【CRYSTAR】 幡田みらいについての考察
CRYSTARのキャラクター心理考察的な記事だと思います。
基本的に最終章突入までのネタバレを含むので、何年も前のゲームですが一応注意を。
今回は主人公の妹、幡田みらいについての記事。
【過去について】
妹を誤って殺してしまい、彼女を救うことが基本的に主人公零の目的となる……のだが、一週目クリア時点で大体みらいの正体と歪んだ愛情に気づけるようにシナリオの構造は出来上がっている。
ただ、彼女の活躍がある程度脇に置かれて、主人公パーティーの崩壊を描く三週目シナリオでこそ彼女の心理の深奥が描かれている。
みらいが最初に死んだ、自動車事故の回想である。かなり短いのだが、それでも彼女が歪んでしまった原因がここに圧縮されている。
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みらいは、おそらく三歳の頃に幡田家に養子として迎えられている。そして彼女はそのまま養子であることを自覚したまま十歳になるまで成長した。
義姉の零には懐いたようだが、義理の両親には結局懐くことができなかったらしい。
そしてみらいは、理由は不明だがさらに別の家に養子として引き取られることになったようである。本人の心情を無視したまま。
結果、その移動中の車内で感情を爆発させたみらいが、ドライバーの父親に襲い掛かり事故を起こし、三人揃って死亡したというのが真相の模様。
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三歳で養子となれば、貰われっ子であることを忘れてしまうこともあると思う。しかしみらいはそれを自覚していた。
義理の両親の愛情が無かったわけではないのだろう。劇中のみらいの性格や感受性を考えると、義理の両親の愛情を試すような行動をしょっちゅう取っていたのではなかろうか。
イタズラをしたり、気を引くために愚図ってみたり、無理難題と理解していてわざとワガママを言ってみたり。
とくに幡田家の愛犬セレマに対してみらいの主観で考えると、相当当たりがキツかったのではなかろうか。
貰われっ子の自分は犬コロと同等か、もしかしたらそれ以下の存在として家族に見られているのではないかと。
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ただそんな貰われっ子のみらいが、なぜ義姉の零に懐いたのか。
両親からの愛情を正統に独り占めできる義姉の存在は、どうかすると疎ましさの方が勝りそうではある。
劇中の少ない回想描写からすると、五歳の誕生日に零は近く迎え入れられる義理の妹を楽しみにしていたようである。
本編の十五歳の零は相当なダメ人間だが、それでも妹を守らねばならないという姉の心持ちはしっかりと持っていた(自信の無さは置いておくとして……)。
また、零はセレマと姉妹同然に育ってきた経験から五歳児の時点で既に「姉なのだから」という長子としての自覚は持っていたと思われるので、零側から見た「義理の妹に親の愛情を奪われる」という感覚は薄かったのではなかろうか。
以上のことと、幼児ならではの屈託の無さで零はみらいを純粋に妹として愛することができ、それがまっすぐにみらいへと伝わっていたのではなかろうか。
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姉だけを家族として愛していた十歳児のみらいにとって「あなたにとってよりよい環境なのだから」と言われてさらなる養子先へたらい回しにされることは人生が終わるくらいの絶望を味わったのかもしれない。
その移送途中の口論で「お前を愛そうと必死に……」という養父の口走った一言が、みらいのトラウマになったのだと思われる。
『必死にならなければ家族には成れない』
という結論は、皮肉にも養父からの教えとしてみらいの中に深く根ざされてしまった。
「大っ嫌いだった両親」とみらいは零に義理の両親のことを吐き捨てていたが、私から見るとみらいが嫌いなのは最愛の姉と引き剥がそうとする存在全てであって、むしろ義理の両親はみらいも愛していたのではないかと思う。
ただ、みらいが望んだ形での愛情が返ってこなかっただけなのだ。これに関しては幼いとはいえみらいが折り合いをつけるべきことなので、幡田家両親を責められない。
【劇中での行動】
劇中ではヤンデレ極まりない大暴れの言動と行動を取るみらいだが、注意したいのはそのほとんどが魂が傷ついた死後の幽鬼の状態で行ったということ。
生きている状態のみらいは、ゲーム冒頭の零に殺される前までのものと、最終章でのもの、一週目ED、そして先述した十歳児時点で養子先へと向かう車内での回想である。
十歳児での車内回想は、みらいにとって切羽詰った状況だったのであれが平常モードとは考えられない。
一方で冒頭時、最終章で描かれているみらいは案外かなりまともである。
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最終章では最愛の姉を幸せにするため、嫌っていた姉の仲間たちを救って時間稼ぎという役目をかって出ている。
EDでは「それまでの周回で姉が自分にくれた愛情がアレセイアで伝わった」と言っているので、姉からの愛情を奪った小布、千、777といった零の仲間は嫌いではあるのだろうが、姉からの愛情もまた変わりないという事実を確かめることができたので、感情と現実の折り合いをつけて冷静な判断をできたのだろう。
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幽鬼として行動していた時期、とくにバス事故を起こした際の振る舞いは悪逆非道の一言に尽きる。
バス事故で巻き込まれた乗客全ての魂を取り込んでいればすぐにでもヨミガエリできそうなものだったのだが、それをあえてせずにもてあそんだのは、恵羽母娘がよほど癪に触ったのか幽鬼時は大体あんなものだったのか。
CRYSTAR本編シナリオの発端はほとんどこの事件に収束する。
