見出し画像

都市生活者の系譜 ―佐野元春私論 あとがき

この「都市生活者の系譜 ―佐野元春私論」は、僕が仕事でドイツに住んでいたころに書いた。帰国したのが2002年4月だったが、その直前まで書いていて、第27回『都市生活者の系譜』は本来「今、引越のために佐野の古いアルバムを段ボールに詰めながら、僕はそんなことを考えている」と結ばれていた。

今回noteにアップするにあたって、一応現在の視点から手を入れようと思い、第23回の「地図のない旅」以下を書き直したうえ、第24回から第26回まで3回分を新たに書き足した。これでアルバム「THE SUN」までの佐野の足跡を追いながら、それに対する「僕自身の物語」を書きこんだ訳である。

本稿では佐野元春の活動を、1980年のデビュー・アルバム「Back To The Street」から1983年にコンピレーション・アルバム「No Damege」を発表してニューヨークに旅立つまでを第一期、1984年にニューヨークから帰国しアルバム「VISITORS」を発表してから1993年にアルバム「The Circle」を発表し1994年の横浜スタジアムでのライブを最後にザ・ハートランドを解散するまでを第二期、そして1996年にアルバム「Fruits」以降を第三期と定義しているが、もちろんこれを書いてからも佐野の活動は継続している訳だから、その後の展開もある。

今回、2002年からアルバム「THE SUN」までを書き足したのは、実際のところこのアルバムが第三期の最後となる作品であり、その後はコヨーテ・バンドとの活動に軸足を置いた第四期に入るというのが僕の見立てであり、区切りとしてその手前までをこの「都市生活者の系譜」で書いておきたかったからである。

僕自身の歩みと重ね合わせてみれば、ラジオの深夜放送で佐野元春を知り、友達から借りたレコードをカセットに落として、自室でやみくもにシャウトしていたのが佐野の第一期。
僕が大学に入学するとともに佐野の第二期が始まり、その後5年間の大学生活を経て社会人になり1995年にドイツに赴任するまで、この期間は新米サラリーマンとしてジタバタしていた。
第三期はほぼ僕の在独時代とほぼ重なり、2002年に帰国して何とかアルバム「THE SUN」をリアルタイムで聴くことができた。
そして今、サラリーマンとしてベテランの域に達しつつ、佐野の第四期を目撃している。
それぞれの時期の思いを僕は佐野元春の音楽に映してきた。

書き足した第24回から第26回をはさんで繰り下げた第27回『都市生活者の系譜』と第28回『まごころがつかめるその時まで』は、20年前の僕なりの総括であり、今から見れば当時の自分の状況にがっつりと連動していたので、そのまま出すには抵抗もないではなかったが、時間軸の前後関係を整える最小限の修正だけを加えて掲載することにした。
2005年にコヨーテ・バンド(当時はまだその名前はなかった)と初めて制作したEP「星の下 路の上」以降について書くかどうかはまだ決めていないが、3回分を加筆した手ごたえからは、書いてみたいと思い始めているし、頭と手が動くうちに書いておくべきだとも思っている。新型コロナウィルスのせいで休日の時間がぽっかり空いたこの状況はチャンスかもしれない。

結構な数のアクセスをもらっているが、続きを書くかどうかの参考にもしたいので、是非読者の感想を聞きたい。
それから、あと12回分くらい、出版する時に章と章の間に挿入するために書いたコラムもあるんだよね。さらには巻末に付けるために佐野のアルバムをコンピレーションも含めてすべて1枚あたり800字で、10段階の評点付きでレビューしたディスコグラフィもあるんだよね。緊急事態宣言が長引いたらこれも出すかな~。その間に本文の続き書くかな~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?