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マンネリ

最近、仕事がマンネリ化しているのか、どこか身が入らない。シフトが終わると、頭の中が、空中をふわふわと浮いているクラゲみたいな状態になっている。しっかり仕事したはずなのに、今日仕事したのかな、と自分に問いたくなる。

塾講師のバイトを始めて今年で3年目。アルバイトが任される一通りの仕事はそつなく、ほぼ全自動的にこなせるようになっているし、課題を発見した際には全力で解決に導こうと行動してきた。

塾として生徒に十分に価値を提供できていないと感じた時には、自主的に、生徒一人ひとりの成果物に目を通して、課題を洗い出して学習内容と方法を提案した時期があった。先生たちが効率よく生徒の対応をできるように、ちょっとした業務改善のようなことも行った。授業とは別に、教材作成の仕事の依頼も受けるようになった。

そういう感じで、真面目に働いてきたおかげもあって、バイトの中でも上級ポジションに昇格できて、新人教師の教育も任されるようになった。

けど、これ以上、全力で解きたくなるような難題が降りかかってくることがなく、前に進んでいる感覚がないような毎日が続いている。もしかしたら、慣れによる麻痺なのかもしれない。

毎日、小さな反省や課題はあるものの、こういう問題があったのでこういうことするといいかもしれませんね、と定石っぽい報告をすることに終始してしまっていて、その解決策の実行や新たな解決策を模索したりすることを他人に任せきりにして、自分は積極的関わろうとしていない。

前までは、丁寧に一個ずつの課題と向き合ってきたが、今は自分の芯に火を点けるような課題に出会うことがない。

誰が言ったかは覚えていないけど、「出来ないことが出来るようになった若い時は楽しい」みたいな感覚に似ているのかもしれない。新人のときが、一番自分の成長を実感できて、日々前に進んでいると感じられる。

あの、前に進んでいる感覚を取り戻したい。

そのためには、自分の小さな感情を取り逃さないようにすることではないか。

最近、佐藤雅彦さんというメディアクリエイターの方の本(『考えの整頓』)を読んだ。日頃見過ごしてしまっているわずかな感情や違和感と向き合うことの楽しさを知ることができた。

だから、僕はnoteで毎日投稿でも始めてみようと思う。考えがまとまってなくて結論が出なかったり、君の日本語壊滅的だねって言われたりするけど、とりあえず、毎日の、自分の思考や感情に言葉を与えることで何か見えてくるんじゃないかな。

内省をしっかり行うことで、自分が向き合いたくなる何かを発見できるかもしれない。出会えることを願いたい。


明日は今年の抱負についてでも書こうかな。

読んでいただきありがとうございました!


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