高校の部活の思い出(3)

高校2年生での印象的な出来事は3つである。

時系列的に書く。

一つ目は、合宿である。
前回の記事で、忙しかったことだけは伝わったと思うが、最初に大変だったのは、初心者の指導である。
白状しよう。いろいろ考えて、なんとかがんばって、教えていたかもしれないが、全く記憶がない。
うまくできていなかったという抽象的な感情は残っている。

転機は合宿の後半である。
たしか、5つくらい年上のコンサートミストレス経験者のOGさんが、パート練習を見せてくれた。
こういう風にやってみてもいいんじゃないかなと私に例を示してくれた。
その直後に、じゃあ君もやってみようということで、自分でも似たようにやってみた。
これが大きな転機である。

もちろん、こういうのはその場ですぐに自分の中でどうこうがあったわけではない。
半信半疑で、その人の意見に従っている点ももちろんある。
ただ、ほんの少し、ほんとうにほんの少しだけ、きっかけを掴めたという感じである。

そして、その経験を与えてくれた本人はあまり覚えていないことが多く、経験を与えられた方だけが抱く不思議な気持ちなのである。これが教える方と教わる方の感覚のズレ、難しさだと思う。

それ以降のパート練習は、意外と頭の中に残っている。
自分なりのやり方を見つけたというのは非常に大きな成果だ。

ただ、ここまで大袈裟に書いてはいるが、もっと具体的にどんなことをやって、どういう風に取り入れたのかというのを語るのは、非常に難しい。
実はこういったノウハウを教えようとしたこともあるが、この数年間何度も試してみて一度だってきちんと伝えられた気がしないのである。一言で表せるものでもなければ、言葉を尽くしても理解してもらえるものでもないというのを身に染みて実感してしまった。

形式だけを真似ても意味がない。そこには確かに自分の中で信じられる何かが必要になってくるし、その何かを獲得するのはあまりにも大変なのである。

まとめると、私はただ「運が良かった」のだと。


二つ目と三つ目はただの自慢話である。

他の高校と合同の演奏会が毎年一月初旬に行われ、それでも指導的な立場になった。
だが、その直前にクリスマスコンサートというのがあり、それで大忙しで、
合同演奏会の最初の練習の時に、まったく練習する時間がなかったのだ。

そう、練習したこともどういう曲か、音源もあまり聞いていない状態で、指導するなんて馬鹿げたことを初めてやったのである。しかし、半年間、そういう指導の経験を積んだからだろうか、なんとかごまかしごまかしできてしまうものなんだなあということを認識したのが、二つ目の思い出である。
良い子のみんなは真似しちゃダメだよ。

最後の思い出であるが、交響曲のパート練習についてである。なんと、春休みに譜読みやらやることやらを全部やり切ったので、パート練習を抜け出して、みんなで近くの公園まで花見に行ったのである。
練習をやり切ったなんて感覚は、後にも先にもこのときのみである。ふんだんに練習する時間のある環境だったからこその感覚なのであろう。これも、良い子のみんなは真似しちゃダメだよ。

際どく冷や汗をかくような経験というのは、結構思い出として残るものだと感じる。
悪ガキだった人が、まともな倫理観を持つ大人になった時の、雑談は非常に面白い。
そこまで悪ガキにはなれなかったが、私にとっての数少ない「悪あがき」は、いつまでも心に止まり続けている。

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