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日本の宇宙開発の歴史 ー自国開発までの長い道のりと宇宙飛行士の活躍ー

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『今日から使える宇宙豆知識 by JAXAベンチャー天地人』では、宇宙に関連するさまざまな最新情報を、天地人のエンジニア、研究者、ビジネスリーダーが一歩踏み込んで解説します。

本記事では、日本の宇宙開発の歴史を取り上げます。過去2回のnoteで、米国とロシア(ソ連)の宇宙開発について紹介してきました。誇れる技術力や国際的な優位性があった米国、ロシアとは異なり、自国の開発には深い歴史や苦労がありました。今ではよく聞くJAXAはどのように誕生したのか、そして日本のロケット開発にはどのような過去があったのか、詳しく解説していきます。

なお、米国・ロシアの宇宙開発の歴史に関しては以下の記事で解説しています。ぜひご覧ください。


宇宙航空研究開発機構(JAXA)の誕生

JAXAは、宇宙に関する基礎研究から開発・利用まで一貫して行い、日本政府全体の宇宙開発利用を技術で支える中核的実施機関として位置付けられています。日本の宇宙開発の要となるJAXAの役割としては、主に以下の通りです。

  • 地上と宇宙を結ぶ輸送システムの研究開発と運用

  • 人工衛星利用

  • 国際宇宙ステーションの実験

  • 国際協力

  • 宇宙科学の研究

  • 航空科学技術

  • 新規宇宙ビジネスの拡大とイノベーションの創出

  • 広報活動

  • 教育支援活動

そんなJAXAの予算は、約1,548億円(R6年度)です。これは、宇宙科学、宇宙探査、宇宙利用、宇宙輸送、宇宙航空技術などの各事業に配分されています。グラフを見ると過去9年は本予算はほぼ変わっていませんね。


出典:JAXA

また、JAXAで働く人に注目してみると、2024年4月時点で、職員数は1,635名であり、職種別の内訳は、技術系71%、事務系が22%、教育職が7%となります。また、男女比は8対2です。

JAXAは、2003年に宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合して発足した、日本の宇宙航空研究開発機関です。

ちなみにみなさんはJAXAがいつ誕生したかご存じですか?JAXAは、2003年に誕生しており、意外と最近という事実に驚きです。
20世紀後半、宇宙開発は急速な進歩を遂げ、人工衛星の打ち上げ、月面着陸、宇宙ステーションの建設など、目覚ましい成果が挙げられました。しかし、その一方で、宇宙開発の複雑化や技術的な課題も浮き彫りになっています。こうした状況に対応するため、日本政府は、宇宙開発の効率化と強化を目的とした組織改革を推進しました。

まず、1963年に科学技術庁航空宇宙技術研究所(NAL)、1964年に科学技術庁宇宙開発推進本部、そして宇宙科学研究所(ISAS)の前身である宇宙航空研究所が設置されました。そして1969年10月に宇宙開発推進本部は特殊法人宇宙開発事業団(NASADA)に改組され、2003年10月にはISAS、NAL、NASADAの3機関が統合されて現在のJAXAとなったのです。
3つの機関のそれぞれの役割と特徴は以下の通りです。

  • 宇宙科学研究所(ISAS): 宇宙科学に関する基礎研究を中心に、人工衛星や探査機の開発にも携わってきました。

  • 航空宇宙技術研究所(NAL): 航空機やロケットに関する技術開発を中心に、宇宙開発にも貢献してきました。

  • 宇宙開発事業団(NASDA): 人工衛星やロケットの打ち上げ、宇宙飛行士の育成など、宇宙開発事業の中核を担ってきました。

日本の宇宙開発は大学発!?

日本の宇宙開発は、戦後の混乱期に、東京大学生産技術研究所の糸川英夫先生を中心とした小さな研究グループから始まりました。これは、宇宙理学と宇宙工学が一体となった科学衛星の研究・開発を行う、宇宙科学研究所(ISAS)のはじまりともいえるでしょう。
1955年4月12日、東京大学国分寺キャンパスにて、日本初の観測ロケットであるペンシルロケットが水平発射されました。糸川先生は音響工学を専門とする学者でしたが、ロケット工学の可能性を見出し、研究に乗り出したのです。ペンシルロケットは長さ23cm、直径1.8cmという小さなロケットでしたが、この成功は日本の宇宙開発に大きな影響を与えました。その後、糸川先生はペンシルロケットよりも大型で高性能なロケットの開発を進め、1963年には日本初の準軌道到達ロケットであるカッパ3号機を打ち上げました。

