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鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~ 第七話 桜の病

「ところで哲佐君。突然生贄になれ、っていわれたらどうしますか。お駄賃はなしです」
「なし? そりゃ逃げるだろ、駄賃があってもよっぽどじゃなきゃあ」
 そこまで言って、なんだか墓穴を掘った気がした。
「ですよね。哲佐君がとても特別なだけという話です」
 鷹一郎が実に愉快そうにくすくすと笑うのが気に障る。
「うるせぇ。それで何が言いたい、いや、そうすっと千代はもともと生贄になる予定だったのか」
「そこまではわかりません。けれども千代さんが茶屋をやめた時期と千代さんの死亡届が出された時期はとても近い。ですからきっと、千代さんにとって突然の話じゃないんですよ。だからこそ、逆城南に逃げてきた。源三郎さんが逃したのかもしれない」
「そういえば、もともと千代はあの村に住んでいたんだもんな」
 鷹一郎はしたり顔で頷く。千代の様子は無理やり生贄になったという風情ではない。相応の覚悟をもとにあそこにいる。そうでなければおそらく泣き叫んでいたことだろう。
 隣に並ぶ鷹一郎は、俺の内心など一顧だにしないように澄ました顔で先を続ける。
「おそらく逆城南はあの化け物の影響下にはないのでしょう。根っこはこの参道より下には降りてきていないようですし」
「そうなのか? たしかに今はあの木の気配はしないが」
 俺と鷹一郎は早朝の逆城北を歩いていた。
 化け物の嫌な感じってものは一度まみえれば身に染みるものだ。おそらくその臭いというものが魂に染みる。逆上村ではその存在をびんびんに感じたが、逆城神社を超えて後は綺麗さっぱりその気配は失せていた。

 逆城の町は旧街道を挟んで南北に分かれている。二東山のある逆城南は明治に入ってから開発が進んだ新興地だ。一方のこの逆城北は昔からの逆城神社の門前町で、東海道に連なる古くからの宿場町。本陣旅館旅籠宿泊施設が道沿いに隙間なく立ち並んでいる。この町の一番の混雑はこの時間帯で、泊り客の送り出しで往来はがやがやと賑わいを見せていた。
 旅人は逆城と西隣の辻切町つじきまちの間を南北に伸びる神津道こうづどうを通って北の神津城こうづじょう神白かじろ県庁に向かうか、南の神津港に向かうか。あるいは東西に続く東海道を伝って他県に向けて旅に出るか。ようするに逆城とその隣の辻切町自体がこの辺りの辻なのだ。
「哲佐君は逆城神社がもともと二東山の上にあったのはご存知でしたか?」
「ああ。確か江戸の初めに今の場所に移築したんだったか?」
 どこかの誰かから聞いた言われだ。
「そうです。もともと逆城神社は海神豊玉彦命わたつみとよたまひこのみことを祀る神社です。この神様がどういう存在なのかはよくわからないところも多いのですが、海の神様ですから二東山の上から神津湾を見守っていたのでしょう」
 先日見た二東山の茶屋の風景を思い浮かべる。
 あの山頂には神社跡の展望台があり、はるか太平の海がどこまでも見渡せると聞く。そりゃあ見晴らしのよくて気持ちのいい場所なんだろうなあ。
「ふぅん、逆城じゃ海は見えねぇから残念だろうな」
「そうですねぇ。だからおそらく今の逆城神社の実際の主神は配神のくなどの神なのでしょう」
「岐の神? そいつはどんな神様なんだ?」
「簡単に言うと、道の神様ですね。疫病や悪意なんかの侵入を防ぐんですよ。道祖神どうそじんのようなものと言ったほうがわかりよいでしょうか」
 道祖神というと辻々にたまに見かける小さな仏さんか。この逆城では特によく見かける。
「うん? それじゃあ逆城神社はあの桜の化物を封じるために移築されたのか?」
「いえ、それはないでしょう。古妖のようですが、神社を移さねばならないほど強力とも思われません。おそらく移築の目的は別なのでしょうね。ただ、逆城神社があるところにわざわざ妖が芽吹くとは思われませんから、おそらく移築前後かその少し前あたりに芽吹いたのでしょう。つまり」
「つまり?」
「まあ樹齢300年前後は経っているのでしょうね。家康公が街道整備を始められたのは幕府を開かれる西暦1603年少し前くらいですから」
「そんなに昔のやつなのか」

