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文化人類学の合言葉「当たり前がアタリマエじゃない」

こんにちは、TELL/てるです。
今回は、前回の「noteにおける通過儀礼=#初投稿、#自己紹介」の記事に引き続き、自己紹介の延長線がてら、「人類学×演劇」についてお話ししようと思います。特に今回は、「人類学」にフォーカスを当てようと思います。

まず、文化人類学には合言葉がある、と思っています。

人類学系の入門書、参考書を読むと、よく「当たり前」という言葉を目にします。
人類学に片思い中の者が勝手に言っちゃうのもすみませんですが、人類学は「当たり前」を問う学問だと思っています。そして、その「当たり前」を問うてはじめて、「当たり前がアタリマエじゃなかった」ことに気づきます。そしてこれが人類学の合言葉です。

では、「当たり前がアタリマエじゃない」とはどういうことか。
身近な場面で例を挙げると、ご飯の食べ方です。
ご飯を食べる時、箸やスプーン、フォークを使いますが、手を使って食べる人々もいます。
私にとって「ご飯は物(箸、スプーン、フォークなど)を使って食べるのが当たり前」かもしれませんが、他の人にとっては、「ご飯は手を使って食べるのが当たり前」なのです。

簡単にまとめると、
私の当たり前:ご飯は物(箸、スプーン、フォークなど)を使って食べる
他の人当たり前:ご飯は手を使って食べる
⇒私にとっての当たり前(ご飯は物を使って食べる)は、アタリマエじゃない(ご飯は手を使って食べる、という人がいる!文化がある!)。
という気づきになります。

ここまで、人類学の合言葉について、少しでもフムフムと思ってくだすったらありがたいです。
では、「文化人類学×演劇」というテーマで脚本を書くとどうなるのか。
次回の記事では、実際に私が書いた脚本をみなさんとシェアして、ご意見・ご感想を頂きたい!と思っています。

一先ず、ここまでご覧いただきありがとうございました。

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