高校の部活の思い出(1)

高校ではオーケストラ部に所属した。

言い訳的な理由をまず書く。
・中学2、3年の帰宅部はつまらなかった。
・勉強だけしていても楽しくない
・SOS団的なものへの憧れっていうか(年代がバレる笑)
要するに、退屈だったから、なんとかして宇宙人や異世界人や未来人とコンタクをとって何かやりたかったのですね(何か違う)。

積極的な理由も書く。
・直感的にやってみたいと思った。
こちらは、いろいろ書く必要もないと思う。
バイオリンを習い続けていることは遠因ではあるが主因ではない。
バイオリンの先生は、人とアンサンブルをすることの重要性を説いてはいたが、当時の自分からしたらどうでも良いことであった。ここで白状してしまうが、アンサンブルという感覚については、結局高校の時には概念として身につかなかった。

また、不思議な話なのだが、実は週に5・6日部活があった。これは大問題のはずである。

なぜなら、小学校の卒業式の時に将来の目標を何か一つみんなの前で発表するというイベントがあったのだが、その時は、「演劇部」に入ると宣言した。私立の中学校だったのだが、演劇が盛んで、そういうことにも興味があった。しかし、実際は週5or6くらい活動があってそんなにやりたくないと思ってしまいnoteのとおり、科学部に入ることになる。ちなみに、吹奏楽部もそれくらい練習があってやっぱり入る気がしなかった。もう一つ白状するが、いまだに管楽器や打楽器には興味をほとんど抱かない。オケではいろいろな楽器があって色彩豊かで、その絵具の色はどんな色なのかを「認識」するためだけの興味しかないのである。当然、オケをやったことがない中学生にとっては、そんな色彩なんて概念がないので、今よりも興味がなかっただろう。

そしてここまで書いてわかるかと思うが、要するにやる気の問題なのである。オケ以外に出会ってきた今までの部活は熱中するには相応しくなかったというのが結論なのである。拘束時間ではないのである。まあ、仕事も一緒だよね。

1年目と2年目では部活の中身も役割も何もかも違う。
まずは、1年目のみここに記そう。

練習は大きく2段階で、
・パート練習
・合奏練習
である。(弦楽器的な視点であることに留意)

パート練習は「部品作り」だ。作曲家の作った大きな設計書(スコア)のなかの、バイオリンが演奏する部分的な設計書(パート譜)を読み解きながら、最高の部品(〇〇楽器パート)を作っていく作業だ。
その楽器に習熟したものであれば、素早く部品を作り上げることも可能だろう。だが、バイオリンは大人数であるし、技術的な習熟度もバラバラである。
結局は個人の練習次第となるが、その支援・サポートとなるのがパート練習の位置づけだと思う。

合奏練習は、「製品作り」だ。各々の最高の出来上がりの部品を組み立てる作業だと思う。この時に、少し調整をする。機械の組み立て作業だと考えにくいが、実際には自動車などでは、このようなすり合わせ型の組み立てというのを行っているようである。最高の乗り心地のため、いや、ここでは最高の音の重なり合い(ハーモニー)のために、この練習は重要なのである。

さて、ここで白状するが、最初の頃は、楽器の経験者特有で、少し怠けていた。本日3つ目ですね。
もう一つ白状するが、楽譜がほとんど読めなかったのである。本日4つ目です。
バイオリンには、鈴木メソッドというのがありまして、耳から覚える。楽譜が目の前にあっても耳から入ったものしか実はよくわかっていないのだ。なので、音がなければ楽譜を読めない。オーケストラでは色々な音がありますから、実際に聞こえてくる音と、演奏する音って感覚的に結構違う。製品見たって、どんな部品で構成されているかなんて、使う側からしたらわかりません。作った人でないと、そういう視点は身につかないのである。

楽譜も読めず、練習もせず、なんとなくパート練習でやったところだけ弾ける。初めての合奏練習でどうなったかはここで語らなくても明白であろう。悔しさも人並みにあった。

ということで少しずつではあるが、もう少し身を入れて練習するようになった。
以降は、大きな波乱もなく徐々に、徐々にではあるが、経験とはすごいもので、なんとかサマになっていくのである。

あとは、怖い先輩がいなかったのも非常に大きな収穫である。
偏差値も今までの環境よりも、やや高いせいもあったのだろうが、なんとなくみんな聡明であった。
いたずらに恐る必要はないんだということを知りました。

・怖くない先輩という概念の獲得
・楽譜を読むという概念の獲得
・なんとなくみんなで一緒にやるということ概念の獲得

ざっくりとは、こんなところでしょうか。

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