ドイツ語と日本語の間で 〜日本語でなんて言うの?〜

まずは新年明けましておめでとうございます。noteで書きたいことはたくさんあるのに、なかなか重い腕を上げることができませんでした。でも、そもそも私のnote読んでいる人なんているのだろうか?「みんな更新遅れてごめんね★Tellerがんばるっ!」とか人気ブロガーみたいなこと書けるほど世の中の目に晒されているものでもないと思うんですけど、見てくれている奇特な方がいらっしゃいましたら、いつも読んでくださりありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

仕事ではドイツ語を話しながら日本語を書くというような日々を送っていましたが、この休み中は日本語も普段よりかなり多く話す機会があり、その度に「あれ、出てこないぞ、なんて言うのだ?」ということや、日本で通常使われているイントネーションとは違う発音で単語を発するという経験をしました。言語学者の卵としては自分でこういう経験をしていることが面白い、と思えるのですが、一方で「なんか気取っている人みたいに思われたりしないんだろうか。でも本場の発音がわからないだけなんだ、嫌いにならないでぇ〜」って心の中で半べそかいてるわけですね。せっかく久しぶりに会えた高校時代の友人が「ドイツはどう?」と色々聞いてくれるのに、ことばが出てきにくいから話がテンポよくいかなくてもどかしい。それでもさすがは15年近くの仲で、みんな私のその葛藤を感じ取ってくれてじっと聞いてくれて、もうみんなありがとねぇ、と心の中で泣きそうになる。

その一方、ドイツで知り合った友人たちで、ドイツ語学習歴がある方々、あるいは私と同様もしくは私よりもドイツ語だけの環境にいることが多い方々と話す時は遠慮なくごちゃ混ぜ。Twitterで以前遠回しに誰かから「外国語混ぜて情報共有しちゃうんじゃ意味がない」とか言われたけど、知らねーよハナクソ(ぴーんっ)って感じだったし、どうせお互いにことばがわかる人たちとのコミュニケーションにそういう気を遣っていては時間の無駄なのだと自分に言い聞かせている、という言い訳といえばそうなんですが、それでも多言語環境下で円滑なコミュニケーションを行うために言語のまぜこぜということが起こるのは接触言語学的に見ても当たり前に起こることなんですね。言語をまぜこぜにしてそれで意思疎通ができるというのは、言語使用上のエネルギー節約になっているわけなのです(そういうのが実は私の研究にも関係あるんですが、その話はまた今度)。

そんなわけで、こういうことを振り返ってみると、「あーこの表現は私日本語でパッと出てこないなぁ」と個人的に思っているものがいくつかあることに気づきます。今日はそれをここにあげてみようかなと思います。

注意:「この表現日本語で言えないなんて」とかいうのはハナクソなのでなしでお願いします。「これは自分だったら日本語でこう言います!」みたいなのは大歓迎!でもコンテクストによるものもありますよね。

Das lohnt sich (nicht).

これもうそのまんま口からほっぽりだしてますわ。例えば日帰りでD村からベルリンCityまで行くとかの時に、私だったらもうほんとこのまま、"Meeeeeh das lohnt sich doch nicht!" とか言ってると思います。「そんな、行く意味なくない?」とかそんな感じですか?でもやっぱり私にとっては、Das lohnt sich nicht.の方がしっくり来る気がしちゃう。

sich zusammenreißen

色んな場面で使える表現だと思うんですけど、「我慢する」とかが近いんだろうか?自分のことを自制するという意味での「我慢」がこれに当たるんだと思うんですが、例えば自分で選んだ外国での生活に文句ばっかり言っている人って周りにいたりしませんか?悪いのは自分じゃなくていつも他人や自分を取り囲む状況や国でブチブチブーブーたれている人たち。あまりにもブーブー言ってるとうんざりしちゃって"Jetzt reiß dich doch mal zusammen!"とか言っちゃうんですよね。そういう時に日本語だったらなんていうんだろう?zusammenreißenっていうよりも「甘ったれるんじゃない!」とか「文句ばっかり言わんと〇〇しなさい!」とかそんな感じじゃないですか?当たり前なんだけど自然に使う表現がそもそも違うっていうのもありますよね。

nachvollziehen

これ独和辞典とかで引くと「追体験して理解する」っていう訳語がついていることが多いと思いますが、追体験して理解するって日本語で普段の会話で使うのだろうか?だけど、この辞書の訳語の表現したいことはよーくわかる。日本語だと万能なのが「わかる」って動詞だと思うんですけど、この「わかる」に全部集約されている気がするんです。形容詞版のnachvollziehbarとかもそうなんだけど。

ここで思うんだけど、辞書には対訳が書いてあるというわけではないってことなんですよね。辞書に書いてある表現をそっくりそのまま日本語訳に当てはめちゃうと不自然すぎてなーに言ってんだかわかんなくなっちゃう。辞書に書いてあるのはあくまでその語が含む意味をなんとかして日本語で伝えようとしているのであって、訳ではないんですよね。よく考えてみたら、広辞苑など国語辞典にだって日本語のある語が示す概念や意味を説明しようとしているわけだし。だから「追体験して理解する」っていう単語を日本語の普段の会話で使うことははっきり言ってほぼないけど、nachvollziehenっていう動詞がどういう意味なのか、どういう行動を示しているのかを説明していると考えれば、別にいいんじゃない?と思うわけです。

番外編:peinlich は「かたはらいたし」?

私はお恥ずかしながら、peinlichを現代日本語で言えませんで、ずっと「かたはらいたし」って言っています。だって私にとってこれが一番しっくり来るのだもの。そこでかたはらいたしを大辞林で引いたよ、という表記があるサイトによると「傍らで見ていて、気の毒だ。いたたまれない気がする。」「そばで見ていて苦々しい。」などの説明がなされています。まさにこれではないか。ということは、こういう感じだよって現代語で説明したらいいのか!

ということで…

まとまらない話だし、また、まとめる必要もないかなと思うのですが、私のドイツ語と日本語の間のうろちょろは今後もこんな感じであーでもないこーでもないと言いながら続くようです。

読んでくださっている奇特な皆さんへ。ドイツ語に限らず、普段ご自身が使われる言語(方言も含む)の中で「これは日本語よりもこの言語で言った方がしっくり来る」っていうものがあったら是非教えてもらいたいです。

*まだ休暇中でのんびりしているので、のんびりを表紙画像に取り込みたくて、nago_miさんのお写真を使わせていただきました!ありがとうございます。

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