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『ノマドランド』:住み方ではなく生き方の問題?

主人公の「信念」が強く胸に刺さった作品。(個人の感想ネタバレ有)

今回、ロードトリップものというだけでよだれなのに、大好きな『スリービルボード』主演のフランシス・マクドーマンドが演じるとなれば、観る前から自分にとっての良作になることは決まっていた。自分の好きを確認しにいくための映画はひとりで行きたい。ノマドなので映画館近くのワーキングスペースで仕事して定時ダッシュした。

PC片手に仕事するノマドワーカーと、本作に出てくるノマドはちょっと違う。映画の中のノマドは、職(主に肉体労働)を転々としながら広大なアメリカの土地を車で移動しながら生活する。原作ではノマドワーカーの厳しい現状を伝えるルポだと聞いていたが、映画は社会提議するような体裁はとっていなかった。一方で、決してノマドの生き方っていいんだよ、と解く映画にもなっていなかった。これは、一人の女性の生き方を丁寧に描いた作品だと思った。

冒頭、彼女がノマド生活を始めていく様子が映されていくが、彼女がなぜノマドになったのか?の深い説明はない。

寒い中で一夜を過ごしたり、野外での排泄をしたり、ノマドの苦労がリアルに映し出される。これは、未知の世界への憧憬や、社会からの逃避を描くロードトリップものにありがちな単純な映画ではないということは明白だった(そういう映画ももちろん好き)。それどころか、のっけから寒々しくお花摘んじゃって…。それは今までと違う映画だというワクワク感を与えてくれた。不便そうな生活に彼女が固執する、その意味はなんなのか?惹きつけられた。全然楽しそうに見えない。でもめちゃくちゃ辛そうでも無い。

彼女を注意深く観察しながら、心の中で交流を深める。

彼女の寂しげな表情は何を意味するのか?
大事に持っている両親の遺品はどういうことなのか?
アメリカのアイスケースのロゴはなんであんなに可愛いのか?(脱線)

彼女は多くを語らないが、周りの人物と次第に打ち解け、時にはプライベートな話を漏らす。実際の人間関係と同じように、彼女の表情や仕草で、心情を読み取ろうと努力する。フランシス・マクドーマンドの演技には、言葉を超えて伝わるものがあった。

次第に、彼女には忘れられない恋人と土地があったことが明らかになってゆく。そして彼女の中に、その奥深くに強固な「信念」が横たわっていることに気づく。

アメリカのノマドワーカーの中には、そう生活するほか術が無い人もいると、映画の予備知識サイトに書かれていた。

しかし彼女にはノマドしか選択肢がない訳ではなかった。幾度か彼女に安定した生活の手が差し伸べられる。姉や、旅先で思いを寄せられた人から一緒に住むことを提案される。しかし彼女は少し困った表情をして、次のカットではもう別の土地へ移動していた(早いな)。あえてアウトドアにサバイブすることが好きな人もいるが、彼女は特にそういう趣味があるようにも思えなかった。

彼女は、「手段」ではなく「信念」によってノマドを選んでいた。利便性や合理性の思惑から外れた、思想の世界。彼女は、昔、今は亡き恋人と小さな街に住んでいた過去がある。その街は、多くの住人が生活基盤としていた工場の倒産とともに消滅してしまう。彼女にとっての故郷は、彼と過ごしたその街であり、それ以外を自分の住みかと認識できなかったように思う。彼女はノマドとして自由に生きているようでいて、何かに縛られている。もはや意地のようにも感じられた。それは目の前の幸せを拒否してなお、心の安定を求める姿だった。妥協できない辛さは、彼女自身が一番感じているのだ。誰かが映画の感想として「彼女は地球全体を家にしたのだ」と綴っていたが、どこでも家となるけれど、彼女の家はどこにもない。なぜなら過去にしか彼女の家はないからである。ロードトリップをここまでほろ苦く、リアルに描くなんて。喪失に向き合う姿と、女性だからこそ感じるであろうひとりで旅をすることの心許なさ。この表現は、女性であるクロエ・ジャオ監督だからこそできたのではと思う。

最後に、彼女はそんな縛りからも解き放たれて行ったのでは、というような男性との会話シーンがある。ロードトリップをする人にとって、「さよなら」は最後の挨拶では無い。だから、故人もまたどこかで会えるのではないか、と男性は言う。それで息子の死を克服したと。住む場所を定める無い人の自由な考え方。亡骸がないために死を実感できず苦しむ人もいる。震災や戦争の行方不明者の遺族とか。しかし、逆のパターンが救済になる場合もあるのかと思った。生きていたって、いつ会えるかわからないという点で死と生は曖昧なもの。また会えるかもしれないし、会えないかもしれない。そう思うと死の苦しみも少し和らぐのかも。彼女が求めていたのは、物質的な家ではなく、心の中の家。物語の冒頭にバイト派遣仲間も言っていたが、最後のその言葉でそれが実感を持って伝えられる。ラストカットで走り抜けて行った車は、一つの家に辿り着けたのだろうか。

余談だけど、音響がとても好きだった。うるさいほどの車中の音や、静寂、音楽のタイミングなど心地よかった。音響担当者が自死したと聞いて、残念でショックだ。本作で、人の死に対する喪失との向き合い方が描かれていたから、余計に。

まとめ。

本作でのノマドは、住み方を自由に選択できる今の一つの生き方としての様式にすぎないように思えた。(感想サイトで、彼女のことは置き去りにノマドの生き方についての洞察やその社会背景を述べている文をよく見たけど、自分の感想とはちょっとズレているなと思った。感じ方は人それぞれ)自由に生きられるからこそ、救済もあれば、悲しみもある。社会課題だけでなく、精神的な部分までひっくるめて、ひとりの人間の生き方を鋭くリアルに描いた作品だと思った。だからこそ、ノマドという枠組みを超えて、彼女の人生のあり方に感じることがあると思う。共感するしない含め。そしてそれをストレートに描いていないところがこの作品の素敵なところだった。単調なシーンもあったけど、彼女の表情一つひとつを見逃すまいと思っていたら眠る暇はない。とても頭を使う映画。

まぁなんでもいいから私も西部を旅してキャンプサイトでキュウリのパックして寝転びたいわ。そんなシーンがあるだけで満点ですわ。

旅の途中で出会う、スワンキーの言葉がとても心に残った。彼女は余命宣告をされながらも旅を続ける。一言一句は忘れたけど(忘れたんかい)、「若い時に美しい自然を見た瞬間、それでもう死んでいいと思ったの」熱っぽく話したシーンはとても素敵だった。「人生最高の瞬間を心に留めながら、何にも縛られずに最後まで生き切る」そんな生き方はとても良いな、と思った。

私もアメリカのコロラド州の自然公園をひとりバスに揺られながら、広大な砂漠に沈む夕日を見たときに、死んでもいいと思った。でもその時のBGMがOASISの「Don't Look Back in Anger」だったというのが恥ずかしいのでまだちょっと死ねません。


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