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折り返し地点でこれまでを振り返る

 地固め療法③が始まって約1週間。
 自身の治療スケジュールを眺めているとちょうど折り返しくらい。
 おそらく僕の人生で最も急展開を見せたここ半年を振り返りつつ、これからの半年を考えていこうかと思います。

▶病気の発覚→入院

 妻の気遣いで受診した外科、それが今年の5月、今になれば、あの時妻の気遣いに素直に従っていて本当によかったなと思います。
 おそらく自分ひとりで判断してたらもっと先延ばしになって、下手をするともう手遅れ…なんてことにもなっていたかもしれません。
 改めて妻に感謝です。そして今も僕が入院中の間は、両親を頼りにしながら一生懸命娘と生活をしてくれています。そう考えると1日でも早く病気を治したいと改めて強く思います。

 外科→血液内科と受診先が変わる中で、痛みで眠れない夜があったり、電気メスでしびれた右腕で先生を叩きながら処置してもらった『リンパ節生検』『PET-CT』『骨髄穿刺』などを経由し、『急性リンパ性白血病』の診断が出たのが6月22日、約半年前。

 このころには白血病という具体的な病名は想定できなかったものの、自分の体に何かとてもよくないことが起こっているんだなというのは実感できていました。
 初めて白血病であると聞かされてた時はさすがに頭真っ白で先生の言葉も何も頭に入ってこず、日々、泣いてばかりでしたが笑

 「とはいえ、いつまでもへこたれたままではいけない」と思い、1番最初に投稿したのがこちらの記事。
 ここから日々の闘病生活を記録しながら自身の体験談を1人でも多くの人に知ってもらいたいなという取り組みを始めました。
 その後はFacebookやTwitterなどのほかSNSにも投稿をはじめ、自分に似た状況の方や、亡くなってしまった方、病気に打ち勝ち退院されていった方などの話を目にする機会が増えてきました。以前は不治の病ともいわれていたそうですが、今は「治すことのできる病気」となっている白血病、必ず克服し、家族でまた穏やかに暮らしたいという気持ちは入院当初から全く変わっておりません。

▶無菌室→寛解導入療法→『7.10副作用』

 7月に入り、1週間のステロイド療法を終え、初めての無菌室、抗がん剤治療としては最初のステップになる『寛解導入療法』のスタートです。
 当時は無菌室に対して、広くない室内にベッドよりもでかそうなエアコンファン、開かない窓や外の音が聞こえない防音設備に恐ろしさすら感じていました。
 今は筋トレやゲームや読書など、自分に見合った生活リズムを作ることができるようになってきたので、以前ほど苦しく感じることはなくなりましたが当時はそれがすごく自分にとっての負担だったなと感じています。

 同時に感じていたのは、世間と自分の時間のずれやほかの人と異なる人生のステージに立ったという実感。
 テレビやSNSで座っていながらいろいろな情報が手に入る昨今、ただじっと治療を受けるしかない自分と活動的に動く周りの人達との間に圧倒的な時間のずれ(濃度の差?)っというようなものを感じていました。
 今思うとこういった記事を書いていたのも、きっとそんな自分を肯定するための努力のひとつだったのかなと思います。

 もちろんここに書いていることは僕自身の気持ちですし、病気を克服することができれば、きっとこれまでと違った生き方にも気が付けるんじゃないかとも思っています。

 そして寛解導入療法時、一番つらかったのがこれ。
 『7.10副作用』と自分の中で勝手に読んでますが、人生で最も死ぬかと思った数日間でした…
 結果として抗がん剤の副作用ではなく、病気の発覚や生活リズムの激変、無菌室など慣れない空間での生活や闘病、それらと抗がん剤のダメージが重なった偶発的なもの、ではないかというのが先生との共通見解です。
 今現在行っている地固め療法③はこの寛解導入療法と同様の投薬スケジュールで行われているので、同様の症状が現れないか、正直それが一番怖いです…

▶ハゲの始まり→寛解導入療法の終わり

 抗がん剤治療といえば『禿げる』がセットで来ることはみなさんご存じだと思います。
 当然僕も禿げました。ただし、これについては我が家はハゲのサラブレットでもあるので対してダメージにはなりませんでした。
 むしろきれいに刈り上げてもらった時のさっぱり感は正直病みつきになりそうな感覚でした笑
 そんなこんなでここらへんから僕が写真に写ってるときは大概禿げてるか帽子かぶってる状態になりました。
 ちなみに今回の治療に際しても髪の毛はきれいに剃りました。もうだいぶ生えてますけど…

 そして入院から約1か月半、寛解導入療法のスケジュールも終え、骨髄穿刺でも白血病細胞が確認されず、血球値も十分に回復。7月30日に一時退院をしました。
 1か月半ほとんど外気に触れない生活でしたので、病院を出た瞬間の日差しが文字通り刺さるような感覚だったのを覚えてます。
 そして、退院初日から地元地区である夜祭に飛び出していくという、今思うと中々デンジャーな行為を行っていました。

 久方ぶりの娑婆の空気、そして久しぶりに会う友人や先輩たち。
 一応一部の人には前もって伝えてましたが多くの人から「なんでいるの?」「坊主似合ってんね!」など色々声をかけていただいたのを覚えています。こうやって変わらず接してくれる人がいることがとても励みになるなぁと感じました。

一時退院中はほとんどnoteを更新しておりませんでした。写真を見返す限り、家族との時間を全力で楽しんでいた様子ですので、それはこちらには省略しておこうかと思います。

