【わたしのヤヴァくない思想】「私」というものは、あります。それが私小説だという話
ちょっとよくわからないことを書いたり言ったりしたわけですが。
私はヤヴァイ人ではありません。ごく普通の、どこにでもゴロゴロ転がっている天才です。まえに書いた文章では、
というようなことを書いたわけですが、そんなわけないじゃないですか。
私の文章がないとしたら、一体だれがこれを書いているのか。AIでせうか。ちがいます。私です。私が書いています、ちゃんと。
だいたい、私がまるで無いようなことをいって、へらへらしていたら、この現世は、滅茶苦茶になってしまいます。だってやりたい放題になつてしまふ。
女を犯しても、私は無いから無罪。ひとを傷つけても、私は無いから無罪。テキトーなことを言って、そのせいで部下が自殺しても、私は無いから無罪。国民の財を私物化しても、私は無いから無罪。とくに理由もなく、智識的な裏付けもなく、他を差別しても、私は無いから無罪。
とゆーようなことになってしまいます。
とゆうようなことに、いま、なっていませんか? 世界が。
おれは、私は、あたしは、わたしは、小生は、吾輩は、我は、吾は、拙者は、妾(わたし)は、あたいは、うちは、自我は、認識は、わったーは、わーは、
そう(宋)、思うんです。
器具(危惧)しているわけですね、どちらかとゆうと。
未来が、ちょっと不安です。
ま、私にはカンケ―ない話かもしれませんが。結局南極。
子や、子の子や、子の子のこの子のその子の子等を思うとまあまあ、心肺(心配)なわけですね。ちょっとどきどきする。
同じような思いをもつ人たちも、もしかしたら結構いるのかもしれない。
猫灰だらけ。
安心してください。
そのために、わたしたちは、「私小説」をこれまでに、まあまあ、たくさん書いてきました。
はいはい、はいはいはい。
次回はこの、私小説のはなしをしましょう。
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