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初めての吉田酒造店
2018年1月6日のことだ。友人たちと旅行で石川県に行くことになった。
たしか、旨い魚を食べて温泉に行こう!というようなことだったと記憶している。日が明確なのは写真を保存していた Google Photo のおかげだ。
「手取川を造っている吉田酒造店に寄ってもいいか?」と伝えたのは、どのタイミングだったか忘れてしまった。
初めての吉田酒造店
金沢駅でレンタカーを借りて、隣の白山市にある吉田酒造店へ30分。アポ無しで訪れた。
客として手取川を1本買って、温泉で皆で呑めたらと思った。
大きな酒蔵の入口に暖簾がかかっている。
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酒を選ぶ目を持ち合わせていなかったので、気さくにお出迎えくださった女性におそるおそる伝えた。
「あの、ぼくの実家が兵庫県三木市の山田錦農家でして、こちらの手取川になっているのですが…。」
するとその女性の方は、
「えー!!いつも本当にありがとうございます。遠路はるばるようこそお越しくださいました。」
ととても驚かれて、お礼の言葉を沢山並べて歓迎くださって、そう長くない時間にいくつかお話ができた。
ふと手取川のことを思い出して、友人たちと初めて訪れたこと。
山田錦をつくっている父もまだ訪れたことがないこと。
手取川が生まれて初めて飲んだ日本酒であること。
帰りにたくさんの搾りたての酒粕を持たせてくださって、
「もうすぐうちの跡取りになる息子と、岩崎さんは同い年だと思いますから、またお話してやってください。」
と言われたことをはっきりと覚えている。
その女性は、後に杜氏兼社長になる吉田泰之さんのお母様だった。
最後に「後は継がれるのですか?」とも尋ねられた。
「…分かりません、まだ。」と咄嗟に答えた。ちゃんと考えたこともなかった。
ぼくは米をつくっていない。
「来てよかったな。」と友人たちが言ってくれた。ありがとう、今も感謝している。
宿へ向かう道すがら、どこか複雑な気持ちで車を走らせた。
とてもありがたくて嬉しい時間だった。でも、ぼくは米をつくっていない。
本当に感謝されるべきは父であり、集落の皆さんだ。
父も吉田酒造店を訪れたことはなく、面識もない。集落の皆さんもほとんどそうだろう。
いつだったか、ぼくがまだ小さい頃に「うちでつくったお米はどこで食べられるの?」と聞いたら、
「テドリガワっていう日本酒になってるらしいわ。」
どこか遠くの出来事のように父が教えてくれたこともまた、覚えている。
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また必ず戻って来ようと思った。
あとがき
この時いただいたのは手取川露燦然(つゆさんぜん)。気持ちよく皆で呑んで胸いっぱいになりましたとさ。
最高級の酒米を惜しみなく手間をかけて醸した純米大吟醸をマイナス5℃の環境で生熟成。まるで完熟メロンを頬張った時のような感動が口いっぱいに広がります。
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そして隣の小松市にある松井秀喜記念館に寄ったこともまた、Google Photoのおかげで思い出しました。
受付のお出迎えはこれまた?松井秀喜さんのお母様。
そして入口にある感動ムービーで号泣する友人。また行こうな。
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