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【連載小説】夏の恋☀️1991 シークレット・オブ・マイ・ライフ㉝

すいません。この話、まだ続きます。あと107日ぐらいでおわります。

おわび

 何もやることがない日。

 映画を観に行った。ひとりで。『エンドレス・サマー』

 サーフィンのドキュメンタリー。1960年代のアメリカのサーフィンしているひとたち。水着の女がたくさんでてくるので、むらむらしますね。若いから、まだおれ。

 しかし、桃子。

 と思う。ハッキリ言って、映画とかどうでもよくて、桃子のことしか考えられない。いなくなる桃子。死ぬしかないと思う。マジで。

 おれも高校やめようかな。まずは親に言わないとな、やっぱ。

「は? 馬鹿かおまへは、また」

 怒鳴る親父。

「JJ、どうしたの? いじめられているの?」と母ちゃん、心配そう。「ていうかあんた、いじめっこだよね。どちらかというと。覚えてる? 学校でさ、お母さん、ヒガシオンナ先生に言われて、どんなにはずかしかったか。夢も希望もうしなったさ。あんたのせいでよ。なんでひとをいじめるわけ? そんな子だったの? そだてかたをまちがえたのか。死んだほーがましさ! あなたは生きなさい。わたしがわるいんでしょ? 果物ナイフもってきなさい! ころして、ころしなさい!」

 あああ、めんどくさすぎる。

 サーフィンのドキュメンタリー。ぜんぜん頭にはいってこない。べつに入れなくてもいい。そんな映画。ちょうどよかった。これ観て。

 しかしこの、ドキュメンタリーとゆうのは、なんか変なかんじがする。カメラに映っている映像の、カメラの前で起こっていることは、かつてじっさいに、現実に起こったことなのだけれど、現実感・現在感はもうない。

 どちらかというと記憶に似ている。桃子桃子、桃子。桃子の記憶。面影。思い出。ポーチン(男性器)が勃つようになって、おれは女(ナオン)を見る目がかわってしまった。フィルターがかかった。あれの対象として見るようになった。子どものころの友だちでさえ。かなしかった。

 桃子は違う。ちがうわけ。ゆいいつ。唯一神。おれの、おれだけの守護神。

 桃子。桃子に会いたい。声がききたい。また手を触りたい。握手したいよ。桃子。

 高校、はやく卒業しよう。勉強もがんばろう。国語と社会は得意だ。英語はあんまりだけど、まあ、国語といっしょだろう。だって同じ人間がはなしてるげんごなわけだろう? いっしょさ。

 数学は、いやだな。でも、がんばろうかな。

 そして、大学に行こう。東京。ん、京都だったっけ? どっちだ。

 そうそう、京都だ。京都の大学に行こう。

 大学はどこでもいい。京都に行こう。桃子が居る京都に。

 ふたりで、本能寺を散歩しよう。清水の舞台にも行こう。

 ふたりで。うん。いいぞ。

 よし、元気になってきた。おれだって、波を乗りこなすのだ。

 イエス!

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本稿つづく 


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