英語の拙さにより無数のマウントパンチを浴び代理店のエレベーターで泣いた話~中東クリエイティブ業界開拓記 3~
信じられない事にドバイの広告代理店のPPMでは、いつも怒号が飛び交う。
*Pre Production Meeting / 広告撮影の直前にクライアントを交えて行う会議
責任の押し付け合い、簡単に言うと口喧嘩だ。
これはドバイローカルの小さな代理店の話ではなくて、インターナショナル系の超有名代理店たちだ(日本のじゃないよ)。
スタイリストとしてドバイに渡った僕は、なぜかDAY 1からこの燃え盛る炎の中に投げ込まれた(ありがたい!)。
当時の僕の英語力はというと、センター受験レベルをSkype英語レッスンで補強した程度のものだったが、結構自信満々でこのドバイ移住に臨んでいた。
そして本場の(?)British Englishの応酬に、手も足も出ずただただ沈黙した。
ただでさえネイティブスピーカーが十数人集まっている会議である上に、みんなエキサイトしているので早口 + スラングだ。
結局会議は上手くまとまらず、その戦犯は発言力に乏しい僕となった(当然だ!)。
もちろん、PPMがまとまらなかった原因と僕の英語力は全く関係ないのだが、この国では責任を引き受ける人はいない。
いつも"お前が悪い"、"いやあなたのせいよ"の応酬なのだろうが、今回は格好のターゲットマークがそこに座っていた。
そこからがむしゃらに英語を伸ばそうとした(でないと死んでしまう!)。
一切の日本語によるインプットを排除し(ググるのも)、エンタメも全て英語にした。
元々、3ヶ月に一度髪を切ってもらう日本人経営のヘアサロン以外では日本語を喋る機会も無かったので、環境としては悪くなかった。
ちなみにオーナーの女性はドバイ唯一の日本人ヘアサロンとしてめちゃめちゃ成功している(すごい)。
と、ここまでは海外移住した人の英語学習体験としてよくある話だが、それなりに英語が身に付いた後も問題は付いて回った。
居住する非欧米系の人々はドバイを"LOSER'S COUNTRY"と評する。
これはドバイに存在する見えない階級制度に起因している。
多少の例外はあるが、職種によって明らかに人種の分布が異なり(金融系ホワイトカラーは白人、サービス業はフィリピン人、肉体労働はインド人、そして不動産は上級インド人のように)、例え同じ職種でも人種により給与が違った。
特にイギリス人が昔の植民地支配の名残と、そのネイティブイングリッシュで頂点に君臨していて、普通のバンカーですら驚く程の額を得ていた。
上記の非欧米人曰く、"彼らは本国ではまともな仕事に有り付けないがドバイに来ると階級社会の恩恵で、セレブ暮らしだ"との事だ。
クリエイティブ業界にいた僕個人の感覚としては、それは一概に言えなくてイイ奴もいっぱい居たが、確かに言語でマウントを取ってくるのはブリティッシュが多かったかも、だ。
"本国にいるリアルブリティッシュはそんな事なくてみんなイイ奴だ"などという人も結構いた(興味深い)。
このLOSERと呼ばれる人たちは、自分でも実力以上のものを得ているという自覚があるようで、それ故に言葉が本当に達者だった。
もう会議では空気にならなくてもいいぐらいには成長していた僕も、一度彼ら(若い女性が多かったが)の地位を脅かすライバルとしてロックオンされると徹底的にやられた。
ただでさえ子供に見られるアジア人だが、更に言語力で劣ってると見られると本当に子供扱いされる。
クリエイティブ業界には日本人はおろかアジア人がおらず、"お前はレジ打ちでもしてろ"と言わんばかりの態度だ。
ある日、いつものように失意の中帰宅するエレベーターの中で、僕のエージェントの社長が(その代理店の外部クリエイティブディレクターもしていた)、 "俺はお前に言語でアドバンテージを取ろうとしてくる奴が嫌いだ" と言い、僕は涙が溢れ(そうになった)。
日本のクリエイティブ業界に居ると、本当に感覚トークが通じる。
みんな空気や言葉の裏を読もうと努力するので、”こんなカンジ"でも理解してもらえる部分があるのだ。
僕も本当に長い間感覚至上主義というか、"作ってる物さえ良ければ言葉なんていらないだろ"というポジションを取っていた。
クリエイティブ界の外に出てみて言葉の重要性を痛感している今、当時のこの経験は抗体となって自分に生きている気がする。
今ならもう少し上手くやれたかも、と思う。
*写真はArchitectral Digest ドバイ版の撮影より
近代植物園とプラダを融合するという無茶
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