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東大生の成績アップの秘訣は「人にやさしくなること」だった。

僕は東大生だ。
それも、我ながらかなり珍しいタイプの東大生だ。

というのも、自分で言うのもなんだが、僕自身、自分は外れ値であると思うからだ。
色々な点が一般的な東大生の家庭と乖離しているのだ。

まず、僕の家庭環境について。
僕の出身家庭の世帯年収は300万円台しかない。
足立区の中では平均かもしれないが、東大生の中ではかなり低い。

しかも、親戚に東大卒の人間はいない。
それどころか、母方の親戚のうちほとんどは大学にいってすらいない

さらに、僕の母校は進学校ではない。
偏差値でいえば50~55(ベネッセ)くらいだし、僕自身もそのくらいしかなかった。
東大に進学したのは僕で3人目で、東大卒の先生も1人か2人くらいしかいなかった。

カリキュラムも私大受験に特化しており、文系だった僕は高校三年生で数学と日本史、世界史、英作文、英語リスニング、理科基礎を自習で補わなくてはいけなかった
もちろん論述なんて高尚な試験は行われない。

こんな環境から東大に行ったというと、まず言われるのが「君は才能があったんでしょ?」だ。
ぶっちゃけると、才能もなくはないんだろう。
こんな経歴で「僕は才能がありません」なんて言ったら、逆に嫌みの塊だ。

だが、「僕は才能があります!」と誇れるほど僕は頭がいいわけではない
あくまで良いか悪いか二分するなら、僕は良いよりに入るだろうというだけのことであって、「ナシよりのアリ」くらいの存在でしかない。

これを説明すると、「じゃあなんで東大に受かったの?」と言われる。
才能のせいじゃないんかい、じゃあどんなメソッドを使ったんだよ、と聞きたくなるのは当たり前。

そんな時、僕は「空気を読んで、相手を慮っただけです」と答える。
これは大まじめな話である。

というのも、色々な人の気持ちになって、色々配慮していると、どうしても分かりやすく解答を纏めざるを得ないからだ。

例えば、僕は採点官の気持ちに寄り添うように常に心掛けていた。

ふつう、試験を解く側は必死になってガリガリ解く。
多少の字の乱れなんて気にしない。
自分の考えが零れ落ちていく前に、紙上に纏められればいい、くらいの思いで書き連ねる。

しかし、それを読んで採点する人は大変だ。
いったいそれを書いた人が、何を思い、何を考えてその答案を作成したのか、解答用紙越しにしか推測できない。

採点官からしたら、解答用紙に書いてあることがすべて。
どんなに回答者側が「こんなニュアンスで!」みたいな思いを乗せたくても、それが伝わらなかったらしょうがない。
それは回答者側の落ち度であって、意図を汲み切れなかった採点官側の責任は一切ない。

それでも、少しでも採点ミスらしいポイントがあると、受験生は烈火のごとく怒り狂い、採点者を非難する(彼らも人生がかかっているので当たり前であるが)。

つまり、入試の採点者は医者並みにミスが許されない仕事なのだ。
こんな神経をすり減らす仕事を、一日に何十枚も繰り返す
気が遠くなるような作業である。

ここまで考えれば「大量の答案を相手にして、頭がヘロヘロになるまで考えて、大変だなぁ」という思いが湧いてくるだろう。
思わず「お疲れ様です」と声をかけてあげたくなる。

とはいえ、回答者側から「お疲れ」の声をかけることはできない。
回答者と採点官は接触を禁じられている。

となると、回答者の僕からできる最大限の労いとは、「疲れ切った採点官でも一瞬で理解できるような、明瞭かつ簡潔な答案の作成」である。

読みやすい字で、余白を十分にとり、論理の飛躍を無くして、なるべく具体的な説明を欠かさないようにした答案の作成こそが、僕が採点官の方にできる最高のリスペクトだ。

疲れ切った頭にも難なく意味が通るような答案。
これは、具体的に言うなら、「軽く目を通すように一読しただけで主張の根幹と論理の流れが把握できるような答案」といえるかもしれない。

こんなにわかりやすい解答を書くには、まず自分の中で考え方が完全に腹落ちしている必要がある。
自分でもよく分かっていない考えを、他人に明瞭に説明することはできない。

僕の考えるわかりやすい解答とは、それぞれの論理と論理の間が隙間なく埋まっているものである。
数式で言うと、

(x-3)(x-5)=x^2-8x+15

と書かれているよりも、

(x-3)(x-5)=x^2-5x-3x+15=x^2-8x+15

と途中経過が書かれている方が、見る方にとって親切だろう(この簡単すぎる数式の例が適当だったかどうかはさておき)。

同じように、言葉の論理でも、ある論理とある論理の間を埋めるための要素があればあるほど、説明は分かりやすくなる(たとえば、いま僕が本来なら持ち出す必要のない数式を持ち出して下手な説明をしたように)。

ただし、これは恐らくあまり受験生が好き好んで行わないことだと思う。
というのも、単純に時間がかかってしまうからだ。

自分の中で「必要か不必要か分からない」というレベルのことまで拾って説明に加えていると、それこそいくら時間があっても足りなくなる。
しかも、それらを読みやすい字で書かなくてはいけない。
自分本位なままではストレスが溜まって仕方がないだろう。

とはいえ、適当な説明を、自分がわかればいいという思いで書き連ねる。
それではいつか限界が来る。
自分の世界の中に閉じこもっていると、絶対に成績が伸び悩む瞬間が来るのだ。

それは、問題が難しくなればなるほどに、説明しなくてはいけない事項や、その論理関係は複雑化、厳密化していくからである。
ある段階までは「自分の理解」を書いても伝わるだろうが、あるレベルを超えると「採点官に理解させる」という目的を据えて書かなければ、マルがもらえなくなる。

だからこそ、僕は、今でも自分の勉強法の秘訣を「他人に優しく、慮ること」だと考えている。
会うかどうかも分からない赤の他人を思いやるお節介さこそが、僕の東大合格の肝である。

今日は、ここまで勉強法の主軸にあった理念を解説してきた。
具体的にどんな参考書を使ったのか、どういう時間の使い方をしたのか、どういう思考で計画を立てたのかなどなどは、これらに纏めてある。
10月14日までKindle版がワンコインで購入できるので、興味があればどうぞ。

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