【対世界用魔法少女つばめ】令和のセカイ系魔法少女漫画
ジャンプ+で10月より連載開始した「対世界用魔法少女つばめ」が刺さったのでお話を。
隔週連載になかなかならないうえに、既に「PPPPPP」で連載経験あるマポロ三号先生の作品なのでコミックス1巻出るのは早そうですね。
【これなんてまどマギ】
まどマギじゃねーか。
ここまで来るとパクリじゃなくてオマージュとかリスペクトとか言うんです。言うんだよ。俺が思うからそうなんだよ俺の中じゃあな。
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大体がして敵の「思念」の根元からしてこうなのだからもう本当にまどマギが下敷きになっていることを隠そうともしていません。
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ただ、この記事のタイトル通りまどマギも2011年作品としてはもう古い概念となっていた「セカイ系」に類する作品で、本作もたぶんですがタイトルからして「セカイ系」に属するので、そのあたりの精神やテーマを丁寧にリスペクトしてくれている感を覚えるのです。俺がそう思うからry
そもセカイ系って何よって話になるとこれまた長いのですが。
持論においてはセカイ系という言葉がよく使われていた時期は
「僕」と「君」の関係がそのまま世界の行く末に直結する
ような作品を差していたと考えています。
ただ、なんだかんだと時代が変わりセカイ系という言葉も死語と化し概念も定義も面倒くさいので語られなくなった今も、なんだかんだで当時死ぬほど議論されていたセカイ系の系譜に連なる作品は結構あります。
で、この対世界用魔法少女つばめもそうなのですが、現在のセカイ系を持論で定義するとこうなります。
「わたし」と「あなた」の関係が世界の在り方を変えてゆく
【心の漫画的表現の上手さ】
テーマやセカイ系についてはいったん置いておくとして、本作が「上手い」と思ったのがここだったりします。
主人公燕の魔法はご覧の通り「台詞の吹き出しがそのまんまビーム攻撃になる」という漫画的表現というか漫画そのもの。
そしてこれはちゃんと意味があり
「思ったことが形になる」=台詞の吹き出しが具現化される。
「気持ちの力」=思ったことを言葉に乗せて発射する。
と、作中世界観設定にちゃんと沿っているのですね。
劇中では割としょっちゅう、燕は思っていることが顔に文字通り書かれているのですが、魔法少女に変身している時にしか無い演出なのでなんというか本当に漫画的表現のお約束が、見たまんま漫画の世界で起こっているのです。
【ハートマークの多様性】
で、既にもう引用している画像の背景とか魔法少女のデザインを見ればわかるのですが、この漫画本当にハートマークをめちゃくちゃ多様しています。
ハートマークは「愛」「LOVE」「心臓」「心」など色々な意味があるわけですが、本作のハートマークはそれら全部がひっくるめられてどれか一つだけっていうわけじゃないのが面白い。
ファンシーなハートマークの中に「好き」「愛している」などの綺麗事だけじゃなく「もう怒った」「死ね」「殺してやる」「思い知れ」などの負の感情も込もっちゃっている。というかそっちの方が多い。
でも、そういった清濁併せ持つ心こそが命そのものでもある。
これはまだ作中で明言されていないことなのですが、どことなく劇中の端々に「心ない人間は生きていない」というテーマが見え隠れしています。
【思ったことを言葉にするのは魔法】
「なんだよこの頭の残念な子の語彙に乏しい台詞」という初見感想と、そうとしか表現できないほど言語化するのが難しいのが思いであり心という現実が両立されていて「やっぱりこの漫画面白いわ」と再確認した三話目の一コマです。
言葉なんて不完全で、思いをきちんと伝えられるわけじゃない。燕は中々に頭が残念な子ですし……(劇中の端々を見る限り、たぶん頭の良さが一週回っちゃったタイプ)。
でも燕の魔法は「思ったことを言葉にして相手に伝える」ことそのもの。
言葉が凶器にも狂気にもなれば、大切な人を救う魔法にもなる。
「思ったことを言葉にする」のは口をつぐんで溜め込む私のような人間には中々刺さる表現です。
私的に上述した引用コマの台詞は「思考停止しちゃったら生きていない。思ったことを考えて言語化することでこそ生きている」というテーマを端的に表現しているのかなと受け止めています。
思考停止して、感情に呑まれて狂って壊れてしまい、魔法少女としての力が暴走したのがおそらく「思念」の正体だと思われるので……。
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あとこのノリが始終続いて、いっそ清々しいのがこの作品の刺さる所でもあります。
「お前のことなんて二の次だ」と笑顔で言い合ってわかりあっちゃうこの二人。
溜め込まないで内緒にしないから面倒くさいことにならない。
取り繕ったり綺麗事でごまかしたりもせず自分の気持ちに正直に生きる。
結果的に「いずれ衝突する日が来るかもしれないけど、大切な人は一緒なんだから今は共犯関係で仲良くしていこう」とまぁ、なんとも打算的な人間関係が構築されています。左側ページの清々しさがまるで合ってねぇ!
