10年後を夢見て
人生の分岐点
最近感じているのが、今の自分があるのは過去10年間の結果なのだ。という事です。
人は一生のうち何回か分岐点となる場面があると思います。
引っ越しをする
職場が変わる
家族構成が変わる
社会が大きく変わる
誰もがこのような場面に遭遇していると思います。
そしてこういう場面が起きて、どういう選択をその時とるのか?
何をどう考えるのかは出来事が起きたその時の状況によると思うのです。
自分自身がどう考え、どのように行動するか?
その元となるのは、過去の行動や考え方が元になって次の行動に移るのだと思います。
2011年に私に起きたこと
元夫が緊急入院
お正月早々、元夫が慢性硬膜下血腫という事で緊急入院になりました。
会社の人から夕方電話がかかってきて、様子がおかしいから迎えに来て欲しいと言うのです。
息子は高校2年生、山奥に住んでいたので息子の送り迎えが必須でした。
とにかく息子と連絡を取り合流し、車で1時間ほどの元夫の会社へ行きました。
会社の人から様子を聞いたとき、私が感じたことは元夫に脳血管障害が起きている、という事です。
車の中で息子に最悪を覚悟するように言いました。
会社に着き、会社の人に言われたのは明日病院へと言うことです。
しかし私としては自宅に帰り、翌日出かけるほうが危険に感じました。
このままその足で病院へ駆け込むことを選択しました。
会社の方に先導してもらい、地域の方がよく利用する大学付属の病院へ行きました。
その頃元夫の給料形態は、基本給+歩合給となっていました。
病気やけがで給料が入らない時、頂ける物がありますが書類は会社が書いてくれたものを持って手続きをします。
会社では基本給の部分しか書いてくれなかったので、手取り金額の1/4ほどしか貰うことが出来ませんでした。
入院費は労災でやって頂きましたが、これも当初会社の方は行う気が無かったようです。
入院期間が1か月少々、自宅療養期間を含めて約半年間、収入が激減してかなり大変でした。
当時私は欧州からある物を仕入れてヤフオク等で販売していました。
こちらの売り上げがそれなりにあったので、何とか半年間食いつなぐことが出来ました。
その代わり今まで売り上げの何割かを仕入金額にあてていましたが、仕入れは全くできない状態でした。
それでも今までの在庫があったので、生活費は何とかなりました。
ある日ぱったりと売り上げが途切れました。
商品数が360個を切った時からです。
幸い売り上げが途切れたと同時に元夫の以前働いてた会社が忙しくなり、身分は変わりましたが無事復職する事ができました。
東日本大震災
我が家は特に影響はなかったです。
でもあの事故があるので、不安はありました。
黄色い粉も降りました。
息子は高校2年生、あと1年で卒業、就職を迎えます。
私はありとあらゆる情報をネットで集めようと努力しました。
移住すべきか、留まるべきか?
元夫が退院した直後だったので、考え方を変えれば引っ越しはチャンスでした。
結果として引っ越しをせずにこのまま留まる事を選択しました。
親父が胆嚢炎で手術
ある日、親父のかかりつけの病院から電話がかかってきました。
入院する事になったのでちょっと来てください、と言われました。
親父は、隣の家に住んでいました。
親父は無事退院しましたが、入院期間は3か月ほどあったように思います。
暑かった夏が過ぎて景色は晩秋になっていました。
忙しかった2011年
秋に台風が物凄く近くを通り、停電期間1週間で冷蔵庫、冷凍庫がただの箱になりました。
気づいたら1年が終わろうとしていました。
私にとってこの1年は気分的には3か月間くらいに感じました。
元夫の入院から始まり、親父の入院と続き、走り回っているうちに1年が終わりました。
息子に言われました。
今年はなんてこんなに忙しいのかね?
私は、家と病院を往復する事で終わった1年間でした。
家電製品は次から次へと壊れ、照明器具以外は全て買い替える結果になりました。
振り返ってみれば、分岐点だったのかな?と思います。
そして2012年3月、息子は無事高校を卒業し会社の寮へ引っ越しました。
欧州輸入から中国輸入へ
世間の状況などを考えて、仕入れ先が大きく変わりました。
それに伴い、私の作品用の糸も変わりました。
Amazon販売も始めました。
同時に米国販売は閉めました。
生活の変化
息子が独立し、大きく変わったのが私の変化です。
住んでいた場所が山奥なので、息子がどこに行くにも送り迎え必須でした。
保育園3年間、小学校、中学、高校と合計15年間です。
息子が居なくなり家から出る機会が大きく減ります。
代わりに制作活動が出来る時間が増えました。
私には手まりがありましたが、子供が独立し空の巣症候群になるお母さんの気持ちもわかりました。
特に息子が中学校、高校の時は忙しくて制作に集中できないと感じる事もありました。
それが集中して作れるようになったと感じたのですが、もう1つ問題も起きてきました。
元夫が家に居る時間が増えたのです。
何となく居心地の悪さを感じる事も出てきました。
一番印象に残っているのが、かなり頻繁に「なぜ60過ぎ70過ぎの爺さんにこのような保育園児に言うようなことを注意しないといけないのですか?」と言う事です。
昔のCMに、亭主元気で留守が良い。というのがありましたが、本当に実感するようになりました。
自分の中に種を蒔く
30年以上前に読んだコミックスの話です。
2人の姉妹が居ます。
この姉妹は、あまり良い家庭に生まれることが出来ませんでした。
妹は自分の中に良い種を蒔き、努力をして素敵な旦那さんに巡り合い結婚します。
しかし姉は自分の不運を嘆く事しかしません。
そして幸せな結婚をする妹をねたみます。
そして妹は姉に言います。
姉さんは自分の中に種を蒔き、それを育てる最低の努力をしなかった。
そんな姉さんに、いろいろ言われたくないと。
10年後を夢見て
元夫は「自分の何が悪かったのだろうか?」と言っているようです。
そして出来る事なら離婚前に戻りたいと願っているようです。
覆水盆に返らず
一度壊れた卵は王様の軍隊をもっても元には戻せない
今の私は過去10年間の結果でこうなったと感じています。
元夫に言う事があるのであれば、「何をしたか?」ではなく「何をしなかったのか?」です。
いろいろな事を言って、用意した物や購入した物がありました。
しかしその時言った事のどれだけを行い、努力したのでしょうか?
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家族の為に・・・と言う人たちが居ます。
本当にそうですか?
その言葉を言い訳にして、別の何かを思っていませんか?
やらない事の言い訳にしていませんか?
私からすれば、誰かの為に頑張っているのではなく、それは自分の為でしょ?と言いたいのです。
私は結婚した時に元夫に言われました。
年齢差が17歳ありました。
いずれ私が一人になってしまうから、その時困らないように準備をするようにと。
そして私は言われた通り、その都度出来る限りの事を行い現在があります。
なるべくしてなった結果だと思っています。
一人暮らしを始めてもうすぐ2年になります。
10年後何がどうなるか?
いろいろ楽しみにしながら作品制作を続けます。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。