154. 驕りが人生を狂わす⚙
♦︎驕り(おごり)
この言葉の意味を自分なりに定義してみます。
人生が生み出す油断、自分の考えが正しいと思い込んでしまう油断などであり、謙虚でない様子のことを表す。
例えばこんな時に使える。
今日上手くいったから明日はうまくいくはずだ。
そして、学ぶことをやめる。
これは驕りである。
驕りが生み出す弊害について。
自分に自信があるのは良いことであり、それが人生を上手く導くことはある。
しかし、何もかもに対して自信が過剰になってしまうと、それは問題である。
学ぶことをやめる。という姿勢につながるからである。
自分の知らないことは知らない、出来ないことは教えてもらう。そういう姿勢があると、人生は簡単に進むことがある。
初めてやるスポーツや勉強などではその道を詳しく知る人に教えてもらうことが1番の上達への近道である。
それが分かっていれば、何もかも自分でやろうだとか、自分に自信が過剰になっていることに気がつく。
サッカーでも、上手い人に教えてもらう、習う、真似をすることから始めてみるのが1番上手くなる選手の特徴だと思う。
シュートが決まらないならシュートの上手い先輩に、パスが下手ならボランチのパスがうまい選手に教えを求めることから初めてみると良い。
意外と自分が思ってるより、頼りにされるというのは気が良いことで、教えてあげたくなるものである。
♦︎学びは24時間ずっとチャンスがある
自分が批判されたり、悪い立場になった時に気がつく。
どれだけ自分が驕りの中で生きてきたか。
教えてもらうことは恥ずかしいことではないし、失敗は誰もが通る道である。
明日は何が出来るのか、それは今日の準備に掛かっていて、自信がある人は準備をしっかりしてきた人である。
サッカーにおいても準備の重要性が極めて高く、準備が遅いと試合で活躍できない。
サッカー中ももちろんだし、その前日や、試合前のアップの準備の仕方でその人のレベルがわかる。
よく小学生の頃はアップで全力を出し切れと言われた。
なんでやねんとか思いながら、全力で走っていたあの頃が懐かしい。
結局、小学生くらいの時に受けた指導は刺激的で頭にこく記憶が残っている。
サッカーを始めたあのとき、初めて点を決めた時、怒られまくったとき、全てが今の自分を作っている。
サッカーをしていなかったらここまで楽しい人生は送れなかった。
いつも、サッカーのことばかり考えていて、周りが見えなかった中高生時代。
もう少し周りが見える人間だったらあのとき楽しみが増えたのかなと。
サッカーだけ。も良いけど、それがなくなった時に初めて本性が現れる。
明日もボール追っかけて。楽しもう。
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