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長屋に鳴る鬼 明治幻想奇譚 第十五話 真っ暗闇

 そして俺とアディソン嬢は長屋に閉じ込められた。
 そう、閉じ込められた。
 昨日まではうっすらと月光が通る道が外界との間を繋いでいたのにそれはぱたりと閉じられ、更にキュウと空間が狭まったような感覚。恐らく土御門が宵の口に家の周りに張り巡らせた札とやらの効果が発動したのかな、と思う。
「んで、どうするんだ?」
 アディソン嬢が俺を鋭くギロリと睨むものだから、思わず怯む。
「そう、ですね。とりあえず掘りましょうか」
「掘る?」
「えぇ。シュはこの隣の部屋との境の壁の下から現れましたからこの下にいる気がします」
「へぇ。掘るのは俺は手伝えねぇぞ」
「わかってます」
 アディソン嬢の細い口は大きくへの字にひん曲がる。
 畳は昼のうちに予め全て剥がして部屋の隅に寄せ、隣の壁際の床板は外されていた。明るいうちに見たときは根太ねだの間にすぐに土が見えた。けれども今その底はぽっかり暗かった。どこまでも深い穴がポカリと開いているような。
 ヒュウと下から風が吹く。
 いや、この下はすぐに土のはずだ。
 意を決して飛び込むと、すぐに地面に着地してホッとした。やはり膝上程度の高さだ。
 けれどもやはり踏み込んだ地面がぐずと揺れ、雲の上にふわふわと浮かんでいるように足元は心もとない。
 けれども運び込んでいたスコップを手にして突き立てると、確かにそれはずぶりと埋まる。そして掘った土を板間の上に放り上げる。
 一掬いするたびになんだか墓穴を掘っているような気分になる。そして真っ黒な何かが板間の上に積み上がる度、なんだかこの小さな部屋が地獄に侵食されていくような。
 そう思っていると、ふいにパチという木がはぜるような音がした。
 来る。
「おお、懐かしいな」
「懐かしい、ですか?」
「ああ。シュの部屋に行くとよくパチパチ鳴るんだ」
「シュとはよく会ってたんですか」
「んや。たまにだな。築地は狭ぇしあんま人を置けなくてよ。だから俺がシュを護衛する機会がたまにあったんだ。普段シュは内向きの護衛としか話したことがなかったみてぇだから色々聞かれてよ」
 ザクザクとスコップの音だけが響いていた中でアディソン嬢の低いぶっきらぼうな声が狭い長屋の部屋に響く。その部分だけ人の領域を取り戻すような温かさがある。
「シュとはどんな子どもだったんですか」
「うーん、やっぱ変っちゃ変じゃねぇかな。疑いを知らねぇってかよ。馬鹿みたいなこと言っても信じてよ」
「へぇ。例えばどんなことを?」
「そうだなぁ。例えば足を切り落としたら体重が軽くなって足が早くなったとかよ」
 足。義足。
 何の気なしにポツリと出た言葉の意味がわからない。
 ……答えづれぇ。
 異人特有の笑いどころだったりするんだろうか。
 けれども丁度良く壁が徐々に振動し始めた。
「これも以前よくあったのですか?」
「そうだな、家が揺れることはあったがさすがにこんな揺れたことはねぇな。凄ぇなてめぇ」
「は? 俺が揺らしてるわけじゃないですよ」
「んなこたぁわかってらぁ。てめぇが揺れさせてるってこった・・・・・・・・・・・。ともあれ凄ぇ存在感だなこらぁ。だが確かにシュの気配だ」

