国家は成長し続けなければならないのか?

 現在の日本には数多くの社会問題が存在する。それらを、より根本から考えてみたいと思ってnoteを始めることにした。まずは、「国家は成長し続けなければならないのか?」という問題をみていきたい。

 バブル崩壊以後、日本経済は停滞を続けていると言っていいだろう。現在の政権はデフレ脱却を掲げて大規模な金融緩和を行っているが、大きな成果が出たとは言い難い。

 客観的に見ても、超高齢化社会と少子化、不安定な国際情勢、多国籍企業の寡占化などを踏まえれば、日本の経済成長は非常に難しい。しかし一方で国家は「成長」にこだわる。「成長」という言葉で「マイナス」という言葉を打ち消そうとして生まれたであろう、「マイナス成長」という言葉がそれを象徴している。政治家からすれば、国家が成長していると思わせれば国民は納得する、という計算があるだろう。だからこそ彼らは「成長を目指す」というポーズを取るし、「衰退」ではなく「マイナス成長」という言葉を使う。

 ここに、一つの疑問が生まれる。近代国家としての日本は、「成長」を第一とするイデオロギーのもとにしか存在してこなかったのではないか?

 もちろん、どの国でも「成長」を重視してきただろう。しかし、先進国と呼ばれる国々はどこかで、それ以外の価値を見つけたのではないだろうか。福祉国家となった北欧はその一例だろう。一方で日本は、明治時代に列強の一因となることを目指し、戦争に敗れ、高度経済成長へと向かった、その成長第一イデオロギーから抜け出せていないのかもしれない。

 「失われた10年」は20年になり、30年になったとも言われる。そのなかで、成長でも衰退でもない「安定」に向かう時期は、既に来ているのではないか。政府が昨年導入した「特定技能制度」など、外国人労働者を増やすという方針もうまくいっているとは言い難い。かといって代わりのモデルがあるわけではない。「安定」は決してネガティブな意味ではない。現状を受け入れ、背伸びせず最善を尽くすことが必要だと、私は思う。

 本題に戻ろう。国家は成長し続けなければならないのか?
むしろ、現代を迎えることで国家は衰退できるようになったのではないか。以前であれば、勢力の弱まった国は外敵の攻撃か内側からの反乱によって滅んでいった。しかし現代ならば、堂々と他国を攻撃できるわけでもないし、内側からは選挙を経ることで平和裏に改革が進む。
「成長し続けなくてもいい国家」が存在しうる空間ができつつあるのでは、と思う。もっとも、そこまで現実は甘いものではないのかもしれないが。

 他人事ではないのだが、「以前は影響力のあった国」への内外からの視線の変化はどうなるのか、はっきり言って興味がある。
そういう部分も含めて、この世界を注視していきたい。

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