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根拠なき自信(「自己責任論」が破壊したもの)

最近、自分に自信のない人が増えてるという話をあちこちで聞く。だいたい先輩が後輩に関して言うことが多い。自分の周囲にも「もう少し自信持てよ」って言いたくなるような人が多かったから、あながち印象論だけでもなさそうである。

じゃあ、自分の若い頃をふり返って、どんだけ自信があったかというと、やっぱりない。何をやっても自分はまだ半人前だという引け目が消えない。自分の仲間も似たり寄ったりで、たまに強気な奴もいるけど、大概はったりかましてるだけで、すぐに地が透けて見えるような自信だった。みんな心の底では何かしら劣等感を抱いていた。

だが、仕事(職業に限らずもっと広い意味での仕事)をしていくうちにだんだんと経験値が上がっていく。知識や技能が身についたり、世間の評判を勝ち得たりしていく。もちろん世間といっても全世界じゃない。だけどどんな仕事でもきちんとこなせば、それを評価してくれる人たちがいる。そうして自信を身につけていった。人に誇るべき仕事をまだしてない若者に、この自信があったらおかしい。

ということは、恐らくいつの時代でも自信のある若者は珍種である。自分が惨めだった頃の記憶を抑圧した先輩方だけが、(おそらく善意と優越感のミックスから)若い人に無茶な注文をつけて余計な心配をさせてる。

なあんだ、つまらん話だ、ということになりそうなんであるが、今回の話はここから始まる。本当に今日の青年たちの自信のなさはその程度の問題なのか。放っておいても年を経るにつれて解決する問題であるか。自分にはそれだけではないと思うところがある。

ジブリ的少年たち

「今の若い人は」などと気軽にいうと、また年寄りの自慢話かよ、と敬遠されてしまうから、まず比較上の根拠を示しておこう。

中学校で母の後ろに座っていた同級生の男の子がいて、通信簿が配られるたびに後ろから母の背中を突っついてうるさく言う。

「おい、オマエの成績見せろよ、オレのも見せるから」。

しかたなく交換して見ると、いわゆるアヒルが杭のあいだを縫ってくような成績だ(当時は成績評価は数字ではないが)。それでも本人は平気の平左で、人から見られるのを恥かしいとも思わない。むしろ率先して人に見せようとする。

この男の子は「北町」の子である。北町には、郡山の安積平野に全国の失業した士族が移住して来たとき一緒に連れてこられた小作たちが住んでいた。今日は北町のほうに新しい住宅地ができて栄えているが、もとは南町に較べて貧しい家が多かった。

宮本百合子のデビュー作『貧しき人々の群』の舞台のなったのはこの北町らしい。安積疏水と士族移住というのは、百合子さんの祖父である中條政恒が大久保利通などに働きかけて実現した、明治初期の大事業であった。

であるから、北町の子どもたちはボロ服を着て青洟を垂らしてるようなのが多かった。一応学校に通っては来るが、あまり勉強熱心でない。その代わりケンカや悪戯は率先してやる。

男子生徒数人が、休み時間に天井裏に上って隣の教室まで這っていったのはよいが、始業ベルが鳴って降りるに降りれなくなった。仕方なく天井裏で授業が終るのを待ってる。みんな気になってちらちらと天井を見上げる。先生も気づくが、わざと気づかないふりをして授業を続ける。

今では絶滅種になったような子どもたちで、もうジブリ映画かなんかでしかお目にかからない。今の子とはだいぶん違う。

第一に、今の子たちはもっと優等生である。よい子である。人に迷惑をかけるようなことはしない。殴りあいのケンカなんかしないし、天井裏にも上らない。そんなことする奴を蔑む。

第二に、今の子は恥ずかしがり屋である。もしくは誇り高い。悪い成績どころか、そこそこの成績でさえ人に見せたりしない。失敗したところを人に見られようものなら、心に深い傷を負う。

第三に、そうであるからか、ちょっと裏表がある。陰湿なところがある。ケンカする代わりに、大人の目を盗んで陰でこそこそイジメる。怨みを抱きやすく、受けた侮辱は容易には忘れない。大ゲンカした翌日に平気な顔して「○○ちゃーん、あーそーぼー」と言う大らかさがない。

この半世紀ほどの間に、確かに人間の中身が変わったのである。少なくとも同じ「日本人」と呼ばれる人びとでも、祖父母と孫の間には、ある意味では現在の日本人と外国人の間にある以上のちがいがある。何がこの変化をもたらしたか。

社会の多元性の喪失

母に通信簿のみせっこを強要した男の子は、卒業前にガラス工場の見学に行った。そこで見たものが珍しくてあれこれと質問をしてるうちに、社長にいたく気に入られて、「卒業したらぜひうちに来なさい」と誘われた。そして本当にその工場に仕事を得た。

