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【読書記録】「複雑系」M・ミッチェル・ワールドロップ 田中三彦・遠山峻征訳

夏の古本まつりで一目惚れして購入した。大正解。

これまでの科学はニュートン以来要素還元主義の温床となっていた。しかし「全体は部分の総和以上である」という信念が消えたわけではない。そんな科学の中では大事とされつつも、当時結局見向きもされなかった題材「複雑系」をメインテーマにして設置されたのが、サンタフェ研究所である。本書ではサンタフェ研究所とそれ以外の、複雑系研究黎明期におけるさまざまな発見を列伝形式で紹介する。

複雑系の魅力

複雑系とは、多数のエージェントが作用し合うことによって、総体として非自明な性質を示すものと表される。例えば、生物はDNAの設計図に基づいた細胞の集合体である。DNAはアデニン、チミン、グアニン、シトシン4種の塩基と、糖とリン酸の化学物質の結合体であり、それ自体は非常に簡単な構造である。しかし、そこから創発される生物は、DNAの単純な構造からはあまりにも非自明である。

いや、この非自明を一度受け入れよう。確かに非自明ではあれど、DNAから驚異的な生命構造が発生する仕組みは、DNAの翻訳やRNAによるタンパク質生成といった現象を通して、今ではよく知られたものとなっている。だが、このシステムはいったいどのようにして誕生したというのか。完全にランダムな原初の地球にて生命が誕生する確率は、俗に「部品をバラしてプールに投げ込んだ時計が水流によって組み上がる確率」などと表現されるが、その例えが正しいとして、果たしてそんな低確率をどのように実現したというのか。

そうして出来上がった原初の生物は、ひどく単純な単細胞である。もはや「生きている」という言葉を使って良いのかもわからないような生物だ。そんな単細胞が進化によって、わずか40億年の間に肝臓や脳・目といった、不自然なまでに複雑な機構を組み上げることがなぜできたのだろうか。これほど高度な構造が、果たしてランダムな突然変異の産物と言えるか。

何も生物学だけが問題なのではない。株の大暴落など、これまでのアダム・スミスによる invisible hand が最も回避しようとするもののはずなのに、なぜ数十年に一度というハイペースで起こるのか。わずか1キロ弱の重さしかない頭蓋骨中のタンパク質の塊が、なぜ我々の高度に発達した語彙力をもってなお表現しきれない感情を生み出し得るのか。ソ連という世界の片翼を担っていた絶対安定に見えたはずの大国が、なぜ一瞬のうちに瓦解し得たのか。これらには人間や細胞などのエージェントの力をはるかに超えた大きな力がかかっているように見える。ではその力とはなんなのだろうか。

ただしここでいう複雑系はカオスとは別物であることに注意されたい。

過去二十年、 カオス理論は科学をその根底から揺るがしてきたが、それは、非常に単純な力学的法則が並外れて——例えば、フラクタルという果てしなく細分化された美、あるいは泡立つ川の乱流——をもたらすという認識からだった。しかしカオスだけでは、複雑系の構造、一貫性、自己組織的結合力を説明することはできない。

p11「まえがき」

本書で探し求めるのは、秩序(オーダー)と混沌(カオス)の狭間である。その特異な領域を「カオスの縁」と呼んで、不可思議な集合的特性を表す原理を追い求めていく。

生物学に対するアプローチ

サンタフェ研究所の研究例ではないが、非常に大きな衝撃を受けたこととしてぜひとも紹介しておきたい。

スチュアート・カウフマン

スチュアート・カウフマンは医学部生時代、2つの入力によってオンオフを切り替える比較的空疎なネットワークが、数パターンを遷移する安定サイクルに帰着することを解明した。この際コンピューターシミュレーションの結果として得られる事実「安定サイクルの数はネットワークの遺伝子数の平方根である」を見出している。この事実は本物の生物でもそのまま当てはまるという。ということは、サイクルの数と遺伝子数の相関性は生物学・シミュレーション片方の現象ではなく、ネットワーク機構に共通する事象であることが期待される。

また生物誕生の場となった原始スープの様子を考えるに際して、カウフマンはポジティブフィードバックを持ち出した。例えば原始スープ内に豊富に存在する物質AとBから新しい物質Cと触媒Dができるとしよう。触媒DはA+B->Cの反応を活性化させ、原始スープ内の新物質濃度を上げていく。新たにできた物質から、また新たな物質や触媒が生まれ、…と続いていく。しかしこれだけでは生命の誕生までに時間がかかりすぎる。そこでカウフマンが考えたアイディアが、私には画期的だった。物質A, Bから生じる物質の、いわば「合成の鎖」の端となる物質 X, Yから、再びA, Bができるとしたらどうだろう。この時A+B->X+Y->A+B->X+Y->…とループを続けていき、その際に触媒を大量に生成する。こうすれば「時計の部品をかき回して組み立て上がる確率」などに期待しなくても、原初の生命は誕生しそうではないか。

