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地獄が愛の形をしているもんで

おろかな家庭が過程を仮定するために、優しい嘘から始まりました。

父と母とで手分けして、私ら姉妹を守る為のものでした、少なくとも彼らにとっては。

力と頭の弱い人がつく嘘は、しょうもなくて見るに耐えません。誰の事も守れやしません。

それが愛の形をしているのだから、許してあげなさいと大人は口を揃えています。

大人たちは、若い者に優しくすることには大して興味がありません。己の味わった苦しみを、存分に下の子達に味合わせてあげたいのが本性ですから。

それでもそれをひた隠して、私達に近付いてきては「学びなさい」「許しなさい」と肩を叩いて笑いかけてくるのです。

それもまた愛の形。嘘つきはいつも、愛の形をしてやってくる。

まるで慈愛のような口振りで、けれども手には、何時でも傷つけられるように準備がしてあります。

それに気づかない程馬鹿ではもういれません。貴方が私を馬鹿にしていることを、私は賢く理解していきます。

馬鹿がついた嘘を、馬鹿が見抜いて怒ります。馬鹿が怒ったことに、馬鹿が怒ります。

無意味な行為ですが、何百年も「夫婦喧嘩」という名前で愛されてきた伝統文化です。

ありふれていますが私の家族は私にとって、あいにく1人目の父と1人目の母ですので、常に初めての苛立ちと焦燥感があります。

『転生したら不甲斐なかった』という訳でも無いので、前世の記憶で上手く立ち振る舞う訳にも行かず、上手に仲裁など意味も無く、ただたどたどしく脅え、平和が訪れるのを待っていました。

数年が経ち、口が立ち、私は彼らの嘘の浅はかさにげんなりとしている自分に気付くのです。

「守りたい」のに「嘘をついた」彼らはあまりにも弱く、大人と呼ぶには些か幼く、子どもと呼ぶにはあまりに粗末な年老いた2人がただそこに居て、平和な家族のフリをしようと試みては頭が足りずに転げ落ちていました。

私は1人、それが間違いなのだと気付く場所にいました。

先程の通り、彼らは嘘こそが愛の形であると信じているので、私が彼らに向けた正義はただの牙のようでした。

「どうしてそんな傷つけるようなことをするのだ」というような顔で私を睨み、しかし真っ直ぐな瞳で見つめることも出来ない彼らは、なんと弱い者だろうと見下していました。

正しくないものは壊れるのを待っている

ある日彼らの嘘が音を立てて壊れて行きます。長い年月をかけて作った彼らの愛の城は、呆気なく一言で崩れていきます。

私はそれを「でしょうね」と、もう他人事のように笑うことしかできません。

間違い続けて作ったものが、平気なフリしてそびえ立つなど無理があるのです。いつか壊れなければ、正しいものさえ蝕む悪魔になるのですから。

甘く囁く悪魔は崩れた塔から飛び出し、遂には牙を剥きます。「これこそが本当の悪意じゃないか」愛の形にひた隠してた、醜い姿がやっと本気を出せるぞと悦んでいる。

私達を守りたかった彼らがついた嘘が、腐って全てに猛威を振るった。互いを快楽の尽きるまで傷つけ、周囲にドブ臭い毒を吐き散らし、都合が悪くなればケタケタと笑い逃げ出した。

女の形をした「母親」を名乗って居たものが逃げ出した世界は、拍子抜けするほど間抜けな時間で。私が引き継ぎのされてない「母親」の代役をこなすことになりました。

「父親」と名乗っていた男の形をしたものは、「父親」と呼ぶにはやはり拙いので、私は「他人」としてやり過ごすしかありません。私も「母親」にしては些か拙いので、私も彼の「他人」として暮らすことにしました。

責任の無い共存は侘しさと平和

「父親」で無い彼は「子ども」でない私には無害で、「男」だった彼は、「女」の居ない世界でやっと「子ども」が視界に入るようになったようでした。

何となくやるせないおもいを抱える日々。生きるために「他人」としてやり過ごしたり、「家族」として話したり。都合よく右往左往。

この父親と私の1年間は、スーパーの売れ残った見切り品の棚のような侘しさに包まれて、あまり詳しく覚えていません。
 
ただ生きる毎日。過度に期待せず、故に絶望をぬるま湯に漬け込むような日々。出来ることに手を伸ばしてみては、一歩よりも少ない幅で進んでいく。

諦めの色を平和と呼ぼうとした時に、突然あらわれた流れ星。とってつけたような陳腐な光が、何となく「その程度」のようで、安心して手を伸ばしてみた。

最低なことして最高になろうよ