 300年前。
 この日の本で多くの侍が刀を振り回して殺し合いをしていた時代。少し前に収まった西南戦争での主な武器は既に西洋式銃だった。人を刀で切るような時代は遥か彼方だ。どうにもこうにも想像がつかねぇな。
 なんとかなるものなのかな、と嫌な予感に薄ら寒くなる。
「長く生きてるからってそれだけで自慢になるものでもありません。問題はあの逆上村とあの古妖の関わりです。つまり生贄の風習というものは昔からあったのか。そうであれば生贄は何のために捧げられていたのか」
 頭に浮かぶのは千代の周りにあった黒い木々だ。
「けどそんな昔のことなんてわかんねぇだろ」
「わかりますよ、今向かっているところです」
 はぁ? 人の記憶なんて20年も経てば曖昧だ。一体どうするっていうんだ。そう思いながら歩いていると、鷹一郎は幸来寺こうらいじという寺号額のかかった寺の前で足を止める。見上げると崖がある。ぐるりと回ってきたが、この上は逆上村のあるあたりか。崖。そういえば千代は崖から落ちたことになっているのだな。
「役所で聞いてまいりましたが、この幸来寺は逆上村を含むこのあたりの村の現在の菩提寺で、有名ではないものの長くからあるそうです」
 寺はそれなりに古く大きく見えた。古めかしい山門をくぐった境内は清涼な樹々に満ち、小坊主が門前を掃き清めていた。
「ごめんくださいまし。わたくしは辻切西街道の土御門と申します。先日お手紙にてご連絡差し上げましたが、住職はご在寺でしょうか」
 話は通っていたのか、お待ちしておりましたの声とともに応接に通され、間も置かずに古い帳面を携えた三十そこそこの若い僧侶が現れた。こもごもの挨拶の後、早速その中身にうつる。

「こちらがお預かりしております逆上村の過去帳でございます」
「拝察致します」
 僧侶は淡々と説明を続ける中、鷹一郎は早速帳面を捲る。
「一応当寺が逆上村集落の菩提寺ということにはなってはおりますが、実際は村の方との交信もほとんどございません。もともと逆上村にありました逆来寺さかきじが廃寺となった際、所々諸々をお預かりしてそれっきりです」
 逆来寺は崖の上にあり、この幸来寺と親交を深めていた。けれども逆来寺は廃仏毀釈の際に破壊され、再興することもなく最も近くで無事であった幸来寺を菩提寺ぼだいじとしたのだそうだ。
 廃仏毀釈。
 御一新前後に多くの寺社が民衆の手によって打ち壊された。俺が10歳くらいの時だ。俺の生まれは東北でこの神津じゃないが、誰も彼もが時の風に吹かれて狂乱していた時代だ。このあたりのような古刹の多い地域ほどその破壊の影響を受けている。
 鷹一郎は帳面の一番うしろからめくるが、直近の記載はなさそうだ。千代の名も。
「昨年秋から現在にかけて建てられたお墓はございますでしょうか」
「当寺には逆上村の方の墓は一基もございません。死人が出れば逆来寺の墓地に埋めているとは聞いております」
 年に一度、まとめて逆上村から連絡が来るらしい。
「では本当に最近のことなのですね」

 戸籍が編纂されるまでは寺請制度に基づき寺が人の出入りの管理を行っていた。鷹一郎が捲っている過去帳は、その名残なごりだ。家毎に作成されるものと寺用に作成されるものがあり、寺用では所属する檀家だんか各家累代の記録が記載されている。
 鷹一郎は最初から再び帳面をパラパラめくり、チラと手を止めたページでわずかに眉をひそめた。そこからはなかなかのスピードで、時折小さな紙片をしおり代わりに挟みながらひたすらにパラパラとめくっていく。はたから見ていても何を読んでいるのかわからない勢いで最後のページまで到達し、鷹一郎はパタリと帳面を閉じた。
「30年に一度ですか」
「なにかございましたか」
「こちらを御覧ください。おおよそ30年周期で村人が亡くなっている」
 鷹一郎が閉じた帳面をそのまま縦にすれば、その様子は奇妙だった。その上部に挟まったしおりが綺麗に等間隔に並んでいるのだ。
「ふうむ? 流行り病か何かでしょうか」
「このあたりで定期的に流行る病のようなものはございますか? もしよろしければ近隣の過去帳も拝見したいのですが」
「定期的に……そのようなものは寡聞かぶんにして存じません。本来はお見せするものではないのですが、ようございましょう。ご紹介のご縁もございますし」

