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『諦めの底辺中の底辺人生』の10代

幼少期は家族や周囲の大人達への信頼がなくなり、孤独となり自分を保つ為に『人に頼る、甘えるという事をやめた』時期でした。その経緯はこちらの投稿を読んで下さい。

小学高学年から中学校までの思い出や記憶を辿っていてみると何かずーっとモヤがかかったグレーな色をした日々を過ごしていたような気がします。

幼少期から小学低学年で家族に対しての信頼感や安心感、愛情を求めるのをやめてからは食事は一人で外食も一緒に行かず家で一人で食べていました。この頃から、自分の写真の数も減り、写っていたとしても無表情な写真ばかりでした。

そんな、自分の唯一の救いがサッカーでした。しかも、地元のチームではなく別の町にあるサッカーチームに所属する事になりました。


本当に『生きてて楽しい』と思える時でした。

何も考えずとにかく熱中出来る事、そして、家や地元から離れている為に当時は別世界に来たような感じで過ごしていました。
何より、サッカーチームでできた友人達とその家族の人達から本当に良くしてもらった記憶があります。友人との喧嘩やちょっとしたイタズラをするドキドキや友人宅に泊まって遊んだりなど自分にとっては底辺中の底辺の人生から一瞬の間だけ抜け出せてた幸せな時間で『無償の愛情』というの感じました。

自分はどの人生のタイミングにおいても『友人』という存在が支えになりますが、この時期が全ての始まりでした。

しかし、本心を言わないと決めて家ではほとんど話さない生活を送っていた為、友人との会話でも自分では自分の気持ちや話したい事をはっきり言葉に出せなくなっていました。

その生活の中でも、自分の家庭環境を知っている親族や周囲の人からは『いつもニコニコしていて幸せそうだし何不自由のない生活が出来ていておじいちゃんやおばあちゃんの教育がいいんだろうね、感謝しないとね』という言葉をよく掛けられていました。

心底嫌でした。

何を知っている?
何を見てなんでそんな言葉が出てくる?
何を持って幸せと言える?
親がいて一緒に暮らせないのに何が幸せ?

大人達はバカだ。
大人達は何も見えていない。
幸せを履き違えてる。
こんな大人には絶対にならない。

こんな事をずっと考えていたし、ココロの中でずっとつぶやいていました。
そして、突如として何の感情か分かりませんが布団の中で大号泣してしまったり、お腹をすぐ壊しやすい体質になっていきました。

さらに、中学生の時に追い討ちをかけるように

足を怪我してしまい、サッカーをやめてしまいました。今考えるとやめるほどの怪我ではなかったかも知れません。

怪我をしてすぐ頭をよぎったのがサッカーが出来なくなる事より、『俺の人生、底辺中の底辺から抜け出せる所まできたのにすぐ底辺に引き戻されるのか』、『あ〜俺の人生は結局こういう人生なのか』という諦めがすぐに出て来ました。

豆腐メンタルではなく素麺メンタルでした(笑)

この頃から、生きる意味と自分の存在意義を考えるようになり、将来の事を何も考えられなくなっていました。ただ、友人達と遊んだりしてなんとなく日々を過ごし、高校の進路も本当に周りが言う通りにしただけのただの人形の様でした。

常に『諦めの底辺中の底辺人生』と言う感じでした。
続く。


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