仮に就職のさいに書類審査があって、この社長が成績証明書や内申書を見たとしよう。そこにあんまり芳しくないものを見たとしよう。恐らく社長は気にも留めなかったろう。学校なんかでよい子でなくとも、よいガラス職人にはなれるのである。

もう一人の同級生の男の子は農家の長男であった。だから卒業後は畑を耕した。そうして自分の育てた野菜をリヤカーに載せて売りに来る。旧友に会っても、ぜんぜん恥かしがる様子もなく「おーい」などと手を振っておる。そして「おらが作ったんだからうめえぞ」と野菜を売りつける。

母は大学卒業後、三省堂で働いていたことがある。ふだんは大日本印刷のような大手の印刷屋に廻しているが、年末ばかりは混雑して空きがない。そこで神田あたりの小さな印刷工場に仕事を持っていく。人出が足りないから、自分で活字を拾ったりして手伝わないとならない。

この小さな工場の社長が自慢にしていたのは、母といくらも年が違わない秘書が大卒であるということであった。社長は小学校しか出ていない。営業担当のおじさんは今でいう中学出である。

成績が悪かろうが先生からお目玉を食らおうが平気の平左であったのは、学校でのパフォーマンスによっては左右されない生き方がいくらでもあったのである。学校の成績を気にするのは進学して役人にでもなろうという秀才君たちである。一割の選良である。残りの九割は、初めからそんな学歴ピラミッドの外で生活して行かないとならない。何の義理があって、つまらん勉強なんかして先生のお気に入りになる必要があるか。

これが世の中の多元性が失われて、みんなが同じような履歴書を片手に一斉に労働市場で競争するようになった。むずかしい言い方をすると、社会全体が官僚制化して、一元的な基準に従ってみんなが平等に競争するようになった。そうなれば、学校でのパフォーマンスがおろそかにできない。成績がいいのはプラスアルファではなく、当たり前になった。ケンカしたり天井裏に上ったりすることなどにかまけている暇はなくなったのである。

反省なき自信

これがよい子を増やした外的(環境上の)な条件の変化である。だが、この外的変化にともなって、内的(心理的な)な条件はどのように変化したであろう。

視点を変えてみると、かつての悪童たちには自信があった。人でも殺めないかぎりは、何をやっても自分の存在が否定されることはない。そういう自信である。この自信があるから成績が落ちても気にならないし、しない方がよいようなこともやる。何かの役に立つからするんでない。ただしたいからする。そして怒られてもぜんぜん懲りない。叱られたときはしょげるが、つぎの日にはもう忘れている。

以前どこかで、ジブリの作品では男の子たちがよく走るという話をした。「今自分は走るべきだろうか」とか「自分はうまく走れるだろうか」なんて考えない。そうする前にもう体が動いている。反省を経ない動物的な直情性、軽快さがジブリ少年たちの魅力である。こんなものに惹かれるのも、おそらく反省に縛られがちなぼくら現代人の満たされない願望をジブリ少年たちが充たしてくれるからである(テレビを見ることが願望充足のための夢と似たような機能を果たすことについては、以下リンク参照)。

このジブリ的少年のモデルは昔の悪童たちである。彼らの自信もまた、反省を経ない自信である。根拠があるわけじゃない。むしろ突き詰めて考えるといわれのない自信である。だけど考えないから気にならない。気にならないから気軽に行動できる。最悪でも父ちゃんから拳骨を食らうくらいであると考えるかぎり、リスクは気楽に引き受けられる。失敗してもあまりくよくよしない。

自己責任論という毒

だが、今日の若い人は「自己責任論」という毒を飲まされた。社会というのは公正にできているのであるから、やるべきことさえやっていればちゃんと生きていける。それができないのは、やるべきことをやってないからだ。だから、そうではないと明示的に示されないかぎり、人生の失敗の責任は自分にしかない。そういう議論である。まあ、優等生諸君が好みそうな主張である。

だが、この自己責任の道徳自体は決して新しくない。他人に尻拭いさせるなというのは古くからある道徳の一つである。「自己責任論」という名では覚えなかったが、われらの世代も当然自分の行動の責任は自分でとるものと思って育った。

だが、「責任をとる」というところに、自分の命や人格を差し出すことまでは含まれておらなかった。自分は少し時代から外れた育ち方をしたようで例外かも知れないが、学校の成績で人生や人間の評価が左右されるなどということにはかつて思い至ったことがない。人のやらないような冒険をするときも、命まで取られるとは思っていなかったから、わりと気軽に自己責任をひきうけることができた。

今日の「自己責任」には、どうやらこの存在の保障みたいなのが欠けている。やるべきことをやらない、やらなくてもよいことをやる。そうして失敗したら自業自得だ。地獄へでもどこでも行ってしまえ。そういうことになっておる。いつぞや障がい者差別に関係して書いたことがあるのだが、そこにあるものの存在価値はもはや無条件には認められていないのである。「生命への畏敬」は明示的な証明を要する事項になってる。