 俺が揺らさせている? どういうことだ?
 そして空間をひねるような感覚がして、シュ、あるいはこの長屋以外のどこかに繋がったように感じた。どこだ? そして俺の目の前にもうもうと黒い煙が立ち上る。これが鬼で家鳴で、そして、シュ。
「おい、お前シュなのか? 返事しろや」
 煙は一瞬だけアディソン嬢の声に反応したようにその増殖を止めたが、答えることなく天井に至る。
 間近で見るシュの煙はやはり足元の暗がりから立ち上がっている。やはりこの下にシュは埋まっているのだろうか。そう思って更にスコップを突き立てると、今度は抵抗なくするりと入り込む。
 穴が、あいたのか?
 どこかに、つながったのか?
 見上げる煙はもぞもぞと動き回っている。これは俺が鬼やら家鳴やらと思ったから、このような姿で現れているのだろうか。そうすると違う姿を思い浮かべれば、そのような姿になるのだろうか。シュ。シュの姿とはどういうものだろう。10歳程度の子ども。
 そう思えば煙はどことなく真ん中以外が薄れ、子ども程度の大きさのものが残った。
「おお、シュか? お前、シュなのか?」
 アディソン嬢は呼びかけるが煙は一向に答えない。これは俺がそう思ったからそう形作られたからで、本当のシュとやらとは異なるんだろうか。
「おいシュ。てめぇを守れなかった使えねぇ護衛は俺が叩っ切ったぞ」
 叩き切った?
 俺の動揺を表すように煙がざわめいた。
 そうか、煙が俺の頭を反映するなら、シュの姿を想起すればシュに繋がるかも、しれぬ。
「アディソン嬢、シュはどんな姿だったんです?」
「うん? 普通の子どもだったぜ」
「体格とか、髪が長いとか」
「体格ぅ? どうだったかな。体が弱かったからな。ガリガリに細かった。もっと食えと思うが体が受け付けねぇらしい。それから髪はなかったな。抜け落ちると聞いた」
 ガリガリの髪のない子ども。
 なんだかそれは哀れだが地獄の亡者か幽鬼ゆうきじみている。
 そう思うと何かが俺の右足首をガッと掴んだ。その突然の生々しい衝動に心臓が鷲掴みにされたように固まる。けれどもアディソン嬢はそれに気づかず続ける。
「あとはそうだなぁ? 病気のせいで全身瘡蓋かさぶただらけだったな。痒いらしいのをいつも我慢してた」
「それはなんだか、可哀想な」
 心臓が次第にバクバクと揺れてきた。
「おう。痒ぃのは辛ぇよなぁ。だから爪もなかった。うっかりかくと血が止まらなくなるんでな。一度よぉ、皮膚を全部削ぎ落としてやろうかっつったんだけどよぉ。血が止まんねぇから死んじゃうとか言いやがるんだ。ハハ。まあそりゃそうかと思ってよ。それから炎症が起こるとかで歯は全部抜いてあったな」
 ずどんと心が重くなった。
 痩せこけて瘡蓋だらけで、髪も爪も歯もなく。やはりまるで亡者のようだ。そんな姿で生きることは果たして幸せ・・なのだろうか。

 右足を掴む何かの表面がザリザリとガサつき、その力はさらに強くなる。不意に嫌な気配が強くなる。
「なんだぁ?」
 アディソン嬢の声がさらに低くなり、大きな曲刀の鞘がガチャリと床に落ちたのが目の端に見えた。
 おかしい。先ほど床面は膝上ほどの高さにあったのに、今見渡すと目線とほぼ同じ高さとなっている。それほど穴は掘ってはいない、はずだ。何だ。何が起こっている。
 焦って床の縁に手をかけようとした時、右足首を握る何かにさらに力がこもり、ずるりと床が遠くなり、スコップなど放り出してなんとか伸ばし切った両手の指で僅かに縁を掴む。
 このふわふわと心もとない闇の中に、この何かに引き摺り込まれようとしている・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そう認識した途端、全身が総毛だつ。
 足下から、穴の奥底からぬるりと生暖かい風が吹き上がる。その見下ろした奥はチカチカと赤い。
 この闇は。
 この闇は一体何だ。
 この闇の底はどこに繋がっている。
 この死者の国にでも続くような闇は。
 そして先ほどの井戸端会議の話を思い出してしまう。
 黄泉よもつ平坂ひらさか