 僧侶の後ろ姿を見送りながら鷹一郎は俺の腕をつついて改めてページを開く。
 そしてその示された数に慄いた。
 それぞれのしおりの場所には少なくとも五人、時には三十を超える人の名が死亡者として記されていたのだ。死亡日を見れば全員がさほど間を置かずに次々と死んでいる。あの村はせいぜい家は三十戸ほどだった。しかもいくつかは既に廃屋と化し、使用していなさそうな家屋もある。
 昔の村の様子はわからないが、現在の状況を前提とすれば各戸一人ほどは死んでいる計算だ。村には死者があふれかえったことだろう。年齢は幼児から老人まで漫勉まんべんなさそうだ。体力の有無では太刀打ちできない強い病に思える。
「ざっと拝見すると定期的に病が起こり、一定の期間ののちに収束している。とすれば安定した解決方法が存在したように思われます。この過去帳の最初のつづり寛永18年西暦1641年ですから、やはりそれより以前からあの桜はあったのでしょうねぇ」
「千代は病快癒やまいかいゆの生贄、か?」
「その線は妥当そうですが何か、妙にひっかかります」
「何か?」
「必ず三日毎に人が死んでいる」
「三日」
 改めてその帳面を見てみると、確かにどのページも死亡日はきっちり三日おきだった。

「お待たせいたしました。一番近い村の過去帳をお持ちしました。けれど、ざっと確認した範囲ではそれほどおかしな様子はなさそうです」
「拝察いたします」
 鷹一郎は帳面を受け取り、パラパラと捲り始める。
「他の村の過去帳もいくつか確認したのですが同様でした。ところで寺男が逆上村に時折妙な病が発生するらしいという噂を知っておりました。ある村にのみ生じる病、風土病というのでしょうか。そのようなものが存在しうるものなのでしょうかね」
 住職は整った眉を僅かに潜め、不安げに鷹一郎を見つめる。幸来寺と逆上村は歩くにはそれなりの距離はあるが、直線距離は近い。崖のすぐ上と下だ。心配もするだろう。
「なくは、ないですね」
 帳面をパラパラめくるそのすき間に次々としおりが挟まれる。今度は鷹一郎の手元を注視していたが、そのいずれもが時期や記載内容から飢饉や天災の年のようにも思われ、パタリと閉じられた帳面の天の栞はざくざくとすき間が空いていた。
 つまり近隣の村には逆上村に生ずるような定期的に発生する病はない。

「例えば4年前明治12年、そして昨年にも虎狼狸コレラが流行いたしました」
「4年前は10万人、昨年は3万人を超える死者が出たと新聞にありましたね。あのときは酷い有様でした。高熱や腹痛で貧しい者から倒れて。こう申しては何ですが当寺も大変な騒ぎでした」
 住職はしんみりと頷く。あの狂乱は記憶に新しい。まるで呪いのように次々と人が倒れ、皮膚に黒い斑点ができてあっという間にコロリと死ぬのだ。流行り病とはかくも恐ろしいものかと思い知る。
「そうでしょうね。神津港に防疫所ができましたが、虎狼狸というものは外国から来た病で、元々は日の本には存在しなかったものです」
「そのようですね」
「それと同じように病というものは特定の場所で起こり、それが伝播することもままある。けれども反対に伝播しないこともままある。そんなありふれた病の一形態という話です」
 難儀ですね、と住職は呟く。
 それからいくつか鷹一郎と住職は世間話をして、俺たちは辞した。