この自己責任論は、子どもたちに反省を強いる。つねに自分のやることの帰結を考慮しなければならない。過去の記録と未来の目標によって現在の生は絡めとられる。もうジブリ少年のように考えずに走りだすことはできない。

この毒を子どものころから飲まされてきた人びとが失うものは、自分という存在への反省なき自信である。それはまた世界に対する信頼でもあった。よほどのことをしなければ、まあ世界の底は抜けない、自分の存在を支え続けてくれる。そういう自信が失われた。

この自信は、たんに技能を習得したとか、人から好かれているということから生じる自信とは次元を異にする。自己肯定感などいう言葉もあるが、自分の能力に関する自信を底から支える無意識の自信である。自分の存在に対する自信である。言ってみれば、宇宙論的な自信である。

コズミックな自己肯定感

今の子どもが昔の子どもより無反省でないということは必ずしも悪口でない。そのおかげで、今の子どもは昔の子どもより多くの面で優れている。生活や人生がよほど合理化されておる。だから自分をよりよく知ってるし、若いのに驚くほどの経験や能力を持っている人たちが出てきている。

しかし、どれほど知識や能力を持っていてもやはり自信がないような人も多い。自分が十人並み以上であるという自負がありながら、それでも自信がもてない。こんな経験をする人が増えているのではないかと、自分は疑っている。ここに古い世代とのちがいがある。そして、その理由は、ひとつにこのコズミックなレベルでの自信が不足しているためではないか。

実は自分などは、この根拠なき自信の持ち主である。その自信は今の自信に安住しないでも生きてけるという自信、自信自体を否定することができるという自信、絶対充たされない希望を抱きつつも絶望しないという自信、決して今の自己に満足しないというような自信である。こんなことを書いた時点で少し自己満足してるのであるが、それでもすぐにこんな自分を皮肉れるだけの自信である。

なぜそんな自信が持てるかというと、たとえ周囲の者すべてが自分の敵に回っても、より大きな「世界」とか「人間」とかいうものが自分の側にいると感じてるからである。

自分には特定の信仰はないが、元来、こうした信念は、「生命への畏敬」を教える信仰によって培われたものである。生きとし生けるものは尊い。その中に自分も含まれている。だから自分もまた畏敬の対象になる(「生命に対する畏敬」については、今までに何度か書いてきたが、例として以下リンク参照)。

信仰につながってるだけあって、これが狂信的な独りよがりにもなりうる。だが、狭い自己を否定しつづけて他の生命にも同じだけの価値を認めないとこの宇宙的自信がもてないから、構造的に他者に開かれてる自信である。つまり、この自信は自分を他の生命と同等にみなすかぎりで得られる自信である。

逆に言うと、他者に開かれないかぎりは絶対に得られない自信であって、自己否定しないかぎり得られない自己肯定とも言える。自分が他の面でいかに優れていようが、生命としては他の生命と同じだけの価値しかないと考えることから得られる自己否定の自信である。

今日の「自己責任論」の毒杯を飲みほした子どもたちがうけとるメッセージは、おそらくこれと正反対のものである。自分の存在価値は他の人より優れていることにある。つまり、他の生命と同等に見なされないかぎりにおいて自分の存在価値がある。自分を価値あるものにするためには、他人を貶めないとならない。

そんな教育を受けて育った大人たちにコズミックなレベルでの自信が欠けているのは不思議でない。更に悪いことに、「生命への畏敬」も欠けているような人が増えていて、両者はかなり重なり合う部分が大きいように見受けられる。自信がない分だけ他者への敬意を欠くというより、他者への敬意を欠くから自信が持てない

これを要するに、自分は自信とか自己肯定感というものは表面的なものとその奥にあるものという二重構造になってると思う。表面的な自信の底に、今の自分を否定しても失われない自信がありうる。絶対に他人に奪われないような自信がありうる。自分が「人間」とか「世界」の一部であるかぎり否定されることはないという宇宙論的な自信である。この記事に使用した画像のネコの目に見てとれる謎の自信である。これを自己責任論が破壊した。より厳密には、すでに根拠が怪しくなっていた自信に止めをさした。

元来、人権思想なども、おそらくこうした信仰を基礎とする個の尊厳から由来する。一人一人の個人のなかに「人間」や「宇宙」が潜在してる。だから個々人の自由や平等が保証されないとならない。この信仰を経ない人権はただの法律屋の人権になってしまう。そういう人権は、かえって他者を人でなしとするために、不寛容な人に用いられるようになる。たぶん日本に人権が根付かないのもこれが一つ理由ではないか。

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