見出し画像

鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~ 第十二話 終 桜の顛末

 気づいた時、久我山くがやま医院のベッドの上で大量の点滴だかなんだかの管につなげられていた。全身がぐたりとだるく、目を開けるので精一杯だ。
「おや、ようやく起きましたか」
「ふん。ここの払いはお前持ちだろうな? ちゃんと払えよ」
「もちろんですよ。ここまでが哲佐君のお仕事ですから。それにしても、ねぇ」
「なんだよ、仕事に文句でもあるのかよ」
 鷹一郎はにやにやと他人前では見せない揶揄からかうような表情で俺を見下ろす。開いた窓からぴゅうと風とともに桜の花びらが何枚か舞い込み、思わず外に目を移せば、そこに生えた桜の木は満開を既に終えて、黄緑色の葉で覆われていた。
「仕事に文句なんかありませんよ。あいも変わらず素晴らしいお手前です。けれども哲佐君に報酬をお支払いしてしまうと、あっという間に博奕でスってなくしてしまう。なんだかドブに金を投げ込むようで居た堪れない気分になるのです」
「うるせぇ。どう使おうと俺の勝手だ」
「誠にそのとおり。本当に残念な人ですねぇ」

 結局俺と赤矢で花を咲かせ、白桜が解除した結界を通って鷹一郎と倉橋がその内側に入り込み、鷹一郎が白桜を祓って封じ、白桜が復活しないように倉橋が本体の巨木を切り倒したのだそうだ。
 俺から芽吹いた桜は鷹一郎が前日に村外と各家に張った結界に阻まれ、誰にも届かずに霧散した、らしい。千代の体は鷹一郎が、俺の体は倉橋が担いで村まで運んだという。
 あんなでかい木を斧一本で切り倒せるものかねと思ったが、妖というものはその妖力だの魔力だのが本体だそうで、芯を失えば後は脆いらしい。
「そんなものかね? なんだか釈然としねぇ」
「そんなものですよ。それにどんな巨木でも斧一本で倒すものです。第一巨大な斧なんてものが存在しても、そもそも人が持てないじゃないですか」
 そう言われてしまうと言い返しようがない。
 本体がなくなればいくら大妖怪でもどうしようもないと言う寸法だ。
「赤矢が生贄にならなかったらどうするつもりなんだ?」
「別にどうとも。もともとは赤矢さんのご依頼です。赤矢さんが千代さんの魂を望まないのであれば千代さんの魂と哲佐君の魄でも花は無事に咲きますので。千代さんの体だけでもご無事にお助けすれば、依頼としては問題ないでしょう? 魂魄がなくてもしばらく肉体は生きていられます」
「……人情に欠ける奴だな」
 目で非難してみても、こいつは鉄面皮だ。
「お仕事なのですから、依頼者が望まないなら仕方がないでしょう? それにあれは中々大変な妖でした。なにせ何百年にもわたって生贄を求め続けた大妖怪ですから祓って封じるだけでも相当な労力です。魂まで用意する余裕はありません」
 鷹一郎はツンとそっぽを向く。

 あの白桜という奴がどれほど危険な妖なのかは、俺には正直わからない。相手が強大であろうと木端こっぱであろうと、俺の仕事は食われることだけだからな。
 そのために金をもらってるんだ。金をもらって、一応は鷹一郎が俺を守るという約束になっている。だから基本、よほどじゃないと死ぬことはない。けれどもよほどのことがあれば死ぬ。それはとても恐ろしい。だから対価に大金をもらう。
 けれどもあの村の連中は金ももらわず騙されて長年生贄を捧げてきた。それを思うと心が痛む。
「そんなこともないんですよ。あの村は白桜と共生していた。まさに一心同体」
「共生?」
「おそらく最初に地の力が尽きたのは本当かもしれません。藩の記録を見れば昔の逆上村は相当に羽振りが良かったようですからね。だから旅の僧侶なんていう怪しげなものにつけ込まれるのです」
「まて、坊主も悪者なのか?」
「そうですねぇ、悪とは何なのか」
 そう独りごちる鷹一郎は窓外の緑の桜を眺めた。ここがいつもの病室ならば、あちらは逆上村の方向だな。

「哲佐君。今は色々薬や治療法はありますけれども、昔は薬は生薬しかなかったのです。その生産元として逆上村は神津公や藩にとっても重要だったでしょう」
「神津藩? そんなにでかい話なのか?」
「藩は村を存続させたい。そしてあんまり大っぴらに村民が金を持っていると野盗に狙われますし、様々な勢力がしゃしゃり出てきてしまいます。だから生薬栽培を秘密にしたい。そこに流行病。どうしますか?」
「どうするって……とりあえず病気を治してそれから口止めじゃないか?」
 鷹一郎はしたり顔で頷く。
「その通り。戦国時代の陣中医は兵士と見分けるために剃髪しています。それを引き継いで徳川様の世になってからも、藩医はずっと剃髪です。まあ昔は医術と加持祈祷は近しかったですから、経文を唱えたのかもしれません。何故白桜の枝を持っていたのかは分かりかねますがね」
 鷹一郎の見立てでは、坊主に見えたのは神津公のお抱え医者で、村を救って口止めするために訪れた。けれども病は思いのほか強大で、医者も倒れた。
 けれども使命はなさねばならぬ。だから村人を縛る桜を植えて、それで生薬栽培は秘密となり、他に話は出せない故に藩に生薬を収めざるを得ず、そうすると無理にでも生薬を作らなければならなくなった?

