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『PUI PUI モルカー』は光と音の狭間でもがいたアニメ監督の反撃の狼煙だった。

前回、こんな記事を書いた。

正直、「オレ、うまく書けたじゃん。今回は万バズ行けるやろ」とドヤ顔でエンターキーを押したのは確かだ。
でも、これは間違いだった。

誤った情報を広めてしまいました。
ごめんなさい。

『PUI PUI モルカー』は、子供向けアニメではない。
かといって、大人向けアニメでもない。
そう、これこそ、「人類向けのアニメ」とでもいうべき、新たなジャンルであったのだ。

〇ぷいぷいぷい!

前回のnoteでも述べたように、このアニメでは一切の言葉が発されない。
あるとすれば、人間の感情を表す声(うめき声、笑い声、泣き声など)や、モルカーたちの鳴き声(リアルモルモットからサンプリングしたのだとか。脱帽。)くらいである。

ついでに言うと、人間キャラもほとんど出てこない。
あくまで人間はサブキャラクターで、主役はモルカーであるからだ。
このアニメから主に流れてくる声と言えば「ぷい!ぷいぷい!」というモルカーたちのキュンカワボイスのみである。

だからこそ、そんなノンバーバルコミュニケーションだけでアニメーションを成立させるという見里監督の手腕は見事だなぁ、というのが前回記事の内容であった。

「幼稚園児なんて言葉も分からないだろうに……
……ハッッッ!?つまり見里監督は、言葉も分からない乳幼児にさえも自分のアニメーションを浸透させるために、敢えて高度に抽象化した世界観のアニメを組み立てたのか!?

やはり、天才じゃったか……!」

だいたいこんな感じである。
実際、これでアニメを一本作成するその発想と、それを可能とする変態技術はヤバい。

とはいえ、このアニメの秘密はこれだけではなかった。
実はこの作品、見里監督がこれまでのアニメ界の常識をブチ破るために世に放った刺客、言うなれば「究極完全体のアニメ」なのだ。

〇究極のアニメ

『モルカー』は言葉を使っていないが、実はそれ以上に際立つ特徴がある。
もう隠してもしょうがないので言ってしまうと、それは異常なまでの「テンポの良さ」である。

試しに、以下の動画(もちろんYouTubeのバンダイ公式アニメチャンネルである)を【0.5倍速にして】視聴してみてほしい。

普通のアニメを0.5倍速で視聴したなら、作画も何もかもベッタベタになって、1分とみていられなくなってしまうだろう。
しかし、『モルカー』はどうだろうか。

「意外と見ていられる」
それどころか、むしろ「普通のアニメと同じ感覚で見られる、みやすい」と感じたのではないだろうか?

そう、この『モルカー』というアニメ、幼児向けのアニメでありながら、とにかくハイスピード、ハイテンポにて話が進んでいく
こんなの情報量が多すぎて処理なんかできない……

……と思いきや、そうでもないのが見里監督の凄いところ。
通常の2倍の速度で入ってくる視聴覚情報。
普通なら処理できないはずなのに、なぜかスイスイ頭に入るのである。

その秘密はどこにあるか?
1つは、前回も指摘した「言葉の消失」が挙げられるだろう。

〇言葉は遅い?

アニメーションにおいて、発話という行為は、実はとても時間効率が悪い

当然であるが、劇中の登場人物には、我々視聴者とは異なる常識、状況、知識、性格が与えられている。
そして、アニメーションにおいて、「登場人物の視界」と、「我々が彼らの世界を覗くときに用いられるカメラ(つまりテレビの画面に映る範囲)」はイコールではない。

これらは合わさると、現実では省略するような言葉でも、省略することができないということが起こってしまう。

例えば、あなたから左手に5mほど離れたところにある机の上に、本が載っているとする。
机の近くにいる人にこれをとってもらおうとした時、現実世界では「それ、とって」で済む。

「それ」では通じないのではないかと心配だとしても、せいぜい「その本」程度だろう。
これは、我々が実際にその世界に生きているからこそ、「そこに机がある」「机の上に本がある」という状況を、言わずとも共有しているから可能なのである。

一方で、たったこれだけのシーンをアニメで描写するのは意外とめんどくさい。
必ずしも視聴者の見ているものと登場人物の見ているものは一致しない」ということを常に念頭に置かなければならない。

件のシーンだって、何も考えず、人を一人映して「その本とって」と言わせるだけでは、視聴者が置いてけぼりになってしまう
「それ、とって」を成立させるためには、最低でも

① 登場人物
② 机(とその上の本)
③ 机の近くにいる人物
④ ①~③の位置関係

これらすべてを画面内に映さなければならない。
もちろん誰かに視界とテレビ画面とをリンクさせれば①を映す必要はなくなるのだが、その場合は「この画面は誰の人物の視界であるか」を明らかにしなければならない。

