「死」との距離感

私は天海祐希さんの整った顔と吸い込まれるような演技が大好きで、天海祐希さんが出演されているドラマをよく見ている。
今日「ラストプレゼント 娘と生きる最後の夏」(2004)の最終話を鑑賞してラストシーンで涙腺が緩んでしまった。死をめぐる人間ドラマに弱いのだ。
さて、本題。
現在18歳の私が死についてどう考えているかを備忘録的な感じで書き記していきたいと思う。

私の母の話

私は幸い、今まで近しい家族や友達との別れを経験していない。
両親、妹、祖父母、友達、先輩、後輩、、、私の人生で軸となっている人はみんな生きている。
死は遠いもので、しばらくは関係ないものだと思っていた。ドラマや映画の中のおとぎ話のように感じていた。

しかし、死を身近に感じるできごとがあった。
母が乳がんを患ったこと、そして同じ時期に乳がんになった友達のお母さんが後に亡くなったことである。

4年前、私が中学3年生の5月だった。

ある日の夕飯後に父に呼ばれ、寝室で父と二人きりになった。私の父は普段真面目な話をするような人ではない(進路とかそういう大事なことも)ので、二人で向き合うだけで手汗が出た。そして父はいつになく真剣な顔で話しはじめた。細かい内容は憶えていないが、母が乳がんになって明日から入院して3日後に手術をする、入院は10日から2週間だからその間の家事はお願いしたい、というような話だったと思う。
その時の感想は、まず第一に”がん”という言葉にショックを受け、次に変化に気づけていなかった自分に絶望した。言われてみれば、新しい下着を買い込んでいたな、と本当にそれくらいしか母に変化はなかったように見えた。
涙は出なかった。代わりに、父とも母とも目を合わせられなくなった。父に対してはどうして前日になるまで何も教えてくれなかったのかという気持ち、母に対しては目を合わせたら泣いてしまいそうという気持ちがあったのだと思う。

翌日、母が入院する日、いつも通り最寄り駅まで母が車で送ってくれた。
家を出る時父に、母に手術がんばってと声をかけるように言われた。無言でうなずいた。声を出したら泣いてしまいそうだったから。
駅までの道は沈黙が続いていた。もうあと数十秒で着く、というところで母に「2週間、留守にするから」と言われ、ギリギリ聞こえるくらいの声で「頑張ってね」と伝えた。バックミラー越しに目を合わせて、「行ってきます」と車を降りた。
改札に入ってから涙が溢れた。とは言っても溢れた、程度だが。このときを除けば、いつも通りに振る舞って生活した。母が病気であることは隠したままで。

その後手術は無事成功し、予定より早く退院し、何事もなかったかのように家に帰ってきた。そこから数ヶ月放射線治療に通ったり毎日薬飲んだりはあったけど、最初”がん”と言われたときに想像したものより変化がなくて、心底安心した。

これが私のはなし。母は今も元気だし、定期検診でも悪い結果は出ていない。

死別についてー友達の話

次に、同時期にお母さんが乳がんになった友達の話。

友達(以下R子)は中学2、3年と高校1年で同じクラスだった。ずっと別のグループだったので、大学生になった今はほとんど無関係だが。
4年前の6月、R子のお母さんも乳がんを宣告された。末期だった。
入院は長期に渡り、九州の病院で治療を受けていることもあった。R子は学校ではそんな素振りを一切見せなかった。
中学を卒業する頃になって、R子のお母さんが重い病気を患っているということを知った。末期がんであることは知らなかったから、それについて何も思わなかった。
1年後、高校1年の6月、小林麻央さんが乳がんで亡くなった。
私とR子はそのニュースを同じタイミングで聞いた。クラスが暗い雰囲気になったのは覚えている。R子はこのニュースをどう受け止めていたのだろうか。
高校2年の初夏、R子は学校を休んで家族旅行に出かけた。SNSにひっそりと載せていた写真とそのキャプションで末期がんであったことを知った。
車椅子に乗るR子のお母さんと、車椅子を押すR子。キャプションには「長時間立っていられない」とか「最後だから」とか「リスクの高い手術」とか生々しく書いてあった。これを読んで心が痛んだ。みんなが私の母みたいに上手くいくわけではないのかと思ったし、母がなんとなく助かったように思っていたのがちゃんと助けられたんだなと強く思うようになった。
その後もR子はたまに長文の投稿をするようになった。中学生の頃は毎日泣いてばかりだったこと、母が末期がんであることに対して何も思わなくなった時期があったこと、悲しいだけではない涙を経験したこと、ふと昔を思い出して寂しくなること、緩和ケア病棟に移ったこと、いよいよ1、2ヶ月だと告げられたこと、遺書が送られてきたこと、せめて最後は家のベッドでと考えてしまうこと、、、。
高校2年の3月、期末テスト中、訃報が届いた。
テスト中だし、R子とはさほど親しくないし、Rこのお母さんは一回きりしか会ったことはないがお通夜に参列した。何かの縁を感じたから。
お通夜でR子はずっと泣いていた。そんなR子を初めて見た。人の死、母の死の重さを痛感した。数日後にR子がお母さんの昔の写真などをSNSにアップしているのを見て、とても切なくなった。もう全てが過去の話になってしまったのだ。

思うこと

同時期に宣告されたのに、ここまでの差が生まれてしまうことを知って、病気の怖さを知った。死の重さを知った。ドラマや映画で描かれることが他人事ではないことを知った。
以来、映画で死別する家族を見ると感情移入して自分だったらと考えてしまい、泣いてしまうようになった。ラストプレゼントの最後のシーンも、自分の母に重ねてしまいとても悲しくなった。

どうまとめればいいのか、収拾がつかなくなってしまったが、とりあえず中学3年生の頃から”死”を意識するようになったという話。死はじわじわと迫ってくることもあって、死を意識しはじめてから目の当たりにするまでが永くて辛いっていう話。

死ぬとき後悔しないように、やりたいこと全部やろう。

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