フォン・ノイマン

生命の複雑性にアタックしたのはもちろんカウフマンだけではない。かの有名なフォン・ノイマンもその一人である。フォン・ノイマンは機械の自己増殖という事象を思考実験するにあたって、生命を参考にはしたが、当時DNAの発見はおろか、タンパク質の性質の解明もままならなかった時代である。この時代背景を頭に置いた上で、下の長めの引用をぜひ呼んでほしい。

機械が1台と、たくさんの機械部品が池に浮かんでいるとする。さらに、この機械は<万能組立機>であるとする。設計図さえ与えられれば、この機械は池を泳ぎ回ってぴったりの部品を探し当て、どんな機械でも組み立ててしまう。特に、自分自身の設計図を与えられた場合には、この機械は自分の複製、つまり子の機械を組み立てることになる。
フォン・ノイマンによれば、これは一見したところ自己増殖のようだが、実はそうではない——少なくとも、完全にそうだとは言い切れない。元の機械が新たに作り出した複製は、正しい部品を全て備えているだろうが、自分自身の設計図は持っていないだろう。つまり、複製がさらに自分の複製を作ることができないだろう。そこでフォン・ノイマンは、元の機械は<設計図のコピー機>、すなわち、オリジナルの設計図を取り出してそれをコピーし、そのコピーの設計図を子の機械に与える装置を持っていなければならないという条件を付け加えた。 こうしておけば、この機械は限りなく増殖を続けるのに必要な全てを持つことになる。そうすれば、機械を次々に自己増殖していくことになる、とフォン・ノイマンは考えた。
思考実験としては、自己増殖についてのフォン・ノイマンの分析は単純そのものだった。もう少し一般化した形で言い換えれば、自然界に存在するものにしろ人工的なものにしろ、自己増殖システムというものは全て、その遺伝に関わる物質が2つの基本的に異なる役割を果たさなければならない、というのがフォン・ノイマンの主張だった。遺伝物質は一方ではプログラムとして、つまり子を作り上げる際に実行されるべきある種のアルゴリズムとして機能してしなければならず、また一方では、受動的なデータとして、つまり複写して子に受け渡すことができる設計図としての役割も果たさなければならない。

pp295-296「生命はカオスの縁に」

もう一度言おう。この思考実験の時、DNAは発見されていなかった。これほどまでに明晰な頭を持ち合わせていたフォン・ノイマンを、戦時中我々は敵に回していたのである(原爆を京都に落とそうと進言したことでも知られる)。彼一人では戦局を大きく変えたとは言えないまでも、どこまでも恐ろしい人間である。



フォン・ノイマンの話はこれでは終わらない。サンタフェ研究所の研究は、あまりにも壮大な目標のために、結局のところ目ぼしい成果は数えるほどである。が、その中でも大きな部類を占めるのが、彼が発明に携わった「セル・オートマトン」である。

セル・オートマトンの一種「ライフゲーム・ペンタデカスロン」

上記で引用した遺伝子の思考実験も、元はと言えば自己増殖を数学的問題に落とし込むために行ったものであり、「生物の神秘を解き明かそう」ということを第一目標とはしていなかったと考えると、その頭の良さには恐ろしさを感じてしまう。

スティーヴン・ウルフラム

セル・オートマトンと非線型力学の間の関係性に着目し、セル・オートマトンの遷移は以下の4つのパターンに分化されることを指摘した。

  • クラスI   :一瞬にして全てのセルが死滅する。

  • クラスII  :生きているセルが集合して局所的に小さな周期サイクルを生じる。

  • クラスIII :全体で変化に落ち着きがないストレンジアトラクタ系(カオス)。

  • クラスIV:大域的に複雑な挙動を示すがカオスを生じもしない。

この分類が次に示すラングトンの発見を理解するキーとなる。

クリストファー・ラングトン

セル・オートマトンのプログラムを改良して、「盤面上の何割のセルが生き残るか」を左右するパラメーターの増大によって、クラスI, II → クラスIV → クラスIII という遷移をすることを発見した。この遷移は、秩序→複雑→カオスという状態変化であり、相転移(固体が液体になるような状態変化)と捉えることができる。

ただし固体液体間の相転移とは違って、クラスIVの遷移規則では長時間にわたって固まりが分解せず移動し続ける「長期過渡現象」を示す。この点で、全ての点において秩序とカオスの二者択一が迫られる固液平衡に代表される一次相転移とは異なる。クラスIVの遷移は二次相転移的である。