みらいが姉を想うように母と娘が共に想い合い、その執念はとんでもない力を発揮するというのはみらい自身が証明しているのだが、そこに思い至らないあたりがみらいという人物なのである。
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恵羽母娘との会話の前後どちらかはわからないが、このバス事故直後に有理が零に電話をかけている。
みらいが「有理がターゲット」「その理由は零の友達だから」ということを説明しなければあの電話の内容にならないので、わざと電話をかけさせた可能性が高い。
おそらく親友の本性を暴き立ててから殺すことで、零の中での有理の株を下げたかったのだろう。
目論みはあまり成功しているとは言い難く、下手をすると零がショックのあまり自殺してしまう可能性すらもあったのだが、もしかするとそうなっても一緒にヨミガエリすればOKくらいの感覚だったのかもしれない。
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これらの罪の清算は最終章で出来たかと言えば正直疑問符が残る。
アナムネシスは本人自身が別個で罪を重ねたのでみらいを責めきれないところがあったが、千はそうはいかない。あのままみらいが生きていれば千はずっとわだかまりを抱いたまま生き続けることになっただろう。
正道で言えば、一人の人間幡田みらいとして恵羽千に贖罪の意思を見せて生き続けることこそが正統な終わり方なのだろうが、そんなことよりも姉の方がみらいにとっては大事なのである。ここまで来て眼中にすらない。
姉の中に自身を刻み込み、生を手放すというのはかなり卑怯である意味勝ち逃げと言えるみらいの結末だが、結果論から考えれば確かにこうするのがわだかまりが少ないハッピーエンドなのではある。
零の今後の人生を考えても、甘やかしてダメ人間を助長させる妹みらいより、しっかりもので趣味も共通している千のような友人の方が有意義なのだからぐうの音も出ない見事な勝ち逃げっぷりだ。
【モチーフの蛇】
蛇はシンボルとしては無数の意味を持つが、みらいのモチーフが蛇であるのは「再生」の意味合いが大きいと思われる。
古くは脱皮という生態から蛇は古い命を脱ぎ捨てて新しい命を獲得できる能力があるとされていた。
不老不死なのではなく一度死を経由する輪廻転生を自在にするという点は実にみらいらしいと思う。
旧約聖書では創造主への叛逆をそそのかすというエピソードが有名だが、このあたりも親への反抗という点で重ねることができるかもしれない。
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一方で幡田姉妹という二人で見れば、この姉妹の重要なテーマは「手を繋ぐ」である。
死者回想録のアリストテレスの項に書かれているところからしても、みらいは零に手を繋いでもらうことに強い安心感と依存を抱いていたようである。
とくにそういうことは本編では語られていないが家族として迎え入れられているのか不安だった幼いみらいにとって、手を繋ぐというスキンシップは大切な思い出になったのではないだろうか。
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だが蛇に手はない。
「あの時みらいの手を離さなければ」という悔恨は零を始終蝕み続けたトラウマであるが、輪廻転生を経た蛇である幽鬼の姫みらいの手は、果たして本当に繋ぐことができたのだろうか。
みらいは姉に手を繋いでもらうことを望んでいたが、自力でヨミガエリを果たした彼女の魂は繋ぐための手を持つことができていたのだろうか。
二週目で手を繋いだ姉妹は、結局串刺しという形で繋がることをみらいが選んでいる。
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EDテーマ曲「re-live」の歌詞ではこの姉妹は背中合わせでそれぞれ違うイデアを見ていたと表現されている。
実際、本編開始前の登校拒否の零と、そんな姉を甘やかし家の中で独占するみらいという姉妹の姿は、どこか決定的にズレて互いの本質を見ることができていない。
「お姉ちゃんって言うな!」と剣をがむしゃらに振った結果が零の贖罪の旅の始まりだったわけだが、クリア後の今あの台詞を思い返すと、アナムネシスの挑発で混乱しただけとも思いきれないところがある。
状況的には「妹をちゃんと守れない、こんなに情けない私は貴女の姉である資格がない」という自信の無さが暴発した結果なのだろう。
みらいはみらいで姉を独占した結果のツケである、零の内側で溜まっていたコンプレックスをきちんと見極められていたならばうっかり斬られるくらい無防備に近づかなかっただろう。
蛇に手は無いし、BLEACHのポエムではないが剣を握っていたら手を繋げない。
【幽鬼ヘーゲルについて】
これを書いている途中に死者回想録が充実してわかった設定。
この幽鬼の生前の設定は、とある妻子持ちの検事と一夜を共にしたシングルマザーの顛末を描いているのだが、その残した娘の名前が示唆されて終わっている。
恵羽千の父は検事であり、千は16歳、みらいは13歳という設定を考慮し、名前の意味を考えるとほぼ間違いなくヘーゲルはみらいの母親の成れ果ての姿なのだろう。
つまり千とみらいは異母姉妹であり、本人たちは最後までそれを知ることがなかったがバス事故で恵羽母娘が巻き込まれたのは運命的である。
外見も性格もあまり似ていない二人だが、むしろあまりに正反対すぎてかえって姉妹なのだと納得もできる。
自己中心的で他者共感性が低いみらいと、他者のために戦うことを厭わず身内に気遣いできる千。
自身の価値観に沿って即決即断する行動力の高いみらいと、正義を標榜しつつも身内への感情から結論を先延ばしにし情動で芯がブレる千。
本当にこの二人が姉妹として育っていれば、これはこれで互いの長所短所を補い合える仲の良い姉妹になれたのでは?と思うとちょっとやりきれない。
不幸中の幸いは、両親を敬愛する千がこの事実を知らずにいたことだろう。これでは父の面目が丸潰れで、千を支える正義という柱が折れる。