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【読書記録】「家康、江戸を建てる」門井慶喜

小田原攻めで戦場を眺め立ち小便しながら秀吉に関東八州行きを拝命された家康の側近をはじめ、江戸の街を築き盛り立てた男たちの物語。京都に住むとそこらじゅうに歴史が安売りされているが、東京の街も江戸開府400年以上の月日の分だけ歴史が刻まれているものと考えると感慨深い。帰省の際には足を伸ばして掲げられた名所名跡を訪ねてみたいものである。

付箋ポイント

へりくだる人間は仕事もへりくだる。おのれを恃め。

手わざや知識ならあとでいくらでも身につけられるが、野心は、野心だけは、天稟なのだ。

外濠は、ここでは東西方向である。ちょうど深い谷を流れているので、その上に、北から南へ掛樋をかけるのが完成予定形だった。掛樋とは上水専用の木造橋であり、人間の通行は厳禁される。のちに、
水道橋
と呼ばれ、江戸の名所となることになる橋。

人工の分流装置がある。こまかい水量調節を可能にした、大掛かりな洗堰にほかならない(のちとくに「大洗堰」と称される)。

江戸川公園内には今もこの洗堰の一部がひっそり遺されているのだが、立ち止まって眺める都民は少ない。よく見ると堰柱の縦溝もはっきりとわかる、またとない産業遺産の現物なのだが。

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