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絶望の文学で学ぶ国語

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国語の教科書でぼくらが出会った文豪には、若くして亡くなった人が少なくない。そして、自殺者が多い。文学通とは言えない自分が今思いつくかぎりでも、北村透谷、有島武郎、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫などの名が思い浮かぶ。

夏目漱石は自殺はしなかったが、教科書で読んだ『こころ』はやはり自殺を扱っていて、中学生であった自分にはちと重たすぎる内容だった。若者の常として自殺という言葉に魅せられて同級生の間で話題になったりしたが、なぜこんなものを学校で読まされるのかよくわからなかった。そのうち仲間内の冗談のネタになってしまった。

絶望する文学者たち

文学者にはどうも自殺する奴が多い。うすうすそう感づいていたが、なぜそうなのか子どもの自分にはわからなかった。埃っぽい部屋で不健康な生活をしていたからか、結核で亡くなる文学者も多い。あるとき国語の先生が「結核というのは頭がよい人がなる病気だと思って、オレも結核になりたかったよ」と冗談を言ってたのを聞いて、自殺もまた天才の病のようなものだと思っていた。

ところが、今になって文学史なんかを読んでると、直接の原因は異なれど、自我と社会の対立に悩んだ末に絶望して命を絶ったということになっている。そして、この社会というものは、どうもぼくらがそれに適応するために学校に通わされているものである。国語自体がこの適応のために必要とされているのだが、それは社会に絶望した人びとの言葉を学ぶことによって習得されている。

もちろん、教科書にはそんなことは書いてないし、先生も教えてくれなかった。だから、芥川龍之介などは『鼻』とか『蜘蛛の糸』みたいに、ちょっとおかしくてしかも教訓的なお話を書いた人という印象を、自分は長いこと抱いてた。これが『地獄変』などを読むとぜんぜんちがうらしい。芥川が自殺したときに、彼を知る人の多くは「やはりな」と思ったようであるが、それほど彼は自分の生きる社会に絶望していたようなのである。

自殺に至らなくとも、文学者はほぼ例外なく自分の生きる社会から疎外を感じ、抑圧された自我をテーマにして書いている。『吾輩は猫である』の夏目漱石でさえ、自殺こそしなかったが、その文学上の歩みは自我と社会との苦闘に彩られてるということは、あとになって知った。

とすると、ぼくらが教科書で読まされる文学の多くは、実は社会への絶望の文学である。子どもにわからないようなテーマを扱っているし、わかってもらっては困るようなものである。読解されては困るようなものを、わざわざ国語の教材として学ばせてる。今のうるさ型の親たちが知ったら、大騒ぎになりそうな話である。なぜそんなことをしてきたのか。

理由は、国語の教科書を編纂する先生がたの多くが文学畑の人であるからである。科学者が自分たちの吸収した過去の業績を次世代に引き継がないとならないように、文学者たちもまた自分たちの受け継いだ遺産を子どもたちに残そうとする。次世代にも自分たちの精神を育んだものに親しんでほしい。それだけの話である。

しかし、国語を学ぶのに絶望した自殺者たちの文学を、それが書かれた本当の理由を隠しながら読ませる意義があるのだろうか。そんなことをするから、読解力が身につかない子どもが増えていくのではないか。そう問えなくもない。

偶然かもしれないが、最近の国語の改定では実社会で役立つ国語の習得に重点が置かれて、言語文化としての国語の方が軽視されてるという批判がある。多くの人にとっては、学校を卒業してしまえば文学書などは暇つぶしである。それよりも契約書やら生きるために必要な情報やらを読解する能力の方が大切である。下手に文学的な表現を学ばせたりするから、実用的な文書が苦手な奴が増える。表立っては口にされないが、そういう批判が裏にありそうな気もしなくもない。

文学と自我形成

しかし、自分が思うに、近代言語としての日本語の大事な部分は、この絶望の文学によって作られてきた。だから、これを学ばずしては、近代言語としての日本語を習得しきれない。

