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コロンビアの薔薇

母の日というとカーネーションだと思っていたのだが、ここ米国では薔薇も人気らしい。で、毎年、母の日の2週間前くらいから、マイアミの空港はコロンビアから輸入される薔薇で埋め尽くされるらしい。マイアミのみならず、母の日に全米で消費される切り花の6割はコロンビア産ということである。

一昔前は、切り花輸出国のトップはオランダであったらしいが、今日ではコロンビアがこれを抜いて世界第一位らしい。米国のみならず、日本でもコロンビア産の切り花はおなじみだと思う。うちのかみさんがアゼルバイジャンというカスピ海の隣にある国に行った時も、なんとコロンビア産の切り花が売っていたらしい。

切り花などという、かさばる上に保存の効かなそうなものを、わざわざそんな遠くから空輸するのもご苦労なことだと思うのであるが、グローバル化とか地球規模化なんて呼ばれるものの一例ではある。

でも、考えてみるとこのグローバリゼーションには妙な逆説がある。コロンビア産の薔薇が引っ張りだこなのは、恐らく世界中の多くの国で5月の第二日曜日に母の日を祝い、また似たような花を贈るようになっているからだと思う。他方で、それを輸入するのは、コロンビアでは比較的良質の切り花が安く生産できて、母の日の前に大慌てで空輸してでも、自前で作るよりはずっとコストが小さいということであろうと思う。

つまり、グローバル化の前提は二つある。一つは国境を越えて多くの人が同じものを欲するようになることである。固有の文化に対するこだわりとは裏腹に、世界の中流の人々の生活は驚くほど似通ってきているきている。この人たちは同じような教育を受け、同じような本を読み、同じような映画を見て、同じように母の日やクリスマスを祝い、同じようなものを必要だと思っている人たちである。

例えば、今日の日本人と台湾人と韓国人と中国人の中産階級が欲するものを比べてみると驚くくらい同じなような気がするし、それはまた他の地域の中産階級が欲するものと重なる部分が大きいと思う。そして、われわれが想像する以上に、文明圏を越えて文化のこの同質化が起こっている。こうした人たちの必要や欲望を満たす商品の生産と消費の回路が国境をまたがるものになっているのがグローバル化の一つの側面である。

でも、中産階級の同質化の一方で、グローバル化には差異も必要である。貿易というのはあるモノをある場所から別の場所へ持っていって売ることであるから、その場所の間に違いがないと成り立たない。切り花や農産物のようなものだと自然条件も影響するのであるが、今日の多くの貿易産品は自然というよりは人的に作り上げられる条件によって左右される。

その一つが労働力の質と賃金水準であるが、それはまた特定の社会における生活水準、つまり最低限の文化的な生活に何が必要とされているかによって決まる部分が大きい。もしコロンビアで薔薇を栽培する人々が先進国の中産階級と同じような生活を送っていたら、きっと薔薇を生産するコストも上昇して、コロンビアで栽培して飛行機で空輸するメリットは大幅に減ずる。

ということは、もし世界中の生活が同質化され、労働者の質や賃金水準が平準化されると、自然条件や市場への距離以外には生産の場所を決める要因はなくなる。そうなると、貿易というのは、その昔インドの香辛料をヨーロッパに輸入したみたいに、自然条件やコスト高でどうしても地元では作れないものだけに限られてしまう。

今日のグローバル化を動かしているのは、国ごと労働力の質や賃金の格差、遡ると生活水準のちがいをうまく利用した地球規模での分業から生み出される利益である。この格差がなくなってしまうと、グローバル化の動因の一つが失われてしまう。全世界が中産階級化され、みんなが同じような生活を送るようになったら、グローバル化は恐らく減速するんじゃないかと思う。

しかし、文化的なちがいを格差のちがいに翻訳してしまうのが、近代的の進歩史観であった。生活水準と呼ばれたとたんに、文化的な差異は消失して、ただ高低という一元的な基準によって生活のし方のちがいが理解されるようになる。それで説明できることも多いのであるが、本当にこれだけであるのか。世界はいずれ、中産階級を越えて、同質化されることになるのであろうか。そもそも、表面的に同質的に見える中産階級は、どこまで内面的にも同質化しているのか。

同質化された世界の中産階級を顧客にしながら、異なる文化共同体の生活の差異からその生命力を得る。そんな矛盾したものがグローバル化というものらしい。かろうじて(?)私もまだその顧客の一人なのであるが、余計なことを考えていたせいか、今年は路上の花売りから薔薇(当然、コロンビア産)を母の日用に買うのを忘れてしまった。いや、またひとつグローバル化の波に乗り損ねて、損をしてしまったようである。

(2012年5月14日)

追記:いまさっきコロンビアに住む知り合いから教えてもらったけど、現在はケニアが薔薇輸出ではコロンビアに競合してるらしい。ケニアの薔薇だ。経済的必要は文化的文脈を軽く越えて行く。のか? (2021年5月11日)

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。