質を理解した上で「何のためにそれをするのか?」なんです。

今回は、僕の高校時代を振り返りました!

最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!

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