2023/11/27 利便性と多様性
16日目
普段、細々と考えることが多い。
たとえば、道路のこと。
車と人が同じ道を歩こうとするから、横断歩道ができたり、信号が必要だったり、事故が起きたりするわけだけど、そもそも道を分けれたら、渋滞も事故もめちゃくちゃ減るだろうなあとか考える。
もちろん、インフラ構築がそんなにイージーなわけなく、とても大変なのはわかってるけど、同時に、時代性にインフラ構築がついていくことの難しさとか、むしろインフラが足枷になるんだなとも思う。
だから、インフラに投資するのが、世の中の利便性をめちゃくちゃあげそうだし、同時に時代を先読みしたりする叡智が集結しないと、破綻にもつながるしな。
こんなことを、補助輪を外したばかりの娘の自転車を見守りながら信号待ちしてる時に考えてたりしている。
タクシーの配車アプリなんて、めちゃくちゃ便利で、乗車している間にアプリで決済もできるし、すごいなとは思うが、領収書を希望した途端、運転手が印刷したものを渡してくれるまで1分くらい待たなければならかったりするのももったいない話で、結局ソフトを頑張ってもハードに引っ張られるってことだ。
配車アプリがいくら普及しても、僕らはタクシーというハードと、さらに上位である道路というハードに引っ張られている。
高速道路は便利だが、一台の事故で、数時間待ちの渋滞が起きる。「あ、こっちから行こ」なんて気軽にできないからだ。進行方向が変えられないし、降りることもできない。めちゃくちゃに不便だ。「問題が起きない」ことを前提に作られているので、ちょっとした問題が大問題になってしまう。だからルールを守る、規律を守る、がすごい大事になってしまう。
インフラに限らず、現代でいう利便性と、この規律性は比例しているように感じる。
世の中が便利になればなるほど、みんなが同じことをしなければならなくなる。それにうまく対応できない人は、不便を一身に背負うことになる。
最近はスーパーも飲食店もセルフレジが多くなってきているが、置いてけぼりになる高齢者は多い。スマホだってそうで、ガラケーが強制打ち切りになりらくらくスマホに変えさせられた僕の95歳のばあちゃんは途端に電話に出れなくなってしまった。
世の中は便利になっていると感じる人と、不便になっていると感じる人がいるのは、いつの世もあることだろうが、その比率と度合いが極端になっているんじゃないだろうか。
というか、社会は便利になればなるほど、多様性が失われていっているのではないだほうか。
なんてことを、この僕が書いたところで、ただのぼやきに過ぎないのだけれど。
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