こういう狂っているけど真摯な人間関係大好き。
【世界に向き合うのは令和では僕じゃなくてわたしになった】
セカイ系議論に参加なんかしなかった若い方には理解できない感覚だと思うんですが、私は00年代で「この作品はセカイ系」「違うだろ」うんぬんされている時にどーにもこーにもモヤモヤしていたのが
なんで「僕」と「君」だけがセカイ系なんだよ!
ってことです。
「少年の童貞拗らせた幼稚な精神だから「君」=世界に直結しちゃうのかよ」とかなんとか。
女の子は「特定の誰か=世界」にならないのかよとか。女の子は次々大切な人間を取っ替え引っ換えしても平気だとか思ってんのかよとか。そんなわけねーだろとか。
私男ですけどだからこそそんなことを拗らせて考えていました。
完全に余談ですが「僕」という字は「僕」とも読めるので「僕と君」の鉤括弧で世界を閉じさせたら「俺はいったいどこにいるんだ……私はどこにもいないのか……隷属者と他人だけなのか……」みたいな。いちゃもんですね。
【世界よりあなたの方が大事】
「令和のセカイ系は『「わたし」と「あなた」の関係が世界の在り方を変えてゆく』」という持論は、昨今私が触れた作品だとENDER LILIESだとか、忍者と極道だとか、水星の魔女だとか、CRYMACHINAでうっすら考えていたことだったのですが、もう直球ストレートなのが本作「対世界用魔法少女つばめ」であり、リスペクト元であるまどマギです。
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まどマギは極論「ほむらとまどか」だけで世界が閉じています。いい加減これをぶっ壊すのがワルプルギスの廻天だと思うのですが。
ほむらはまどかに幸せになってもらいたいし、まどかが幸せな世界というのはごく普通にまどかが大切に思う家族や友達と一緒に送る日常の世界なわけでほむらはもう自分がそこにいなくてもいいとすら思っている節がある(本当はいたいけど資格がないとたぶん考えている)。
一方でまどかは「私なんて」「私なんかでも」で世界に向き合うせいで、自分が思う大切な人たちが自分をどう思っているのか往々にして忘れてしまい、マミさんの冷静さを奪ったりさやかを間接的に追い詰めたりお母さんに叱られても飛び出しちゃうし、無自覚にほむらを永遠の地獄に突き落としたりする。
キュウべえも裸足で逃げ出すこの狂って閉じた円環世界。正にセカイ系だと思います。少女と少女のみで閉じたセカイ系。
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そして本記事の主旨である「対世界用魔法少女つばめ」はタイトルからして、ありとあらゆる劇中での場面からしての「わたしとあなた=世界の行く末」の形は
「わたしには大切なあなたがいる。でももし世界があなたを殺すならわたしは世界をぶっ壊す」
です。世界が壊れたら心中しちゃうじゃんとかもうそんなこと考えてない。
この根拠のない楽観論で世界に喧嘩を吹っ掛けても「まぁいいじゃんやってみようぜ」みたいな軽いノリ。
「あなたー世界」で天秤にかけたら世界が第二宇宙速度突破して吹っ飛ぶくらいに「あなた=友達」の方が激重で世界が軽すぎる。
「世界のため」だとか「力無き人々を守るため」だとか捉え難いあまりにも大きなモノを背負って戦った結果、壊れて世界に厄災を振り撒く存在になってしまった過去の魔法少女たちに対し、
「自分の大切な人を守れたらそれでいい」を躊躇なく選択し、各々がその選択を尊重するけどそこに「世界」とか「誰か」とかを挟む余地が一切無い現代の魔法少女である燕たちの対比がもういっそ清々しい。
この「大いなる力を持つ者は大いなる責任がある」というブレーキがぶっ壊れた燕と応哉の会話も中々楽しいのですが、二人の間に挟まる泪ちゃんは「誰か」とか「世界」だとかを守らきゃいけないという常識的責任感を持っていて苦しんでいるからこそメインキャラ三人のバランサーになっているのが、不穏で同時に希望でもあるキャラ配置センスも上手いですね。
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なおもう大体語りたいことは語ったので余談になるのですが、最近ジャンプ+ではもう一本魔女ものの新連載が始まっていますね。
ハロウィンに合わせたのか、水星の魔女が受けたからなのかどうかわからないのですが、なんなんでしょうコレ。
ちなみに魔女の執行人の方が絵が大変綺麗で、ストーリーがわかりやすいのでどちらかだけ薦めろと言われたら魔女の執行人をオススメします。
私は魔女の執行人の方でも相変わらずヴィランの魔女たちの好き勝手やって生きている方がわかりやすく感情移入して読んでいますけどね!
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