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寛容の守護者の不寛容(リベラル知識人が信用されないのはなぜか)

世の中には多様性に寛容な人々がいて、不寛容からぼくらを守ってくれる。大概、世俗的で、教育水準が高く、物事の道理をわきまえている人々で、国境を越えた世界市民的視野をもっている。広い意味で合理的・科学的思考ができる人々である。だから合理性・科学性と寛容は切っても切り離せないような印象を与える。

だが、ぼくらはその寛容の守護者を自認する人々にある種の不寛容を感じとり、不信感を覚える。この直感はまったく見当はずれであるのか。

「ぼくら」と言ったが、実は自分などもそうした寛容で不寛容な人間の一人である。それで反省を試みることにするが、インテリの自己批判であるからちと迂遠な話になる。

ヨーロッパ文明がなぜエライか

言うまでもなく、今日の世界市民に規範的モデルを提供するのは欧米社会である。確かに、今日、欧米諸国の覇権は相対的に低下している。だが、文化的には「西洋」というものの持つ権威はいまだに無視しえないものがある。消費文化についてはグローバル化が進んでいるが、価値体系や意味付けという意味での文化に関しては、未だにヨーロッパ中心主義なことが多い。それは各国のエリート文化というものがこの西洋文化の摂取によって成り立ったからでもあるし、そのエリート文化がまた民衆にも浸透し、無意識のうちに再生産されるに至っているからでもある。つまり、ヨーロッパ文化が非ヨーロッパ社会の構造に組み込まれてる。

なぜヨーロッパという辺境の地に育った特殊な文化がそこまでグローバルなものになれたかというと、もちろん政治力・軍事力を背景とした同化作用があったわけだが、同時に「普遍性」の主張という妙な魅力をもったものであったからである。

つまり、こういう主張である。ヨーロッパの文化はヨーロッパだけの文化でない。それはいつでもどこでも通用する「文明」である。他の文化とは、実はこの文明の遅れた形であり、多様性とは進歩の遅速の違いにすぎない。いずれはみな同じ文明に収束していくはずである。ヨーロッパ文化は人類の文明のもっとも完成した形である。

ナショナリズムの洗礼を受けたわれらは、こんな主張を真に受けなくなっているはずだが、それでも半分以上は真に受けているにちがいない。デモクラシーや人権が嫌いな人でも、市場経済とか株式会社、近代国家とかまで否定する人は少ない。そもそもナショナルなものを強調するナショナリズムがヨーロッパからの直輸入品である。

しかし、何といっても学問的な優位がある。今日、趣味以上の意味を持たされる学問はほぼすべて西欧起源である。中でも科学は普遍的知にもっとも近いものを持っている。いつの時代であろうと、どこの国であろうと通用する知があるとすれば、それは近代科学である。むろん、今日では欧米以外の地域出身の学者もたくさん生まれ、多大な貢献をすることになっているのであるが、まず欧米学問の伝統知の蓄積を習得しないでは、そもそも話にならないことになっている。

西洋の寛容と不寛容

そこで、なんで西洋だけが普遍的な哲学、そしてその延長として近代科学を発展させることができたかという問いがある。それだけ西洋には学問の自由を尊ぶ文化があったのだ、と答えたくなる。そして、それが近代以降のヨーロッパの自己理解でもある。その文化英雄の一人がガリレオである。

だが、ガリレオの例を見ても、西洋の文化が単純に「寛容」の文化であったとは言えない。逆説的だが、自分はここにヨーロッパ社会の「不寛容」を見てもいいんじゃないかと思う。もちろん、常識や伝統にそぐわないこと、新しいことは何にも認めないという意味での「不寛容」ではない。ヨーロッパ近代というのは伝統に対する反逆でもあったから、寛容を必要としたし、また寛容を生み出しもした。

だが、その寛容には限りがあった。普遍的な真理は一つである。真理がいくつもあったら普遍的でない。「人それぞれ」であっては哲学も科学もない。意見の多様性はそれ自体に価値があるのではなく、真理に到達するための手段として従属的な位置にある。最終的には多様性は一つの真理に収斂していくはずである。こうした考えが西洋の伝統には根強くあったのであり、それが自分のいう「不寛容」の水源であるように思える。今日でさえ、「人それぞれ」という寛容(というより普遍的真理に対する無関心)がよく口にされるのは、むしろわが国のような非西洋地域であるように見える。

真理への献身が生む不寛容

この不寛容があるから、ヨーロッパでは普遍的哲学・科学が発達した。大の大人が何の役にも立ちそうにない形而上学的な問いについて、文字通り身体をはって口角泡を飛ばしてきた。コペルニクス、ケプラー、ブルーノといった人たちは、どうも今でいう科学者というより神学者や神秘家に近い人々であったらしいが、いずれにしても太陽が地球の周りをまわっていようが、地球が太陽の周りをまわっていようが、どうでもよい話ではないか。そんなことを知って誰が得をするか。

得をしようがしまいが真理を無視すべきじゃないというのが正論だが、それを実行しようという人の数は必ずしも多くない。科学の洗礼を受けた今日においてだって、多くの人は自分の役に立たない真理には冷淡である。ドラマならまだしも、現実に真理に命を懸ける奴がいたらきっと笑うに決まってる。実際、どれだけの人間が真理にコミットしているが故に冷や飯を食わされているか、それさえ知ろうとしないじゃないか。

