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【思い出ぼろぼろ】藤沢周平 と 広縁の親父

 今日は、いつもと趣が違いますが、お時間のある方はお付き合い下さい。


 僕の親父(昭和8年生)は、2019年6月に鬼籍入りした。
 更に、親父の他界と前後して、僕の大切な恩師夫妻が示し合わせたかの如く天に召されたこともあり、それまでの人生で味わったことがない様な喪失感を覚えた一年となった。
 さわさりながら、彼らが天寿を全したと思わせてくれるような最期を遂げてくれたお陰で、深い悲しみに捕らわれずに暮らせたのは幸いであった。勿論、暫くの間は空虚な心持ちで過ごしたけれど … 。

2006年に仙台文学館で開催された 井上ひさし監修による「藤沢周平の世界展」の図録

 僕の親父の本棚は、日本文学全集とロシア文学全集、それから世界名画全集といった類の本で埋め尽くされていたことを記憶している。

 後年、親父と僕とで蔵書の整理をしていた時に「実は、高校生の時からデカダンを気取っていたんだよ。」と、こちらが聞いてもいないことを、照れくさそうに教えてくれた。
 かく云う親父だけれど、職人の娘である母とお見合いをした段階で ” 自称デカダン ” の看板を下ろす覚悟をしていたはずだと僕は睨んでいる。
 どう考えたって、職人の娘とデカダンは噛み合わないもの。

藤沢周平原作「必死剣鳥刺し」のロケ地 庄内オープンセット

 そんな他愛もない話とは別に、親父が無類の本好きであったことだけは確かだ。それは、晩年に至ってからも、読みたい本を移動図書館から借り続けていたのだから疑いようがない。(70歳の誕生日に車の免許を返納していた親父は、隔週一回の移動図書館を頼りに読書を楽しんでいた。)

 親父は、広縁ひろえん続き間つづきまの境にある三寸五分の柱を背もたれにして、立てた膝の上に本を据え置き、おでこの上端うわばに眼鏡を引っ掛けて本を読んでいた。
 広縁の掃き出し窓はきだしまどを通して入ってくる柔らかな陽射しが、本を読むのに塩梅が良かったのだろう。

細部にまで心が行き届いているからハリボテ感は皆無

 晩年を迎えた親父は、気の向くままに様々なジャンルの本を手にしていたけれど、その中でもとりわけ気に入っていた作家が 藤沢周平 だった。

 ある時、僕は「親父さぁ、なんで今更 藤沢周平 なのよ。」と聞いた。

あの「火の見櫓」で思いつく映画があるのでは?

 すると親父は「会社(現役だった頃)で東北各地の新聞を集めていた時期があってね。確か山形の地方紙だったと思うんだけど、たまたまその時『蝉しぐれ』が連載されていたんで読んでみたわけよ。でも、すごく凡庸でツマラナイ小説だなって思っちゃってさぁ … 。」と懐かしそうに話し始めた。

 「だから、途中で読むのを止めてしまったんだけど、つい最近になって思い出したら読みたくなってしまってね。去年だったっけ … 移動図書館に頼んで持ってきてもらったんだよ。それで読んでみたら想像以上に良くてさ … 。」と感じ入った顔のまま話を止めた。
 どうやら、先程まで読んでいた本の世界に戻ろうとしているらしい。

広大なセットの中をハイキング気分で歩き回った

 僕は、親父が本に没頭する前に「それは歳のせいなのか、それとも心境の変化みたいなものなのかねぇ?」と聞き返すと、我に帰った親父は、実に興味深いことを口にした。

 「勿論、それもあるとは思うけど、新聞に連載されていた『蝉しぐれ』よりも、一冊の本になった『蝉しぐれ』の方が明らかに良かったんだ。作品としてまとまっている感じがして、心にヒタヒタと入ってきたんだよね。」と、親父は膝の上に置いてある『橋ものがたり』から目を離さずに話した。 

「おくりびと」のために移築された銭湯

 この時の会話は、僕の携帯にかかってきた電話によって潰えてしまったけれど、親父から ” 新しい尺度 ” を与えてもらったような気がした。
 この出来事を境にして、僕はそれまで苦手にしてきた作品や、途中で読むことを止めてしまった作品も再読するようになった。

この建物が登場した映画は?(ヒント:中津川ジャンボリー)

 それから時を経ること10余年。震災で狂った人生のリズムを立て直すべく、2012年8月の夏に、僕ら家族は山形県の庄内地方を巡って歩いた。

 二泊三日のキャンプ旅であったが、庄内オープンセットを皮切りに、日本海での釣りを交えつつ、当時は老朽著しかった加茂水族館や、鶴岡市内の名所旧跡(致道館・鶴岡カトリック教会・大寶館 他 社寺仏閣など)を巡り、旅の最後に藤沢周平記念館へ立ち寄った。

 そこで、藤沢周平自身が親父と似たような感慨を述べている展示資料に出会うことができた。それは、僕にささやかな驚きと感動をもたらした。

文句を言わずに僕の趣味に付き合ってくれた家族

 庄内の旅から帰宅した翌日。
 土産を渡すために親父の元を訪ねた僕は、いつもの定位置「広縁の柱」で膝を立てて本を読んでいた親父に ” その事実 ” を伝えた。

 加齢と共に感情の起伏が小さくなる一方の親父であったけれど、自分がこよなく愛する作者の真意に触れたせいなのか、嬉しそうに頷く親父の皺くれた手から『夜の橋』と書かれた表紙がチラと見えた。
 親父と、久しぶりに ” 気の利いた会話 ” を交わせた様な気がして、少しだけ嬉しくなったことを記憶している。

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