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正面から一手ずつ詰めていく。 2022/12/24

さて、今日も書いておこう。12月24日、今22時14分。

今日は朝からクリスマスケーキを作った。毎度のことだが、玄米粉でグルテンフリーのイチゴのケーキ。それから夜ご飯のためにクリームシチューを作った。どちらも美味しかった。なんでも自分で作るのは美味しい。来年は畑で採れた野菜を使って料理したいと思っている。

畑の野菜たちはすくすく育っている。冬だからか、成長はゆっくりだけれど、種から蒔いた小松菜もベビーリーフもしっかり育っている。どれくらい発芽するかわからなかったので、適当にまきすぎてものすごい数の芽が生えてしまって、間引いても間引いても生えている。それをちょこちょこ抜いてきては家で食べている。忙しすぎて1週間に1回程度くらいしか畑に行けていけないが、それでも適度に雨も降ってくれて、今の所いい感じで育ってくれてる。苗で植えた、水菜、キャベツ、ほうれん草、ねぎ、ブロッコリーも順調だ。来年くらいになれば収穫できるだろうか。

話がずいぶん飛ぶけれど、カウンセリングを受けようかなと思っている。定期的に月1回とか。最近読んでいる信田さよ子さんの本を読んでいてそう感じるようになった。
僕が結構ことあるごとに怒ったりしてしまうのは、依存症の一種なのではないかと考えるようになって、それで図書館で依存症関連の本をザーッと借りてみた中にあった信田さんの本。Amazonで検索したら、信田さんの本がレコメンドで出てきた中に、よさそうな本があったので、それを借りた横展開で他の本も借りてきて読んでいるのだけれど、身につまされる感じのことが多い。
女性だからだと思うが、女性の立場に立って書かれている部分がとても多い。少なくとも今読んでいる本に関しては。どれも90年〜00年代にかけて書かれた本であり、今から20年前くらいの本になるのだが、当時の情勢と照らし合わせながら読んでいるのだが、ああ、この頃は今のこういう現象の芽が出始めた頃だったんだなとか感じることも多く、そして今以上に女性にとっては生きづらい世の中だったことがわかる。
また、親を批判することがかなりタブーだったこともわかった。今「毒親
」なんて言葉を聞くことがあって、僕はそれが嫌いな言葉だったが、そういう言葉が流布するくらいに親への批判が公になってきているということは、ある意味、健康的なことなのかもしれないのだな、と今までにない視点をもらったりしている。

そういうこと含めてなのだが、信田さんの本を読んでいると、けっこうきついこと言うなあと感じる部分も多く、それは女性ならではの、毅然とした態度だと思う。男はもっとロマンチックというかオブラートに包むと言うか、もう少し抽象的にと言うか、そんな気がする。女性ならではの現実に即した、はっきりした態度。それは男にはなかなか出せないものだと思う。男にとっては、いや、僕にとってはそう言う態度はいささか怖いと感じてしまうことがあるのだけれど、もしカウンセリングを受けるのであれば、こういう人にこそ対峙してほしいと思い直した。相手が男性の先生よりも、こういい身につまされるようなこと、耳障りが僕にとって良くないことをはっきりと言ってくれる人こそ、今話を聞くべき人かもしれない。怖いかもしれないし、時には頭にきてしまうかもしれないけれど、いや、頭にきてしまいそうなことこそ、聞ける態度を身につける格好の練習の場になるだろう。怒りという反応で自分を閉じない練習。開いたまま、相手と向き合う練習をするには、こういう先生でなくてはならないのではないか。そう思い始めた。優しい、こちらの話をよく聞いてくれる先生ではなく。

いっそ、信田先生のカウンセリングは受けられないのだろうか。著名な方だから、そんな簡単には行かないかもしれない。けれど、まず自分が思ったことを、思った通りに進めてみるのがいい。それが僕のやり方だ。代替案を探すのではなく。まずは正面から一手ずつ詰めていく。こうして正面切って進めていくと、行き止まりというのはない。必ず別の分岐やら何やらが立ち上がってきて、進むべき方向に誘ってくれる。何事も自分の感性に従うのだ。

今日は遅くなってしまったのでここら辺にしておこう。大体1700文字くらい。おやすみなさい。

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