初期状態がこのクラスIVに入っている場合、それ以降の動きは秩序側へ移るかカオス側へ移るか全く予測できない。これはコンピューテーションにおいては停止と暴走の間、アラン・チューリングが証明した「決定不可能性」を示す。

クレイグ・レナルズ

「ボイド」という仮想エージェントに局所的な相互作用を表す3つの規則を与えることで、鳥の群れに似た挙動を示すことがわかった。トップダウンに大域的ルールを与えると、例えば障害物の形状などによって数々の場合分けを要するようになるが、ローカルなルールを与えれば各個体がその場その場で次の行動を判断し、適切な遷移を見せる。

アリスティッド・リンデンメイヤー & プレゼミスラヴ・プルーシンキエヴグツ

上記のボイドと同じようなボトムアップのシステムを、グラフィック植物に適用した。植物細胞の分化と相互作用に関する単純な規則を模して規則化することで、シミュレーションの枝が葉をつけ花を咲かせ分枝していき、最終的に本物の植物とそっくりな形に成長した。また、その形からわずかにパラメーターを変更すると、全く形状の異なる植物が生成される。これは遺伝子の僅かな変化によって大幅な形質変化を与える進化過程を示しているとも考えられる。

生物の進化・自然選択のアナロジー

上記の通り、僅かな条件変化によって大幅な進化は発生しうるものらしい。しかし進化は必ず自然選択とセットである。

コンピューテーションと一緒に考える

本書で挙げられている生物進化のアナロジーとして興味深いのが、コンピューテーションとの対比である。「局所的なルール(GTYPE)と大域的な振る舞い(PTYPE)の間の関係性は、原則事前に解明できない」という決定不可能性の定理が聞いてくるのだ。つまりコンピュータープログラムが自明でない限り、プログラムを走らせるのが最も効率的なのである。

同様に考えて、生物が不明確な挙動を示す自然の中で生存していく唯一の方法は、試行錯誤、つまり突然変異と自然選択しかないという。

ちなみに、形質変化はランダムなDNAの突然変異によってのみ引き起こされるものではないことが実験から知られている。池田清彦「進化論を書き換える」参照。

カオスの縁と一緒に考える

ノーマン・パッカードがセル・オートマトンを使って実験した結果によれば、最も適応的な遺伝的アルゴリズムはカオスと秩序の境界に分布する。自然選択は自己組織化(適応のために形質変化)する創発的なシステムをカオスの縁に引き込む「力」の役割を果たしていると言える。

このカオスの縁は砂山の山肌のようなものだと喩えられている。常に上から砂が降ってくる山では、砂が積もる作用と表面を砂が雪崩れる作用とが釣り合っている。常に定常な状態にとどまっていつつも、かろうじて安定を保っている臨界状態にある。これを数理モデルで表すと冪乗的振る舞いを示し、雪崩の頻度は雪崩の規模の何乗かに反比例する。そして観測によれば、冪乗的性質を示す自然現象が、太陽活動、電気抵抗、水流といった、ありとあらゆるところで確認されている。つまり、自然は至る所で崩壊と再構成を繰り返しているといえよう。

この冪乗的振る舞いを敷衍して考えれば、大規模な崩壊はある程度の頻度で生じる。これまでに数回の大量絶滅が地球を襲っているが、その中には純粋に生態系の内部崩壊のみに起因するものがあったのかもしれないと示唆している。

記号列と一緒に考える

ウォルター・フォンタナは複雑性の成長を抽象化して、記号列を持ち出した。100101のような記号列が10010010といった記号列に変換される。この変換の「文法」規則をランダムに発生させると、もちろん新たな記号列ができるが、避けられているかのように現れない記号列も存在する。この偏りを打ち砕く新しい記号列が偶然できた時、その新種からこれまで類を見ない記号列が爆発的に誕生する。

フォンタナは単純で何度も登場する陳腐な記号列を「死んでいる」と表現した。死んだ記号列を生み出すものが自然淘汰されれば、次々に複雑な(新種の)記号列が生まれる。これが生命をはじめとしてあらゆるものが複雑化していくプロセスなのであるという。

科学の新しい側面

我々は「分かるは分ける」の合言葉のもと、どうしても要素還元的に科学を追求してしまいがちであるが、実際に我々の身の回りのレベルで生じている現象は、構成要素の基本法則を探し出すよりも、その間の複雑な関連性による創発が織りなしている。ここでは生物学をメインに紹介してきたが、複雑系は何も生物に限った話ではなく、ありとあらゆる科学にて——それも自然科学よりむしろ人文科学にてこそ——力を発揮する。そして「そことそこが繋がるの!?」というカタルシスを味わうこともできる。統計力学を学び始めてから、複雑系への興味がいっそう湧いてきた。このカタルシスを是非とも忘れたくはない。

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