近代言語の特徴の一つは、自我の語る言葉であるということである。自己自身を社会から切り離し、それ自体を対象化して分析し、それを伝達可能とするような言葉である。知って伝達するだけではない。そうすることによって内面が深められていくし、また表面的には異なる文化をもつ他者との相互理解が可能になる。

権威主義を否定しつつも異なる個人の共存が可能となるのが近代の自由社会であれば、その前提となるのがこの近代言語であった。ということは、自分自身の感情や思考を他人に伝える言葉を習得しなければ、近代的人間にはならない。近代的自我をもつとは、そうした言語を習得することであるといってもよい。

近代以前においては、自分の内面を理解し、それを他人に伝達する必要はあまりなかった。外から見える形式をきちんと守り、要すれば内面の誠実さを確約する紋切り型の口上を口にすればよかった。

であるから、近代言語となる以前の言語には、自分の複雑な内面を語る言葉に乏しい。だからといって、昔の人の心が複雑でなかったというわけではない。うまく言語化されないことは歌などを通じて象徴的に表現されたし、また人々は口にされない心の微妙な動き(「人情の機微」)を心の中で慮った。しかし、これを精確に伝達しようとすると、それを伝える言葉がなかった。

感情の場合は他人の共感を期待することもできるが、思考となるとそうはいかない。であるから、日本では明治維新の後に近代化が推し進められても、市井の人々の関係はなかなか近代的なものにならなかった。

日本においては自我の問題は文学の輸入を介して持ちこまれた。近代日本の文学者たちの直面した状況を考えてみよう。彼らは西洋の小説を読んで、日本語で同じようなものを書こうとした。しかし、近代的自我が近代的な自我について書くのが近代小説であるとすると、近代的自我が未発達の日本においては、小説の題材になるものがない。

『アンナ・カレーニナ』も『ボヴァリー夫人』も創作であるが、トルストイやフロベールの実際の体験に基づいて書かれてる。お話のなかで交わされる会話のようなものが実際に交わされていてもおかしくない社会に住んでる。だから創作であっても虚構にならない。嘘くさくならない。

これに対して、日本の日常はいかにも平板に見えた。自分たちの周囲で起こる出来事をいかにこね回しても、『アンナ・カレーニナ』にも『ボヴァリー夫人』にもならない。自分たちの交わしているやりとりをいくら修飾したところで、義理人情物にはなるかもしれないが、小説にはならない。

であるから、彼らは自分自身の自我について書くしかなかった。近代作家が書いた作品の多くは、他人に先駆けて近代的自我を覚醒させた者自身の告白である。まだ書く対象となる自我がそこに存在しない社会で、いかに小説を書くのかという悩み自体を書く自我の記録である。この孤独が文学者を絶望に追いやり自殺に追い込んだ。だが、その記録である文学こそが、日本において近代的自我の建築されていく現場であった。

学校教育や各種の文化財を通じて、この文学で培われた言葉が次第に市井の生活にも浸透していったがために、今日では文学者でないものが容易に自我の言葉を口にできるようになった。文学やラジオ、テレビ、映画などのメディアを通じて接した言葉に触れて、日常ではお目にかかれないような人間関係に憧れた者が、それを真似しはじめる。そうして、ぼくらの日本語は近代的自我を表現しうる近代的言語の体裁を整えた。

話し言葉と書き言葉の距離

近代的自我のために闘い若い命を散らした人々にとってはよい手向けであるが、実は今日でも市井の言葉は完全には近代化されていない面があるように思われる。

たとえば、小説やマンガの台詞をそのまま日常で使うことができない。そんなことをすると芝居がかった嘘くさいものになる。いまだに日常の会話においては自分の内面を語ることばは決まり文句に頼る度合が大きい。そうでなければ、言葉少なに語られることから、他人が相手の心情を推測することが期待されてる。つまり、日本ではいまだに話し言葉と書き言葉の距離が開いている。

