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少年と魔女の30年

1.映画の余韻から

『きっと、うまくいく』2009/インド映画(171分)

最近、職場の同僚に勧められた映画。「勧めた人たち全員が絶賛した」という言葉を信じて観たところ、本当にいい映画でした。
人間や社会の本質を突いていながらウィットとユーモアにあふれ、あらゆる感情を揺さぶり、そして胸のすくようなラスト。かなりの頻度で笑えるのに妙に泣ける。これはもう傑作認定しちゃいましょう。
映画の余韻の中で、本当の自分を生きていないときの抑圧や苦悶、本当の自分を生きる勇気をくじく重圧、本当の自分を開く鍵となる正直さ、本当の自分を生きる勇気の回復に不可欠な愛について思いをめぐらせました。
そしてやっぱり、目に見えるものだけでなく、目には見えにくい本質を見通す目を養いつづけねばと思ったのでした。本作の主人公は一貫して「諦観」を生き、痛快なかっこよさを放っていました。

2.「諦観(ていかん)」について

私自身がクリエイター名にしている「諦観流」。
「諦観」の意味はいくつかあります。

(ベネッセ表現読解国語辞典)
物事の本質をはっきりと見極めること。
俗世の欲望をあきらめて、悟ること。
※他、2種類の辞書でも同様の意味。

(広辞苑)
入念に見ること。つまびらかに見ること。
※仏教用語では「たいかん」と読み、明らかに真理を観察することという意味となる。

大切なことは目には見えにくく、小さな声で語られる傾向にあります。だから心の眼を開き、心の耳を澄まして聴くのです。(10年以上前、ひどい耳鳴りでクライエントの声が聴こえないという大ピンチの際に起きた不思議現象を思い出しました。これについては機を改めます)

3.「天女と骸骨」先生との出会い

思えば中学時代の担任が不思議な人で、諦観という概念を学んだのは、その先生からと言っても過言ではないかもしれません。
飄々として身軽で、上からでも下からでもない言葉の選び方。いつも笑っているような顔なのに視点は鋭い。いつかの折、先生がこんな言葉を書いてくれたことがありました。

「天女の舞の中に、骸骨の動きを見通す目をもて」

立ち止まってよく見ろ。本質でないことに惑わされるな。折にふれて、そんなメッセージを手渡してくれた先生でした。

4.悟った風で、実は臆病だった

他者より秀で、難関を突破して多くの人に認められ、優越感を持って安心したいがために努力する。異性の関心を引くために飾る、ダイエットする、鍛える。つまり気に入られるため、認めてもらうために相手側の価値基準に迎合する。かつての自分の姿です。
(注:承認欲求は誰にでもあります。多くの承認を受ける経験を通して自分の輪郭や有用性を知ることは必要で、それ自体ががいいとか悪いとかを論じたいわけではありません)

余談ですが、小さい頃の私は、ショートカットに日焼けした肌、噛めばぷりっと肉汁があふれそうなたくましい手足で、男子とガチな決闘を通して友情をはぐくんでいました。
しかし思春期に入り、女性性の獲得という課題を前に途方に暮れます。にわかじこみで男子に恋心を抱いても、かわいいものと甘いものとお喋りが大好物の器用な恋敵たちに敗北を繰り返し、世の無常を感じはじめます。やがて自分を見失い壮絶なダイエットに没入し、恐ろしい魔女のような(本当にそう見えていた)母との確執も相まって摂食障害の世界へと足を踏み入れるのです。13歳、人生最大の事件の幕開け。

1年も経たぬうちに脅迫的な努力で欠点や弱みを克服し、出された課題はすべてクリアし、無駄な肉は1グラムもない潔癖きわまりない体型で、醒めた目をした優等生へと変身を遂げた私は、性別不詳の様相。あいかわらず恋愛はうまくいかないけれど、「すごいね」「えらいね」の承認だけは山ほど浴びました。

しかし。

「天女と骸骨」先生だけは、ニコニコしながら「いいのかぁ。お前、本当にいいのかぁ」と問いかけてくるのです。眉間から「自分の意思を持てよ、自分自身をなくすなよ」というビームを出しながら。
「いいもわるいも、私は囚われの身なの。生き延びるのに必死なの。選択肢はないの。だから放っておいて」と心で叫び、耳をふさいだまま中学時代を逃げ切りました。当時の私は、どうあがいても逃れられない環境に対して、あきらめという意味の「諦観」を抱いていました。
完全無欠の優等生を演じていた私の中身は、自分自身を生きる勇気をくじかれ、親の用意した箱庭から出ない臆病な少年。もし、その頃に箱庭療法を受けていたら、箱庭の枠に電流の流れる有刺鉄線を幾重にも張りめぐらせようとしたでしょう。一見、魔女に閉じ込められているようで、実は自ら築いた要塞に立てこもる少年のイメージ。親は良かれと思っていろいろと手をかけたのでしょうが、思春期の内的世界はそんなものでした。

5.少年と魔女の、その後

少年は10代後半で家を離れて以来、「自分で選ぶ、自分で決める、自分で責任を取る」という当たり前のことを貪るようにやりつづけました。自ら飛び込んだ苦労の中で涙と汗と鼻水にまみれ、野の花のようなささやかな幸せに満足げに微笑む少年には、もはや魔女の魔力は届かないのでした。
実は今年、私が摂食障害を発症した当時の母と同じ年齢になったことに気がつきました。少年だった私も子を産み育て、シミもたるみも白髪も更年期障害の諸症状すらも出そろいつつある昨今。あんなに恐ろしげな魔女に見えていた母の肩や背中は、細く小さくなりました。
大した成功もなく、母の期待には何一つ応えなかった私の誕生日。「大好きな姫」「かわいい娘」とハートマークのついたメッセージを送りつけてくる母の無邪気さに、笑って応える余裕ができたことに感謝。親が生きているうちに、こういう日を迎えられてよかったと思います。(→さらなる後日談は、こちら

「天女と骸骨」先生と出会ってから、もう30年近く経とうとしています。
そういえば、数年前に資格取得のための実習先でお世話になった指導者も、「天女と骸骨」先生にどことなく似た質感をもつ人でした。クールさと人間味の塩梅がちょうどいい人たちに導かれてきた人生。私自身も、そうありたしと願う誕生月の夜です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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