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自己否定のその先は

うまくいかない時、辛いとき。妬み嫉みが募ったとき。どうしても自分を責めたくなるときが人によっては時に、もしくは頻繁に起こると思います。実際、自己を否定することはさらに不幸を招き、そしてなんて自分はだめなんだと打ちひしがれることもあるのではないでしょうか。さらに人を駄目にするように思われますが、実際はどうなんでしょうか。

自己否定は防衛本能である

フロイト曰く、自己否定は主に心を守る機能しているとのことです。彼の理論では、人が不快、受け入れがたい、または危険と感じる感情、衝動、願望を否定し、意識から排除しようとするようです。

また、ヘーゲルは自己否定を進化と発展の必須の過程として捉えました。単に否定的な行為や思考を乗り越えることによって、より包括的で統合された認識へと進むための重要であると論じています。この過程は、個人の内面的な発展だけでなく、社会、文化、さらには歴史の全体的な進化においても重要な役割を果たします。

しかし、自己否定は短期的には個人を心的な衝突や不安から守ることができますが、その反面長期的には様々な心理的な問題を引き起こす可能性があります。例えば、不安、抑うつ、身体的な症状などの原因となることもあるでしょう。このような問題に対処するためには原因を追求し、その内容を意識的に分析することが必要だと主張しました。

そんな簡単なものではないけれど

この一種の精神的自傷行為ともいえるこの行動が人には必要であるというのは、なんと不器用なことでしょうか。そうでもして僕らは生きていかなければならないのでしょうか。苦しみながら前に進まなければならないのでしょうか。その答えは過去の偉人にもわからない事だと思います。

ただここで僕が言いたいことは、自己否定や自己嫌悪と呼ばれるドロドロと醜いように流れる感情は、人として当たり前で、恥ずべきことでもなく、そして辛く大変だけれども、それを乗り越えなくとも、過ぎ去ったその時には何かが見えていることを期待しています。

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