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屯田兵の血が騒ぎ、未開の砂漠を開拓したら案の定脱水で死にかけた話~中東クリエイティブ業界開拓記 2~

"おい、ジャパニーズが来るらしいぞ!"

僕が到着する前から、僕の噂は契約したエージェント経由で広まっていた。

ドバイのクリエイティブ業界の狭さは異常だ。

業界内で会う人会う人"あなたの話は聞いているわよ"などど声を掛けてくる(盛りすぎ)。

そう、過去を振り返っても日本人など一人も居たことが無かったので(恐らく今後も)、珍獣扱いなのである。

そもそもクリエイティブ業界どころか、ドバイという首長国に日本人は2000人程度しかいない。

そして、ドバイや東南アジア(マレーシアにも居たので)の話を日本人にすると、"でも日本凄いみたいなブランド価値あったでしょ?"と聞かれるが、そんなものは幻想だ。

アジアの話はまた別の回でするが、ドバイに限って言うとそもそも日本や日本人に関して殆ど知らない。

知られているのはナルトぐらいだ(大袈裟ではない)。

同様に日本人もドバイの事を殆ど知らない。

ドバイに渡る事を周囲に話した際、反応は決まって"石油王のスタイリングでもするの(笑)?"という感じだった。

あと、テロ大丈夫なの?とか。

まずドバイでは石油は出ないし、テロも起きない。

観光と金融で成り立つ近代都市で、テロリストも骨休めにやってくるのでテロなど起こそうものなら自分達のリゾートが無くなるのでそんなことはしない。

街中に監視カメラがあり、罰則が厳しい為万引きなどの軽犯罪すら殆どない。

そういう意味では日本より治安は良いだろう(ただ王族の悪口を電話で話したら罰金取られるよ)。

仕事も王族絡みのものは殆どなく、普通にHarper's BAZAARやMarie Clairなどのインターナショナル系の雑誌はMiddle East版として一通りあったし、世界中の広告代理店も一通り集まっていた。

こうして希望に満ち溢れながら、アラビアンワールドでのキャリアをスタートさせた僕だったが、タイトルにある通りじっくりコトコト干からびてこの地を去る事になる。

期間にして約2年。

理由としては、

1.家賃や物価が異常に高い

2.言語でマウントを取られる

3.LESS IS MOREの美意識が通用しない

(4.そもそも僕の能力値が_______ )

が考えられる。

1に関してはググれば出てくるような情報だし、(4)は誰得な話なので、ここでは2と3について話したい。

まず、ドバイのクリエイティブ業界はほぼヨーロッパから来た(主にイギリス)クリエイター(?)に牛耳られている。

代理店系はそれに加えてレバノン人(アラビア語と英語が堪能なのでクライアントとのコミュニケーションに重宝される)、インド人少々といったところか。

ドバイの人口の8割は外人なので、公用語は英語である。

それもみんな驚くほど堪能で、カタコトの英語を喋るのは工事現場の作業員ぐらいだ。

なので当時の僕の英語力は当然ヒエラルキーの最下層に堂々のランクインを果たしていた。

*写真はFUCKING YOUNG!というスペインの雑誌を撮影したもの。

ドバイの学生達はこんなCOOLな奴らが多かった。

続きは↘︎


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