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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日⑮縄文人の家族

「旦那さんに連絡とりたいんですけど」

 おれはユキノシタのところにいった。脂汗をかいて、呻(うめ)いている。それでも肩にかけたハンドバッグからスマホを取り出しておれに渡す。

 受け取るが、ロックがかかっている。

「ロックが、かかっています……え?」

 ユキノシタの口元に耳を近づける。「しこしこ、いく、いく……」絞り出すような、おそろしい声。

 え。

 あーなるほど。45451919。ロックが解除される。

家族概念ではなく世帯の概念で構成

 縄文時代の社会については、発掘資料からは十分解明されているとは言えないが、生業形態が狩猟採集段階にあるので、それほど複雑に発達した社会は想定できない。縄文時代の草創期から早期の段階では、集落規模は小さく、ひとつの集団の単位は、大きく見ても50人程度であったものだと考えられる。集団のリーダーシップをとるのは、スキルフルなハンターや引退したハンターのリーダーのような人物で、集団の結合力も弱く離合集散が多かったものと考えられる。

(中略)

 このような縄文文化を構成する最小単位としての家族の姿とはどのようなものであったのであろうか。縄文時代の家族の在り方を示すものとして、古くから研究対象となっていたのが、千葉県姥山貝塚の竪穴住居から発掘された5体の人骨群である。大人の女性人骨が2体あることから、一夫多妻のような複婚制の可能性が指摘されたこともあったが、現在は、これらの人骨群は、一度に住居内で横死した家族の人骨ではなく、竪穴住居が廃墟となってから、時間差をおいて、住居内に順に埋葬された廃屋墓とする見方が有力である。縄文時代の家族を考える場合、現代人はどうしても核家族をイメージしてしまうが、当時の平均寿命は30歳から40歳前後と極めて短く、子供の死亡率も高かったと考えられる。核家族は容易にその構成を変え、死別による再婚などを繰り返したものと想像される。したがって、構成的な意味での家族概念ではなく、世帯の概念の方が有効ではないかと筆者は考える。

監修・文/武藤康弘

『歴史人7JUL.2023 No.151』(令和5年6月6日発行・発売 ABCアーク)
18~19ページ

『歴史人7JUL.2023 No.151』


本稿つづく

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#愛が生まれた日

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