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自分の運命、覚悟を決めた幼少期

皆さんの一番古い記憶って何ですか?
僕は叔母二人に歯医者に連れて行かれて、治療ベットに叔母二人と歯科助手さんに抑えられながら治療を受けるという恐怖の記憶が一番古い記憶です。おかげで今でも歯医者は大の苦手でトラウマです(笑)

しかし、ここには両親は登場しません。幼少期から両親との思い出や記憶がありません。


この世に生まれた時から人生の底辺中の底辺からスタート

物心付いた時から両親のいない生活でした。父親は29歳で胃癌で亡くなりその後、母親とは別々に生活する事になります。僕が1歳半でようやく走り回るくらいの時らしく、葬儀の時は横になった父親の周りを走り回っていたそうです。しかし、父親との記憶は全くなく、どんな顔していたのか、どんな声で話をしていたのか、どんな性格だったのか全く知りません。思い出す事もありません。なので、父親に関して悲しいという感情や恋しいという感情がありませんでした。

両親がいない生活は父方の祖父母と叔母との生活でした。

これが不思議と両親がいない事に何も抵抗はありませんでした。父親の死は幼少期から自覚していた為に自分の中で受容ができていたような気がします。しかし、母親の存在は祖父母達からは教えてもらえませんでした。

どんな人なのか?どこに住んでいるのか?など再会するまでは全く知りませんでした。

この時の自分はよく鉛筆を噛んだり、自分の腕に歯型がつくくらい噛んだり、よくおねしょをしていた記憶があります。
今でもストレスが溜まったり、自分の中で何か消化できない事がある時は無意識に腕を噛んでしまう癖が出てしまいます。

ただ、幼稚園の遠足や運動会などの行事で友達の両親の姿を目にするのようになり、だんだん『母親』を意識するようになっていきました。

小学生になり、『お母さんは死んでいないなら、どこにいる?』『会ってみたい』という気持ちが湧き上がって来ました。

祖父母に『お母さんに会いたい』と言ったのは9歳の時、母親と再会する日が決まった日から『どんな人だろう、綺麗な人なのかな』などと考えていたのを覚えています。そして、再会した時は嬉しさもありましたが『母親が自分にも存在したんだ』という安心感を感じました。

そして、一つの疑問が出て来ました。

『どうして親子なのに一緒に生活ができないのか?』

結果として、真意は今も分からないままです。

祖父母と母親にその理由を事あるごとに何度も聞いてもそれぞれの言い分が違う。そして、祖父母からはどことなくはっきりとした答えをもらえませんでした。

自分がまだ子供でしたが、『何か誤魔化されている』というのを感覚として感じていました。その中で徐々に
『真剣に向き合ってもらえていない』
『子供だから理解できないと思うな』
『子供だからと言って馬鹿にするな』
という感情が芽生え始めました。
この頃から、周囲の大人達に対してのセンサーが敏感になっていき、
自分の感覚が研ぎ澄まれて来たような気がします。

自分の経験上『子供だから』は通用しないと思います。確かに、世の中の事や家族の問題など知らない事だらけです。しかし、真剣に向き合ってくれているのか?嘘をついているのか?などは子供でも大人の態度や雰囲気で分かります。子供の頃は言葉の理解や言語表出というのは上手くできませんがそれ以上に『感じる』という事はできます。

子供が真剣に訴えているときは、真剣に向き合うべきだと思います、自分の場合はそうしてもらった方が自分の中での問題整理というか気持ちの整理が付いたからです。
ひょっとしたら、祖父母は事実を言うとグレてしまうのではないか?関係性が悪くなるのではないか?と考えていたから誤魔化していたのかも知れません。

実際は逆です。事実を知ってグレたり、関係性が悪くなるかも知れません。しかし、解決方法はあったかも知れません。

事実を教えてもらえない方が自分が今後どういう風に生きていけばいいのか?祖父母に頼っていいのか?母親に頼っていいのか?など自分の中での整理ができず、誰に相談して良いのかも分からなくなり、逆に人生を通して祖父母や栗山家に対しての信頼感や安心感、愛情といったものが薄れて行く事になりました。

この幼少期で一番辛かったのが『自分を理解してくれる人がいない』
と言う事でした。

自分には兄弟がいないので、自分の気持ちを理解してくれる人がいない。相談する人がいない。この時は小学生だったのでこんな相談ができる友人もいません。
本当に孤独を感じていました。

その中で、自分の気持ちをどう安定させれば良いかと必死になっていました。そして、導いた答えは『生きるために栗山家にいる』『自分の本心を出さない』と言う事でした。

祖父母や叔母、親族に対しての信頼感や安心感、愛情というの求めないようにする事、自分の本心を出さないことで人間の感情を封印しました。
幾度となく、自分の悩みや気持ちを伝えたところでやっぱり子供扱いされている感じがあり真剣に向き合ってもらえていないと感じ、その度に自分自身が辛く、孤独を感じていました。

そして、
一人で生きる力がないので、ただ生きる為にこの家にいようと誓った瞬間です。

続く。



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