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お金と仕事とそしてメタバース

諸説ありますがメタバースとは、そこで経済域を形成できる空間であるということが理念の一つだと言われています。そこで現在どれだけ金銭の流通があるかというと、ほぼないと言えるでしょう。しかし人はお金の話をしたがらず、趣味を仕事にもしたがらず、自ら選んだ道なのにも関わらずストレスを溜める不思議な生き物です。そんなことを言いつつも僕も同じような状況です。もちろん積極的に話すようなことではないですが、あまりにもタブー視されているように思います。もう少しその辺りを掘り下げることによって、日本のメタバース空間は前に進めるのではと思っていますが、ではそれはどういうことなんでしょうか。

マネタイズは悪なのか

生きる上で必要な最低限の衣食住。さらに人間は経済的で社会的な生き物であるため、それとは違う趣味や身だしなみ、もしくは必要かどうかは置いておいて、見栄としてお金を使っています。ある意味水や空気のように、今の世界ではそれがなければ生きていけないものと言えるのでしょう。本当にお金から逃れたければ、山や森などの自然の中で生活し自分の命の責任を自らに課す事によりのみ可能であるかと思いますが、極論それもお金の上に立っていると言えるのかもしれませんね。

好きなことを仕事にするとかいう戯言

なにもあなたの給料教えて下さい、お金の使い道さらけ出して下さいと言っているわけではありません。必要な時もあり、その時は議論してもいいと思います。僕が思うのは、もっと人間は好きなことでお金を獲得することが認められてもいいと思っています。音楽で、イラストで、メタバース空間で言えばワールドやアバター制作も含めて。クリエイトすることは趣味だから、楽しみだけである。それも全く否定しませんし、悪いことでもないと思うしむしろ普通だと思います。ですが、そこからお金を得ることは悪なのでしょうか?楽しみや喜びのその先に、お金を得ることがあってはけないのでしょうか?

楽しいことをやっていきたい!やってたらなんかお金が入ってくるから生活できる!もっと好きなことをやっていける!
そういう考えがあってもいいのではないでしょうか。そしてそれは、大金を得られるかどうかはどうでもよく、ある一定のラインを超えることで豊かさにつながるのではないでしょうか。

結局はお金か

メンタル的にはそれは違うともいえるし、社会生活的にはそうとも言えます。大事なのは、クリエイトすることじゃなくても、好きなことをすること、それを続けるためには何が必要か、そしてそれがストレスフリーであること、それを考えることが大事なのではないでしょうか。大事なのは順番でお金を得るためにではなく、好きなことをやる為に、もしくはやっていたらそしたら入ってきた。そういう仕組みが大事なのではないでしょうか。

メタバースとの関係性

そして稼げれば何でもいいかといえばそうではなく、やりたくなければやらなくていい、そういう「好き」を許容できる社会を求めている人がメタバースには潜在的に存在していると思います。

そして僕がこの10年間感じてきたわだかまりと似たものを感じている人が、ある意味で同志と言えるような人が少なくないと感じました。そのなかにも現実から逃げてきた人、戦っている最中の人、挫けそうな人もいます。そこまで思っていない人もいるでしょう。それでも一緒にいて楽しいことをしようとする人たちに、僕は何ができるのかと常に考えています。

経済合理性の下、それについていけない、ついていきたくない人の受け皿というものをメタバースが担うとしたら、そこにはマネタイズの姿勢を準備する必要があり、それが第一の目的ではなく、最終的な形として昇華するのが間口として機能するのではないかと感じているのです。マネタイズは結果であって、メタバースの手段になってはいけないのではと、僕は提唱したいと思います。


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