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僕たちに必要なのは「雲をつかむような話」なんだ。

僕はいろいろな生徒から質問を受けますが、なかでも多いのが「どういう勉強をすれば受かるのだろう?」という質問です。
僕自身、そのようなことは受験生時代にとても気になっていたことですので、彼らの気持ちは痛いほどにわかりました。

ただ、あまりにもたくさん聞かれるので、先日出版の機会を頂いた際に、僕なりの勉強の方法論を全てまとめて本にすることにしました。

受験生の時、僕自身知りたかった情報は何だろうか?ということを考えながら書いたので、「この本に書いた内容を元にして勉強すれば、大体の人は伸びるはず」と自信を持って言えます。

どのような勉強に対しても、それこそ受験生から資格試験の勉強を考えている社会人の方まで使えるように、あえて方法論を抽象化して書いたので「もっと具体的に書いてほしい!」という意見も数多くあるでしょう。

しかし、それがいけないのです。
その「具体の要求」こそが、落とし穴。だからこそ、実力が伸びない。

"具体"のワナ

なぜ「具体の要求」をしてはいけないのか?
それは、僕の方法論を"雲"だとすると、具体的な用例は"雨"だからです。
雨それ自体に天気の本質はありません。

雨が降るのは、大気中の水分が結集して雲となり、その雲の中でできた氷の粒が大きくなって落ちてくる途中に溶けてしまい、水に変わるからです。
「雨」といえば天から降り注ぐ水のことを言いますが、もともとは氷だったのです。

空から落ちてくる水は、あくまで大気中の条件を元にして雲から出力された結果の一つであり、元から水が備わっていたわけではありません。
これを勘違いすると、恥をかいてしまいます。

更に言えば、例えば地球上でも場所によっては雪が降ったり降らなかったり、台風が発生したりしなかったりするように、結果の出力は個別の条件によってもかなり変わってきます。
あなたが熱帯地域の天気を管理している神様だとして、雪国担当の神様の結果だけ見て、何か参考になるでしょうか?

逆に言えば、本質さえ掴めば、自分の条件に合わせて、方法論をカスタマイズできるということ。
あなたも天気を自在に操る神様になれるということなのです。
僕たちには「雲をつかむような話」だからこそ、必要なのです。

おとぎ話によくある展開

「雲をつかむような話」の大切さ、抽象化の重要性はおとぎ話にも見ることができます。

例えば、「はなさかじいさん」について考えましょう。
この話では、主人公たる「良い爺さん」は犬にやさしくしたために犬からたくさんの恩を返されました。

一方で、悪役の「悪い爺さん」は「犬から恩を返された」という事実のみを元に行動したので、肝心な「犬にやさしくする」ということをしなかったのです。
その結果として、彼は散々な目にあいました。

もう一つ例を見てみましょう。
例えば、「こぶとり爺さん」について。
この話では、主人公の「陽気な爺さん」は陽気に踊って鬼を楽しませたためにこぶをとられました。

たいして、隣村の「陰気な爺さん」は「踊ればこぶがなくなる」という事実のみを元に行動したために、肝心要の「鬼を楽しませる」ということができず、逆にコンプレックスのこぶが増えてしまった。

どちらも共通して、失敗した爺さんは成功した爺さんの「直接の成功体験」にのみ注目してしまったが故に、悪い結果となってしまっています。
「犬にやさしくする」や「鬼を楽しませる」といったような原因があったからこそ、結果として、爺さんにとって都合の良いイベントが出力されたのです。

その結果の部分にのみ着目するのは、何も分かっていないと言わざるを得ません。
しかし、このような「結果のみを求めてしまう人」は大勢います。

それこそ、「この問題がわからない!考え方とかはいいから、どうやって解くの?」と言って、解説もロクに聞かずに答えだけねだった経験はありませんか?
もしくは、「どういう風にやれば暗記しやすくなるの?」といって、意識すべきポイントのところを聞き逃して、機械的にその方法を猿真似した経験はないでしょうか?

これらはすべて、「結果だけ求めている行動」です。
それでは、おとぎ話の「悪い爺さん」と変わりません。
結果だけを求めていては、何も見につくことはありません。

本を捨てよ!

ここまで見てきたように、あくまで大事なのは抽象的な方法論です。
人によって様々な境遇にいるからこそ、あまりにも個別の例を出しすぎると、それをマネしても全く結果が出なくなってしまう。

僕は、とにかく「成績下位~中位層の子たちが成績上位層に行くための手助けをしたい」という一心で本を書きあげました。
成績下位~中位層の子と言えば、少なくとも日本の全学生の60~70%程度を占める、ボリューム層です。

彼らにも多様な条件があるでしょう。
「実家が金持ち/貧乏」だとか「都会住み/地方住み」だとか、それぞれの個別の状況を仮定していてはキリがありません。

なので、あえて僕の本は少しフワッとした方法を書いているのです。
それは、「この本を元にして、自分なりの勉強方法を作り上げてほしい」という思いからです。

いうなれば、僕の本はプロトタイプ。
ここから不要なところを削って、必要な部分を自分で補って厚くして、自分だけの形を作り上げることができれば、きっとあなたは成績トップ層の仲間入りをしていることでしょう。

だからこそ、僕の本なんて早く読み切って、捨ててください。
日本には「守破離」という考え方があります。
第一に教えを"守"り、次に教えを敢えて"破"り、最後に教えから"離"れてゆくというもので、人が素人から達人に至っていくまでの過程を表しています。

どのような基本も大切ではあると思いますが、一番大事なのはあなた自身が実地経験の中で得た教訓です。
「守破離」の"守"の段階は早期に卒業してしまいましょう。
そうしたら、またあなたが勉強法プロトタイプ2.0を作ればよい。

これを繰り返していけば、ありとあらゆる勉強に関するレベルは段々と上がっていくはずで、僕はそのような大きな上昇螺旋を作りたいと考えています。

まだまだ小さすぎる一歩ですが、いつかは世界を変えられるように。
「抽象の方法論」を面倒くさがらず、どうか試してみてください。

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