▶地固め療法①クール目

 そして約10日間の一時退院を終え、8月10日に再入院となりました。
これまでの治療で『第一寛解』までは達成していたので、ここからは体内に残る白血病細胞をできる限り減少させていく『地固め療法』の開始です。

 そしてこの後3週間ほどnoteの更新が滞っておりました。
 何人かからは「体調大丈夫?」との連絡をもらっていたりもしましたが、中々グロッキーな状態でした笑
 寛解導入療法時点では『7.10副作用』もあり、ほかの副作用にかまける余裕はありませんでしたが、今回の地固め療法はいかにも抗がん剤治療といえるような吐き気や発熱、強い倦怠感などに苛まれベッドから動けない日も何日か続いて、気が付いたら時間が経っている、というような感じでした。
 この時に初めて食べ物の匂いで吐き気を催すという体験をしました。
 この時は友人からウィダーなんかを送ってもらったり、栄養入りの点滴で対応したりと、いかにも病人らしい生活でしたね。
 この治療もまた次の地固め療法④で経験するので怖いですね…
 何とか前回よりも軽めの副作用ですんでもらいたいものです。

 この時の一時退院中はちょこちょことnoteの更新をしてましたね。

 当時はトリガーを必要としていた筋トレ、リハビリも今では完全に習慣と化してきました。やってない日は逆にそわそわするくらいには笑
 おかげさまで体も一回り大きくなり、今まで来ていた服の大半を買い替えないといけないような緊急事態にも陥っていますが、それは病気を克服してから始めようかな。

▶地固め療法②クール目

 そして9月18日、再入院とともに始まった『地固め療法②』。
 これがまたきつかった…
 『メソトレキセート』と呼ばれる抗がん剤を丸1日中投与し続け、それと同時に体内に残すと抗がん剤の副作用が強くなってしまうので大量の点滴と3L/日の水分補給でとにかく水属性になってた気がしますね。
 しかも中々きれいに抗がん剤を排出されきれずここでもグロッキーな期間が結構あった記憶が…
 この治療のあと10月2日から一時退院し、家族と時間を過ごしたり、幼馴染がディスタンスを図った状態で顔を見せに来てくれたりしました。
 やっぱり人と会って話をすることで元気がもらえるのはあるなぁと思いながら退院期間を過ごしておりました。
 そしてこの治療の後から血球値が上がらないつらい期間に突入しました。

▶血球値経過観察入院というよくわからない状況

 10月11日に再入院し、最初に行った採血で、「血小板の値が低いですね…」ということで何度か採血を行ったものの、正常値の範囲の1/10程度という非常に少ない量しかなく、白血球、ヘモグロビンも準じて低い数値を示していました。
 つまり、地固め療法③を始めることができないということでした。

 もちろん悪い話だけではなく、これまでの治療で体内にあったリンパ節の腫瘍がきれいになくなっているのを確認できたりと、いい成果も出ていたものの、肝心の治療が進められないのはなかなかストレスを感じる日々でした。
 「急性リンパ性白血病はスピード勝負の側面もある」というのは症状が発覚した際に先生から言われたことです。治療と治療の間が長引けばその間に再び白血病細胞が増加し、再発状態となれば化学療法だけでの治療は難しく、『造血幹細胞移植』の選択肢も考慮しなければならないということです。
 数週間採血を繰り返しながら血球が回復してこないことを確認し、骨髄穿刺(腰骨・胸骨)などいろんな検査をしたものの「前回行った化学療法のダメージが抜けきっていない」という可能性以外がなく、このまま回復が進まない場合には化学療法を中止して移植の準備を進めましょうと話が出たのが入院から約1か月後の11月10日。

 11月12日には家族に対しての病状説明を行い、一家全員の顔色が優れないことも確認できました。
 正直白血病と診断された時よりも絶望的な感覚を味わったような記憶があります。久しぶりに怖くて泣いたりもしました。

 しかしここからゆっくりと血球値が回復を始め、『MRD測定』でも陰性が出るなど、いい結果がではじめ、11月25日には自宅療養の許可を頂けるまでに回復しました。
 体調的には抗がん剤も使っていないので好調でしたが、メンタル面で一番ダメージを負った入院期間だったと思います。

▶自宅療養から、地固め療法③クール目

 自宅療養は久しぶりに3週間も家で家族と過ごすことができたので、かなりリフレッシュできました。
 やはり家族と過ごす時間ほど心が落ち着くときはないなぁと思います。
 娘はどんどん活発になり、自己主張も激しくなるものの、これが自分の子かと信じられないほどに素直で優しく育ってくれています。
 妻と一緒に保育園での話やこんなことしたよぉと話をしてくれることの愛らしいことこの上なしな様子を見ながら、「また病院に入るのは嫌だなぁ」と愚痴をこぼしてました。
 しかし、治療をやめれば死んでいくのは自明、これからも家族でこうやって過ごしていくには頑張るしかないなと気を持ち直して、12月15日に再入院し、改めて地固め療法③を開始しました。
 先述の通り、今回の地固め療法③は寛解導入療法と同様の投薬スケジュール、今度は副作用で苦しむことがないよう祈りながら日々頑張っております。
 そんなこんなでやっと始まった後半戦。これからは各化学療法の間でMRD測定を行い、再発がないかを確認しながらの治療となります。
 骨髄穿刺はもうすっかり慣れてしまってところもあるので、あとは陰性が続いてくれることを願うばかりです。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!


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