また、それまで視界と画面がリンクしていなかった場合に、いきなり画面が登場人物の視覚になったらやはり混乱してしまうだろう。
この場合にも、視聴者に状況の説明は必須なのである。

ただし、あんまりカメラをあっちこっちへ動かすとそれはそれで混乱してしまう。
かといって、一気にすべてを映すアングルにすると、今度はモノが多すぎて理解しにくくなる

ではどうするかと言えば、言葉を使って説明すればいいのだ。
たとえば、最初はキャラクター1人だけを画面内に大写しにしておいて、そのキャラに「○○!後ろにある机に置いてある本をとってくれない?」などと言わせればいいのだ。

そうすることによって、

①○○という名前のキャラが近くにいること
②そのキャラの後ろには机があること
③その机の上には本が置いてあること

上記の3つともをいっぺんに視聴者へ伝えることができる
カメラワークに翻弄されることも、画面内の情報量に困惑することもなく、これらすべてが違和感なく伝わるのである。

「離れたところにある本をとってもらう」
ただそれだけのシーンであるのに、実は様々な工夫が凝らされているのだ。

とまぁ、このように一見すると万能であるような「言葉による状況説明」であるが、これにも1つ、致命的な弱点が存在する。
それは、「時間がかかる」ということである。

基本的に、あらゆる物事について「百聞は一見に如かず」の原則が通じる。
いちいち言葉で状況を説明されるよりも、一目見た方が理解が早いというのは、誰しも経験があることではないだろうか。

しかし、「百聞」を優先しなくてはならない状況だってある。
そのうちの1つがアニメである。
上記したような理由から、「一見」が難しいので、「百聞」に頼らざるを得ないのである。

だからこそ、一般にアニメはマンガよりもテンポが悪い
別にこれはアニメを馬鹿にしたいとか貶めたいわけではなく、結果としてこうなるのである。

〇「光の壁」に勝利した『モルカー』

では、アニメから言葉をとったらどうなるのか?
クリエイター、視聴者双方ともにアニメの難易度は爆上がりするが、一方でうまく作ることができれば、異常にテンポの良い快作が出来上がる。

もうお分かりだろう。
この「光と音の壁」に挑み、見事勝利したのが、『PUI PUI モルカー』というアニメなのである。

このアニメのコメントを観てみると「カメラワークがいい」という意見が非常に多くみられる。当然である。
ノンバーバルコミュニケーションを成立させるためには、どうあがいても「一目で状況が150%理解できるカメラワーク」を生み出すしかないのだから。

キンダーテレビで放送されている以上、メインターゲットは乳幼児であろうが、これも状況を困難へと近づける。
乳幼児は我々大人のようなプリインストールされた知識群 ーいわゆる"常識"ー を備えていないからだ。

常識がないということは、暗黙の了解も果たされないということである。
例えば、第1話で救急車モルカーがやってきたときのことを思い出してほしい。

我々大人なら、「救急車がサイレンを鳴らしながらやってきた」という状況を見ただけで「なるほど、そう遠くないところに病院があって、そこから来たのだな。そして、いまは緊急通報があって急いでいるのだな」と一瞬で理解できるだろう。

でも乳幼児ならどうだろうか?
救急車を知らない赤ちゃんは、救急車を見ただけでは状況が理解できない。

だからこそ、あのシーンでは、
①救急車モルカーであることを強調
②近くにある病院にズーム
③中の患者さんにズーム

と、わざわざ3段階にも及ぶ状況説明を行ったのだ。

見里監督はこのアニメを作るうえで、「一目見ればわかる」のレベルを相当に引き下げながら、日夜格闘しているのだろう。
脱帽である。

〇『モルカー』は正当に評価されているか?

ここまでの努力をしながらも、『モルカー』本編を一見するだけでは、この凄さに気付くことはできない。少なくとも素人には無理である。

先ほどの「カメラワークがいい」という的外れな(それでいて的を射ている)感想からもそれが分かるだろう。
アニメ業界の人は既にこの偉業に気付いているのかもしれないが、視聴者たちはまだそのレベルに達していない

僕は、それが悔しい!
僕は、頑張った人には、頑張っただけの惜しみない称賛が与えられて然るべきであると考えている。
もちろん見里監督がそういう考えでないかもしれないが、それでももっとたくさんのスポットライトが当たってほしい!

僕は別に超有名クリエイターなどではない。
アニメの専門家でもない。ただの素人である。

だからこそ、このnoteが見里監督再評価のそれほど大きな流れを作り出す起爆剤になるとは考えていない。
それでも、たった一つの小さな石として、水面に波紋を起こす程度のことはできよう。

このnoteは布石である。
いつか、これが大きな流れの一つを構成することができれば、それだけで僕は嬉しくなる。

いつの日か、『PUI PUI モルカー』考察ガチ勢が世間に溢れかえって、世に「大モルカー旋風」を巻き起こすことを夢見て、今日は眠ることにする。
おやすみなさい。ぷいぷい。

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