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【CRYSTAR】 プレイ感想

18年発売のゲームなので今更感は強いのだが、switch版で初めて最近存在を知ったので私にとっては今がトレンドの作品である。

とにかくビジュアルやコンセプトが好みの作品で、可憐な少女たちが涙を流しながら生と死と愛の物語に翻弄されるといった趣向。

【涙に意味を】

私の母親の口癖の一つで「泣いても何も解決しない」というのがあり、実際よく言われている人も多いと思うのだが、これに対してCRYSTARのキャッチコピーは「涙に意味を与えてあげて」だ。

泣くという行為は、それ自体は無意味である。それはこの作品でも同じで、泣いたところで事態は好転しない。
装備は泣いて入手するのだが、本質的には浄化する際の悲痛で涙が流れてしまうというものであって、別に泣かなくても浄化できるのならそれで問題はないように見受けられる。

だからこそ流した涙に後付で意味を与える。

逆説的には落涙するほどの大きな情動すらも、本当はなんの意味もないもなのだ。
生き物は合理性だけで生きていける。だが合理性だけで生きていくにはあまりにも世の中は理不尽で不条理だから、情動に意味を見出して人は生きて死んでいくのだろうと思う。

※※※

本作のざっとしたあらすじは「自分の感情を制御できずに誤って妹を殺してしまった主人公の少女が、悪魔と契約して妹のヨミガエリのために戦う」といったもの。

ストーリーのスタート地点から激しい情動を否定しているのである。
実際、スタッフロールまでプレイして思い返せば、怒りや悲しみといった情動に衝き動かされて行動すると、大抵ロクなことになっていない。愛情はある程度実を結んでいるのだが……。

事態が起こっている瞬間は、激しい情動のせいで冷静な判断ができない。だから後になって振り返ったり、冷静な周囲の支えに頼って少しずつ自分の中の感情に折り合いをつけていこうというお話なのかもしれない。

つまり、事態が起こっている瞬間に最適な行動を取れないことなど当たり前なのだ。だから後で悔やんでも嘆いてもいいから、折り合いと決着をつけなければいけないというある種の突き放しが「涙に意味を与えてあげて」なのだろう。

【生と死】

実はこのゲームをswitch版発売直後にプレイできなかった理由がある。

15年可愛がってきた愛猫が2月1日に死んだ。とてもではないがこのゲームをプレイできる精神状態ではなかった。

※※※

CRYSTARのシナリオは家族の死を受け入れる物語でもある。

副題「THEN THE BAD ENDING」とはこういう意味なのだと思う。
悲劇は変えられないし、悲劇から物語は始まる。
この物語は介入できない悲劇のその後、置いていかれた少女たちの物語だ。

残された者には今まで通りのなんでもない日常が容赦なく待っている。バッドエンドでも生命を失わない限り人生は何事も無く続く。
本人にとっては劇的な【身内の死】というイベントから、地続きで当たり前の生活が目の前にあるというのは味わったことがなければ理解し難い絶望的な感覚である

だから人は弔いの儀式である葬式を発明し、本当は境界など曖昧な死と生の線引きをして健全な日常生活に戻れるようにしている。

※※※

CRYSTARは死者を送る物語であり、また無関係な第三者にとっては身内の死でオロオロとうろたえさめざめと泣く様が滑稽で煩わしく無様なものだと嘲笑われる程度のものでもあると提示している。
ピエロが涙のマークをつけているように、他人が泣いている姿は娯楽の対象である。他者の不幸ほど美味いものはない。

だからいつまでもおおっぴらに泣くわけにはいかない。泣いても何も解決しないのだから、涙を流して良いとするイベントを葬式として用意するのはそういう意味もある。

そういうことができない事情があるとどうなるか、いつまでも過去の死を振り切れずにいて泣くべき場面で泣けなかった者は不器用ながら自分自身の中で長い時間をかけて折り合いをつけていくしかない。

それが第三者から見ると嘲笑と娯楽の対象になろうが、それでもやっていくしかないのだ。

この他にも、キャラクター考察などの記事は今後書いていきたいと思う。

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