出典: Wikipedia

糸川先生の功績により、日本の宇宙開発に対する関心が高まり、1964年に東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所)が設立されました。宇宙理学と宇宙工学が一体となった科学衛星の研究・開発を行い、固体燃料を用いたL-4Sロケットによって日本初の人工衛星「おおすみ」を軌道に送りました。
そして、1970年代に入るとより精度の高いロケットの開発に注目が集まり、宇宙研では、液体ロケットよりも軽量で安全性の高い固体ロケットの開発に乗り出しました。1971年には、日本初の固体ロケットであるミューロケット1号機が打ち上げられ、その後、ミューロケット3S、ラムダロケットなど、様々な固体ロケットが開発されました。これらのロケットは、人工衛星の打ち上げや宇宙科学研究に広く使用され、日本の宇宙開発を支えました。特に、ラムダロケット3型は、1986年に打ち上げられた日本初の月探査機である「むすび」を打ち上げ、日本の宇宙科学研究に大きな影響を与えました。
その後2003年、宇宙研は小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げました。はやぶさは小惑星イトカワに着陸し、表面のサンプルを採取して地球に帰還することに成功しました。これは、世界初の小惑星サンプルリターンミッションであり、日本の宇宙開発技術の高さに世界が驚愕した時期でもあります。


純国産ロケットH-IIの開発

1969年10月1日、宇宙の開発および利用の促進への寄与を目指し、特殊法人宇宙開発事業団(NASDA)が設立されました。この設立により、内閣総理大臣が定める宇宙開発基本計画に基づき、人工衛星(宇宙実験、国際宇宙ステーションを含む)の開発と打ち上げ、追跡などを本格的に行い始めました。当時、日本は純国産のロケットで日本の人工衛星を打ち上げることを主要目標として掲げていました。しかし米国は日本のロケット開発への警戒を強めており、宇宙協力という関係性を築き、日本のロケット開発状況を管理しようとしていました。当時首相の佐藤栄作は、可能な限りの自主開発を望んでいましたが、過去の自主開発の失敗の経験と、米国からの技術援助によって得られる利益、例えば、国際的地位の向上、経済摩擦の解消などの考慮から、1969年7月に「宇宙開発に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協力に関する交換公文」を締結し、米国からの宇宙技術導入が決まりました。

そして、米国のソア・デルタロケット技術の導入により、1970年10月、3段式の大型液体N-1ロケットの開発が始まりました。N-1ロケットは、技術試験、通信、放送、気象、地球観測等多くの人工衛星の打ち上げ、1975年から1982年の間に7機打ち上げられました。

その後日本は、米国に対する宇宙開発の遅れの原因として、宇宙をめぐる国際情勢の理解と自らの宇宙活動に関する長期的・包括的ビジョンの必要性を感じ、1978年3月、「宇宙開発政策大綱」を作り上げました。これにより、自国の宇宙開発と国際協力の両立を実現する2つの計画、純国産H-Ⅱロケットの開発と、米国の宇宙ステーション計画への参加の両方を、長期目標として掲げました。そして、日本はN-Ⅱ、H-Ⅰロケットを開発し、1970年代の日本宇宙技術の発展を促進しました。

出典:JAXA

1984年2月、米国製品部品が原因の連続した通信衛星の打ち上げ失敗や、日本電信電話(現NTT)からの静止衛星打ち上げの要望から、NASDAでH-Ⅱロケットの概念設計が開始されました。この純国産への着手は、それまでの日米二国間の国際協力から自主路線への大きな転換点となりました。


有人宇宙飛行の歴史

宇宙開発の進展とともに、宇宙飛行士の活躍には長い歴史があります。日本人宇宙飛行士も例外ではなく、1980年代から現在まで、計12人もの宇宙飛行士が参加し、人類の宇宙探査に大きく貢献してきました。この章では、日本人宇宙飛行士とどのような任務をこなしてきたのかという点について解説します。

日本人初の宇宙飛行士:秋山豊寛氏(あきやまとよひろ)


出典:Wikipedia

1990年12月2日、ジャーナリストの秋山豊寛氏は、日本初の宇宙飛行士として、ソ連の宇宙飛行士2人と共にソユーズ衛星TM-11に乗って宇宙へ飛び立ちました。約1週間の滞在期間中、宇宙ステーション・ミールとドッキングの後、地球環境や宇宙空間の微小重力環境に関する実験を行い、宇宙からの地球の美しさや宇宙開発の重要性について広く伝えました。その様子は特別番組「日本人初!宇宙へ」で放映されています。

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JAXAの宇宙飛行士

出典:Wikipedia

1992年9月、毛利衛氏はスペースシャトル「エンデバー号」に乗って宇宙へ飛び立ちました。約1週間の滞在期間中、日本実験棟船内実験室「きぼう」のモジュール開発に関する実験や、宇宙空間での生物実験などを行いました。

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