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死を迎え撃つ

母から、祖母が緩和ケア病棟に移ったと連絡があったのはおよそ一週間前のこと。
想像もし得ないほど煩雑な手続きを終えたのであろう、母の声はどこかすっきりとしていて、達成感すら感じられた。

母の実家に生まれ育ち、祖母とは私が大学を卒業して家を出るまでずっと一緒に暮らしていた。その祖母が特別養護老人ホームに入ったのは私が家を出てから数年後のことだった。

どんな経緯でここに辿り着いたのかさえ、私は詳しく知らない。共に暮らしていた時代を含め、10年近く母はずっと祖母の面倒を見てきた。施設を移ったり、役所の手続きをしたり、その度に母は仕事を休み、休日を返上し、自分の時間を犠牲にしてきた。
祖母が年老いてからは、いやそれよりずっと昔からだけど、障害を持つ叔父(母の兄)のことも同時進行で面倒を見ていたため、自分の時間なんてあってないようなものだっただろう。そしてそれは、これからも続く。
母と叔父の関係性、また母と祖母の関係性について語るには字数が足りないし、相当滅入るため今回は書かないが、もう還暦を超えた母の苦労をこの先は少しでも一緒に担っていければと思っている。

今日は祖母と私の話。

私の知る祖母は、ずっと元気な祖母だった。私が生まれた時からずっと「おばあちゃん」だったのに、私が成人してもなぜ変わらない姿の「おばあちゃん」だったのだろう。
小学校高学年にもなると祖母の身長は越していたが、いつまでも私を甘やかしてくれる、いわゆる“ダメな祖母と孫”の関係だった。
ああ、だめだ。書いていると涙が出てくる。

完全分離の二世帯住宅だったが、夕食はいつも祖母の家。中学生の頃は「おばあちゃんが心配だから」とか言いながら、こそこそ深夜番組を観るために祖母の家に泊まりに行っていた。
母に対しては異常なまでに厳しい祖母も、孫、特に私に対しては可愛くて仕方ないといった様子で、私もそれを存分に享受していた。

祖母が実家からいなくなり、私も社会人として忙しくなったこともあり会いに行くのは一年に一回程度。その内コロナ禍になったりして、ここ数年はほとんど会うことはなかった。
忙しいとか、コロナとか、色んなことを言い訳にしてきたけれど、本当は会いたくなかったのだ。もう、あの頃の姿ではない、私の知らない祖母を見たくなかった。

5年ほど前、実家の猫、ももが死んだ。
その時既に私は家を出ていたが、お盆に帰省したタイミングで最期の姿を見ることができた。私が一人暮らしの家に帰った日の翌朝、ももは死んだ。
夏の暑い日でも、ももはクーラーの効いたリビングにはいない。ここが涼しい部屋だよ、と言っても自分で冷たい場所を探して、大抵玄関の土間に寝そべっていた。
その日もももは土間に伏していて、正月に帰省して以来、約7ヶ月振りに見るその姿は、変わり果てていた。痩せ細り、かつてフサフサとした綺麗で長かった毛はハリがなく、赤ちゃんの時我が家に来たときのような小さな小さな子猫のようになっていた。だけど、いつも駆け回り私たちを困らせたあの頃とはまるで違った。

私はももが怖かった。
身体を触ると直接骨に触れてしまう。赤ちゃんのときからずっと変わらなかった可愛い顔は、すっかりおじいちゃんだった。
ここ数日はずっと寝てるの、と母は言った。私はそんなももと向き合えなかった。変わってしまったもものことを直視できず、結局頭を撫でてあげることすらしないまま、玄関の戸を閉めた。すぐ足元に、15年も一緒に暮らしてきた子がいるというのに。


祖母と愛猫はもちろん違うけれど、祖母に会いたくない気持ちは、変わってしまったもものことを思い出すからというのもある。

おばあちゃんはもう、私におやつを作ってはくれない。
笑顔で「おかえり」とも言ってくれない。
それどころか、きっと私の名前や顔すら分からなくなってしまったかも知れない。
祖母はもう90歳近い。充分、大往生だ。
私だってとっくに30歳を超えたのだから、同じように月日が流れることは当然なのに、どうしていつまでも祖母だけがあの頃の姿でいようか。受け入れるとか受け入れないとか、そういう問題ではないのは分かっている。だけど。そうなんだけど。

母から「もう年は越せないかも知れない」と聞かされた時、私は自分でもびっくりするほど冷静に「分かった」と返事をしていた。
祖母がいなくなることがあまりにも想像できなくて、きっと現実のこととして捉えられなかったゆえの冷静さだった。悲しい、寂しいという感情すらなかった。
祖母が転院した先では、1日15分、一人まで面会できるらしい。母に「時間があったら会ってあげて」と言われたが、私は気が進まない。このまま、現実ではないまま、祖母とお別れをしたい。
あんなに可愛がってもらったのに、とんだ祖母不幸者だ。

一日一日と迫るその日の前に、私はどうしたら良いのだろう。

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