だが、ヨーロッパでは、この飯の種にもならん真理の追求が大人の真剣勝負であった。理由は、教会という歴史上特異な組織と関係があるように思える。そうした問いが聖俗の権力関係に無視しえない含意を持つが故に放置して置けなかった。俗なる権力と張り合う教会の権力基盤が真理を知る資格の独占であったが故に、知をめぐる闘争が単なる技術の発明や遊戯に止まらなかった。

だから、欧米では「知と権力」の腐れ縁には永い伝統があり、今日に至るまで問題化されている。知と権力は互いに切り離せない関係であり、それは政教分離の今日においてもそうであるという問題意識である。自分などもフーコーなどを読んでそうなのかと感心していたのだが、今振り返れば実感の伴わない一知半解に過ぎなかった。

何となれば、日本の歴史などを見てもそこまでの腐れ縁があまり感じられんのである。「知と権力」の問題は普遍であるかもしれんが、彼らが描いた「知と権力」の構図は西洋社会特有のものでもあったのである。その西洋知識人の自己批判を無反省に日本に適用しようとする人たちが日本にも生まれたんだが、型に内容を詰めこむという批判が自分に当てはまるような自家撞着に陥っているものが多い印象である。

日本では知の独占が弱かったから、「人それぞれ」でもよかった。誰が何を知っているかという問いは、ごく狭い範囲を除けば政治問題化しなかったのである。明治国家で宗教の集権化が行われて初めて深刻な「知と権力」の問題になりはじめる。美濃部達吉だろうが津田左右吉だろうが、どこかの学者の皇室に関する学説を放っておけなくなる。そうした側面から見れば、天皇制国家というのは封建制の残滓ではなく西洋国家の模倣であり、それにともなって偽りの知への「不寛容」もまた輸入されざるを得なかったのである。

寛容の政治と不寛容の科学

こんなひねくれた話をするのは、欧米社会を寛容の社会と見て、その模倣をもって多様性に対する寛容と見る見方は一面的のそしりを免れないということを言いたいがためである。

西洋起源のデモクラシーは多様性にたいして最も寛容な政治制度であるといわれるけど、自分はこれさえも疑うようになっている。デモクラシーにおいても、意見の多様性はやはり中央集権化された政治権力と知の生産体系に従属させられている。良くも悪くも「不寛容」がビルトインされている。同じ一神教でもイスラム帝国の方が多様性に寛容であった。無理に真理を統一しないから多様な民族・宗教から成る帝国が可能になったのである。

そうであるならば、今日の西洋的なものを寛容の規範的モデルとして受け取るだけでは寛容な社会を考えるに不十分である。

西欧においてはルネサンスや宗教改革によって政治や科学といった分野が宗教から独立していったわけで、教会という非寛容な組織があったかぎりで、西欧では政教分離が政治的寛容と結びついた。だが、政治が科学的行政術となるにつれて、この不寛容が再び政治の領域も浸透してくることになる。なんとなれば、科学もまた真理は普遍的であり一つであるというキリスト教的世界観を受け継いでいるからだ。

非西洋社会の知識人であること

そして、いわゆる「リベラル」な知識人たちとその追随者たちは、普遍的な真理にコミットした人々である。だから、政治を科学に還元しようとする傾向がある。醜い政治を統制のきいた科学的行政によって代替しようという彼らの理想は、一種の学者政治もしくは専門家政治である。学識に敬意を払う民衆が学者風の指導者に追随するんである。当然ながら、実際には民衆が追随してくれないんで、多くのリベラルは大衆批判に走って、自分の不幸な境遇を嘆く自己憐憫に耽ることになる。そうしてリベラルが新保守になる。

さらに、驚くなかれ、普遍的真理がもっとも実現しているのは欧米社会であると彼らは考える。つまり冒頭に述べた文明史観を暗黙に受け入れておる。近代欧米社会が単なる比較の対象ではなく規範的モデルとして捉えられる傾向が強い。そうして、欧米社会を知っている者が政治を知るものであるという前提で話をしたがる。だが、ここで述べたように、その欧米社会は、確かに有る面では多様性を許す寛容な社会であるが、他の面ではやはり不寛容である。

少なくとも欧米知識人は既にこの事実に気づいて自己批判を展開しておる。だが、それを直輸入さえすれば自分もその仲間入りできると考えてるような学者が日本には多い。政治において普遍的真理を想定することは「知と権力」の問題を正面から提起することになる。「知と権力」に関する学説の輸入に熱心であるわが国知識人は、ともすると「知と権力」の腐れ縁批判をしながら、知識人としての自分の立場がある種の権力と結びついていることにびっくりするくらい鈍感である。グローバルな知の重畳的階層における自分の立ち位置の自覚がすっぽりと抜け落ちているから、そういうことになる。

だから、寛容の守護神たちの不寛容は、ただの偶然や個人的な落ち度じゃない。自分の診断であると、知識人の自己理解と深く関わりがある。これに蓋をしようとするところから発する腐臭が、不寛容のために知識人の真似事をしたい連中を蠅のように引き付ける。いつの間にかガリレオが教皇庁の小役人どもになってる。

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