 そう思った途端、足元が抜けた。宙ぶらりんになった。
 指先だけが現世うつしよに、畳の縁に留まり、自らの自重でその真っ暗な穴の底に転げ落ちそうでブワリと全身に汗が湧く。そこにまた、ペタリ、と左膝に何かが触れて絡みつき、さらにずしりと荷重がかかる。まるでざらざらとした瘡蓋に塗れたような手の感触。まさに黄泉平坂を登る亡者。
 ああ、駄目だ。
 もう駄目だ。
 俺は引き摺り込まれる。この穴の奥底に。黄泉の国に。
 指は既にガタガタと震え、もう力なぞ入らねぇ。冷たく痺れて感覚なんてとうの昔になく、縁を掴んでいるのかどうかすら判断がつかぬ。
 だから、もう、駄目だ。

 そう思った瞬間、鼻先を白い光が走った。
 昨日まで俺とそれを隔てていた月光のような、いや、それよりさらに鋭い光。
 思わずペタリと尻餅をついた。
 ペタリ? 尻餅?
 気づくと俺は床板の縁に座り込んでいた。さっきまでのは何だ?
 そう思って再び穴を見るとまた、吸い込まれるような気分になり頭がぐらりと揺れるところをまた光が走る。
 目の前数ミリを掠めたアディソン嬢の曲刀。
 もし1センチずれていたら。その直接的な恐怖にヒュッと妙な呼気が出て、全身を滝のような汗が流れる。
「てめぇ! 何やってやがる! 上手くいかねえと叩っ殺すぞ!」
 見上げたアディソン嬢は悪鬼羅刹あっきらせつのごとく怒気どきを放ちながら穴と俺を射殺さんばかりに睨みつけていた。
 その生々しい姿に急にホッと息をつく。殺されるということはまだ生きているということだ。鼻先がヒリヒリ痛い。ひょっとしたらその剣先は僅かに鼻先に触れたのかもしれない。痛いということは俺はまだ生きている。ここはまだ、あの世ではない。

 そう思うと、急に目の前に広がる穴と俺の座る現世の間に隔たりができたような気がした。
 そう思うと、バサバサと懐からたくさんの紙が舞い散り、闇の中でも妙に白く光る札が俺の周りや穴の中に落下していった。
 そしてそのうちの一枚が俺の左膝に触れ、もう一枚が右足首に触れた。
 その紙がふれたところに何か違和感がある。そう思って恐る恐る指先で確かめると何かが淡く、けれども確かに絡みついていることを感じた。
 何かがある。と思って触れるとその何かは存在感を増した。足元を見下ろすと穴と思われた部分の表面、おそらく地面がある高さに何枚かの札が中途半端に浮いていて、そこが穴の奥と手前を分けている。この土御門の月光のように光る結界は俺とあの穴の底、死者の国とを確かに分けて隔てているのだろう。

 そして床板にへたり込んだ俺の足首はこの穴の上にある。土御門の札の上から掴んだその瘡蓋だらけの手は、死者の国と隔てられたその体は既に恐ろしくはなく、その細く痩せた指はかえって、あぁ、なんだか可哀想だな、と思えた。
 そうすると奇妙なことに俺は自分が、俺自身が可哀想に思えてきた。そうするとこれは土御門が言っていた魄が籠った遺骸なのだろう。

 傷つけないようになるべくそっとその手を掴む。これ以上、少しも傷まないように。苦しまないように。そう思うと、心がほぅと温かくなった。
 レグゲート商会が幸運に満ちていたのなら、シュは確かに幸せだったのだな。そう思えた。
 ゆっくりと両手を持って引き上げると、その小さな骸はずるりと持ち上げられ、それをそのまま抱き上げてアディソン嬢に渡す。
 もともと小さかったのか、死んでさらに干からびたのかはわからないが、その骸は小柄なアディソン嬢が片手で抱き抱えられるほどの大きさだった。
 アディソン嬢がシュをガラスケースに入れてガラガラと部屋の外に出ると同時に土御門がするりと入り込む。

「入ってもいいのか?」
「ええ。厄介なのはあの鏡の体でしたから。近くで祓うと私も祓われてしまいます。遠隔で祓えば魂も魄もなく全て一緒くたに払うしかありません。しかし山菱君は本当に素晴らしいですね。多少は残るかと思いましたが見事に全ての魄が揃っていました。さてここからが私たちの正念場です」
「ああ」

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