といってもピンとこないと思うが、ドイツ語やロシア語はかつて俗語であった。つまり日常の会話のための言語であって、ちょっとでも高尚な話をするにはフランス語に頼らないとならなかった。学問も詩も音楽も評論も外交もドイツ語やロシア語ではできなかった。そうなるためには、やはりフランス語でしか言えないものを俗語でも言えるようにする国民文学を必要とした。

ぼくらの場合は同じ日本語なのであるが、これが二つに分かれてる。書くことはできても話すことのほとんどない言葉がたくさんある。書かれるだけの日本語にはほとんど外国語のように意味不明なものがたくさんある。ぼくらが気軽に口にし、また聞いて理解できる日本語というのは、実はかなり限られたものなのである。

たとえば、洋画と邦画を比べてみると、一見して気づくのはそのセリフの量の違いである。特に恋愛ものにその差が大きい。邦画では訥弁で、ほとんどセリフがなくても映画が成立する。セリフの多くもあまり能弁ではない。人々はむしろ言葉にならない心の動きを想像して慈しむ。多くを語る愛は嘘くさく感じる。洋画では逆である。内面の奥の襞まで表現しつくさないと気が済まない。日本語で日本人がこれをやると芝居がかったものになって、とても見てられない。

これは感情ではなく思考でも同じである。複雑な思考の産物がどんどんと邦訳されたにもかかわらず、それらの言葉の大半は本の中にとどまっていて、話し言葉のなかには採りいれられてない。ただ本について語るときのみに口にされるが、あとは目で見るだけの言葉である。本に縁のない人には一生縁のない言葉である。そんな使い慣れない言葉を不用意に口にすると、自分でもわかるほどたどたどしくなる。聞く方も「むつかしい」「衒学的」「気取ってる」と感じて聞き苦しい。

それも無理のない話で、そもそもそうした言葉の多くは絶望の文学によって編み出されたものである。「人生を語るぞ」なんて力こぶを入れないとなかなか用いることができない、「改まった」「余所行きの」言葉である。自分の境遇以外に語るべき素材をもたない小説家たちが、文壇というほとんど外界からは閉じられた実験室において培われた表現である。文壇の外にいる人びとはそれを観客として眺めていたのであって、自らがそのような表現を用いる機会があったわけではない。

普段用いられない言葉たち

人間嫌いの、しかもかなり情緒不安定な変人たち。社会に絶望し、狂気に駆られて自殺してしまうような人々。そんな人たちの書いたものを、ぼくらは国語の模範として食わされてきた。しかし、それがなければ日本語は自我の言葉、自分自身を深く理解しまた表現することばをもたなかったかもしれない。

だが、彼らが表現しようとしたものは必ずしも伝えられてない。国語教育は、文章の技術的な側面だけを模倣させようとすることによって、文章と表現されるものの関係を見えにくくしてしまった。

だから、ぼくらの多くは高尚な文章というのは自分の理解を超えるものを表現してると思いこんで学校を卒業していく。複雑で豊かな文章は、むしろコミュニケーションを阻む障害として敬遠される。気持ちが通じてるのに、なぜわざわざ言挙げする必要があるかと思う人が多い。これが自分と異なる他者を理解することを始めから諦めてしまう「人それぞれ」の態度にもつながる。

そうなると、ぼくらが国語教育から学ばされてるのは読解力ではないかもしれない。それどころか、わからないことはわからないままにしておけという暗黙の命令であるかもしれない。

日本語が土着の言葉ではない輸入言語を短期間に大量に吸収しえたことは一驚に値する。だが、それはまだ完全にぼくらのものにはなっていない言語である。大きく膨れ上がった語彙や表現を、まだぼくらは消化しきれていない。本には収められているけれども、自発的に口にすることのない言葉があふれてる。日本語の国語とは、まだ自分では着たことのない晴れ着がいっぱい詰まっているクローゼットのようなものである。

これらの言葉を使いこなし文化的な生活を豊かにしていくにはどうしたらよいか。絶望にかぎらず、内面性を思う存分他人に理解可能なかたちで表現しうる国語とはどういうものか。実用本位の国語教育は、この課題に答えを与えてくれるとはかぎらない。

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