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ある行旅死亡人の物語

先日noteで紹介した「本屋、地元に生きる」という書籍もそうですが、たまに書店の陳列棚で偶然見かけて、前知識も無いまま迷う事もなく本を選ぶことがあります。(いわゆるジャケ買い)
そして、そんな風に手にした本は、私の中で高確率でクリーンヒットします。
最近そんな作品との巡り合いが続いています。

「ある行旅死亡人の物語」
作者: 武田 惇志さん、伊藤 亜衣さん共著(共同通信社所属)

概要については、HONZを引用します。

「行旅死亡人」とは病気や行き倒れ、自殺等で亡くなった身元不明の死者を表す法律用語である。死亡人は身体的特徴や発見時の状況を官報に公告される。
映画やミステリー小説でも良く登場する”誰かわからない”遺体。その身元を新聞記者が突き止める過程を記したのが『ある行旅死亡人の物語』だ。

現代はSNSから個人が特定される時代ですが、ほとんど身元を表すものを所持せず、当然SNSも行っていない、そもそもネットに触ってもいない人物を如何にして調査するのか。
それでも女性の身元は、ネット上のわずかな手掛かりをきっかけとして、地道な活動で手繰り寄せられます。
記者というキャリアがなければ思いつかないような着眼点が随所に見られ、調査の過程が本書の醍醐味とも言えますので、是非本書を手に取ってみてください。

この本を読んでいて思った事は大きく次の二つ。

地道な聞き込みが功を奏す時代は、いずれ消滅するのではないかということ。
ある日突然新聞記者から個人情報を取材されたら、如何なる事情があるにせよ、私なら協力していないかも。。。
例えば私が協力する事で助かる人がいたとしても、逆に誰かの不利益となる可能性もあり、そんな計り知れない事に関わるのは、心理的ハードルが高いです。
そこは私自身の人間性が問われる部分なのかもしれず、だからこそ作中で協力的だった人達や、隣近所との距離感の近い地域に対して、憧れのようなものを感じてしまいます。

もうひとつは、市井の人であっても、社会のどこかにその人の生きた足跡がひっそりと残されていて、誰の目にも止まる事なく、静かに消滅する日を待っているということ。
自分自身でも覚えていないどこかに、「私」という存在の痕跡が残されているいて、その足跡が掘り起こされた時、たとえ肉体が無かったとしても、それは生命の復活と言えるのではなかろうかと、そんな風に感じました。


おとんと生前交流のあった人達や、実家に残っているおとんの絵画や謎の手記をもっと深掘りしていけば、おとんという「情報」に命を与えられることになるのかもしれません。

でも私が死んだ後に、私の事を家族に調べまくられるのは、ちょっとイヤかも。。σ(^_^;)
自分がネット上に残しているものを考えると、ちょっとどころか、かなり嫌なので、私が死んだ後は、決して復活の呪文を唱えないで下さい。

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