 結局の所、わかったこととしてはあの古い桜はおそらく300年より前に生え、それ以降30年毎にあの村に病が生じているということだ。その度に生贄を捧げているとするならば、300年で10人。
 嫌なことにあそこに生えていた木のおおよその数と符合する。
 見上げてもここからは逆上村は見えはしないが、やはりなんだか嫌な気分になった。
「なぁ、虎狼狸も妖の類なのか?」
「馬鹿じゃないの?」
 鷹一郎の呆れたような口調はいつものことだが、加えて哀れ気な目で見上げられた。
「はあ? お前が言ったんだろ」
「虎狼狸が妖怪というのは新聞のデマですよ。れっきとした流行病です。それに虎と狼と狸の化け物がうろついて病気になるわけ無いでしょう。さっきのは事実ではありますが、風土病というのを適当に誤魔化しただけです」
「なんでまた」
 ふぅ、と鷹一郎はため息をつく。その間も鷹一郎の足元は忙しない。昼過ぎに屋代やしろの店に行く約束をしている。公的な資料の次は民間の噂、というやつだ。
 屋代賢示けんじは逆城南で好古家収集家をやってる知り合いで、古い資料をたくさん持っている。先程の寺男の噂話のようなものを屋代は趣味兼実益としてたくさん集積しているのだ。
 そしてふと、目の端を赤い花びらがちらつきギョッとする。急いで捕まえればそれは桜ではなく梅の花。思わずホッとした。逆城神社の有名な梅林、あるいはその辺りの家屋の庭から飛んできたものなのだろう。
「哲佐君。逆上村の流行病は客観的には風土病です。風土病の面倒なところは、その病だけに注目してはいられない所なんですよ」
「生贄か?」
「馬鹿じゃないの? いえよく考えれば風土病じゃなくて奇習になるんでしょうかね」
「そりゃ一体、何が違うんだよ」
「少しはそのご立派な体の上に乗っているものでお考えなさいな」
「ふむ」
 逆上村では三十年毎に病が起こる。他の場所では起こらない。奇習とは奇妙な習慣のことだ。生贄というものは奇妙な習慣なのだろうが、そう考えていくと我が身につまされる。俺は全国津々浦々、都でも田舎でも生贄を仕事にしているわけだ。
「奇習ってのはどこにでもあるもんじゃねえのか?」
 鷹一郎は盛大にため息を吐いた。
「奇習というのは古くからの習わしです。それは奇妙だなと思っていれば済むことですが、風土病というものは場所にまつわる病です。ようするに下手に風洞病があるだなんて噂が流れると、犬神憑なんかと同じように差別の温床になるんですよ。あの村の出身は病持ちだとか呪われてるとかね。だからあたかも風土病があるかのように述べるのはよろしくありません」
「面目ねぇ」
「それにこの化け物はもう私のものです。私が祓いますから今後は流行病なんて起こらない。だからこれから事実無根になる噂なんて、ないほうがいいんですよ?」
 何故だか得意げな鷹一郎の真意はいつも通りさっぱりわからないが、その理屈にはぐうの音もでなかった。けれどもその内容を噛み締めると、結局今まで流行病か起こっていて、現在のままでは、つまり鷹一郎が祓わなければ起こりうるということだ。
 あの桜の木が何者で、何故千代をとらえているのか。千代は薬を作るといっていた。その対価として、千代は生贄となることを大人しく是としているのか。生贄。ようするに千代は生贄なのだ。あの村を守るための生贄。
 俺は千代に妙に同情していた。それは俺がちょくちょく、嫌々に生贄になっているのもあるだろうが、千代の妙に堂々とした言葉や態度が眩しく感じられたのだ。けれども他の村人が助かっても、千代は助からないんだろう?
 なんとか千代も助けてやりてぇな。
 けれどももうあまり余裕がないのも確かだ。急がなければならない。何故ならここ数日、追い立てられるが如くその気温が上昇していたからだ。
 梅が散りきれば桜が咲く。
 だから千代も村人も助かる方法があれば、それが最善だ。

 そんなことを頭に巡らせているうちに、いつのまにやら足は屋代の店にたどり着いていた。
「ごめんくださいよ」
「あいよ」
 そんな簡単な返事が、暗い暗い店の奥から聞こえてきた。
 屋代の店は最近開発された逆城南にある。つまり店はできたばかりで漆喰の匂いも鮮やかだ。そのはずなのに一歩足を踏み入れれば既に僅かにかび臭く、店内はひたすら暗かった。よくみると薄っすらとだけ明かりが差し込んでいるようだが、表通りに面した店先に燦々と照る陽の光とのコントラストで、その奥はほとんど闇だ。
 とはいえしばらくすると目は慣れる。
 所在なく待っているとたくさんの物やうず高く積み上がった本をかき分け、ゴソゴソと不釣り合いに大きい頭を揺らす小さな男が奥から現れる。
 そうか。この大量の物が窓やら何やらの明り取りを全て塞いでいるのだな。もったいない。

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