「うん? でも巫女を出せと言ったのは坊主じゃないのか?」
「その時何が起きたかなんて、もはや分かりません。最初は神木だったのが病に罹り呪木になったのか。最初から呪物として利権に満ちた逆上村を手中に収めたかったのか。いずれにしても逆上村は対価たる利益を受けています」
「利益? 金じゃ命は」
「その命ですよ。幸来寺で近隣の村の過去帳を見たでしょう? 逆上村の過去帳では、事故や普通の病以外ではきっちり30年毎の白桜の病以外、死人はいない」
 うん?
 ……確かに上から見た過去帳は、不自然に均等に紙が挟まれていた。
「白桜も村人が滅びては困るのです。最近では狐狼狸が流行りましたが、他の村が滅びかけるような流行病や飢饉でも、逆上村では死人はでない。30年に一度、白桜に巫女を捧げさえすれば、逆上村では病で死ぬことはないのです。総合すると他の村より死亡率は圧倒的に低い。出生率も高くはないようですが」
「……だから共生関係、か」
「そうです。でも結局妖というものは時代に合わなくなってきたんですよ。だから私に依頼が来たのです」

 鷹一郎は目を細めて、本当に世知辛いですねぇ、と呟いた。
「依頼、か。そういえば赤矢はもともと手紙を出した時点で死んでたんだろう? 金はどうやって回収するつもりなんだよ。ちゃんと俺には払えよ?」
「失敬な。哲佐君の報酬分くらいはいつでも手元にございます。赤矢さんからは時間をかけてでも鍵屋が回収するでしょうよ。だから鍵屋も私に回してきたのでしょう? 鍵屋の手間賃を考えても今回はこれが手に入りましたから、それだけでも上々です」
 げぇ。
 鷹一郎は懐から、未だ春の香りの残る一本の枝を出して俺に見せた。勘弁してくれ。何故わざわざそれを俺に見せるのだ。
 苦情を述べると鷹一郎はすごすごと枝を懐に仕舞い、再び消毒薬の香りが満ちた。うむ、落ち着く。
 白桜に鷹一郎が主人と教え込むには常に肌身離さず、らしい。近くにいると考えると身体中がゾワゾワする。
 でもまぁ、そうか。鍵屋はがめつい。あいつは何があってもどこからだろうとも取り立てる。東京にいた頃からの知り合いだが、恐ろしくてあいつからだけは金を借りぬと決めている。

 そう思っていると廊下を駆ける音がして、千代が息を切らして飛び込んできた。
 俺と違って元気だな。俺は体を司る魄をあらかた食われたんだから動けないのは道理なのだそうだ。体の動かし方がよくわからない。なんだか動かし方の知識自体が欠けているような心持ち。
 一方の千代の魄は搾り取られていただろうが、全てを吸い取られる前に白桜から返還されたはずだ。回復速度の違いはその辺りから生じたのだろう。
「あの、山菱様がお目覚めになられたと言うのは誠でしょうか!? お助け頂きありがとうございます!」
 改めて見た千代は儚さなどなく、やはりキリリとした意志の強そうな瞳を持つ美人さんだった。
「ああ。実際に会うのは初めてだが、覚えてるものなのか?」
「おぼろげにですが、最後に誠一郎様に会わせていただきました」
 わずかに湿った目元を伏せて、千代は深々と頭を下げた。鷹一郎が俺に耳打ちする。
「毎日哲佐君の看病に来られていたようですよ」
「毎日? そういえば俺はどのくらい寝てたんだ?」
「そうですねぇ、半月あまりでしょうか。それからあと半月はまともに動けないでしょう」
「そうか、まぁ仕方がない」

 いつものことだ。それも含めての報酬だ。そうするともう春分、か。
 千代には丁寧に礼を言われ、見舞いにと羊羹を頂いた。贈答品としては最近鉄板の銘菓虎蔵めいかとらぞう。俺はどちらかといえば辛党だから、そのうち鷹一郎の腹に収まるのだろう。それもなんだか、癪に触る。
 千代の村は細々と生薬の受注をして暮らし始めているらしい。そのうち千代も逆城南の家を引き払って逆上村に戻って手伝うそうだ。村を出ていた若者も戻る者は多いらしい。ふるさと、だからな。
 千代は何度も礼をいい、明るい笑顔を残して病室を立ち去った。本当に助かってよかったよ。
「それでお前は見舞いにこなかったのかよ」
「何を言うんです。目覚める頃合いに合わせてちゃんと来たではないですか。大変心外ですね。それよりあなたが欲しいのはこちらでしょう?」
 鷹一郎が高らかに掲げたその包みを思わず引ったくる。1、2……。
 ひひ、体を張った甲斐があったぜ。
 金というものは大体の問題を解決するのだ。退院したらこれで一発逆転だ。
「うん、確かに」
「ではまた宜しくお願いしますね」
「ケッ。またなんてねぇよ」
 病室を出る鷹一郎の背中にそう投げかけてみたが、退院から一週間がたつ内には俺はまたスッカラカンになっていた。
 鷹一郎が言うことは最終的にはだいたい正しい。それがまた腹立たしい。

#創作大賞2024 #ホラー小説部門 #桜 #陰陽師 #生贄 #明治時代

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?