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屋久島旅行⑤

さて、屋久島旅行について書くのも5回目だ。帰ってきて数日は予定を入れず、余韻に浸りつつ家でゆっくり過ごしていたのだが、昨日今日とバイトが続き、明日で3連勤、月曜日からは学校の課題も本格的に始まる。気持ちが切り替わっていくと同時に、だんだん記憶も薄れてきてしまった。なので、屋久島の話は今日の更新で書ききってしまおうと思っている。

昨日は3日目のカヤックの話をした。4日間の滞在のうち、4日目は移動日なので、3日目の夜が最後の宴となった。

町のスーパーでお酒やつまみ、夕食の材料を買いそろえて宿に戻ると、キッチンのある共有スペースでは3人の男性が談笑していた。タイミングをずらして遅めの夕食にしようと言って、先にお風呂などを済ませて部屋が空くのを待っていたのだが、なかなか終わる気配がない。みんなの胃袋も空腹を訴え始めていたので、お邪魔してキッチンを使わせてもらうことにした。

友人Sが焼きそばを作りはじめ、なんとなく流れで、夕食の席にご一緒させてもらうことになった。先に居たのは、静岡から来た孫持ちのNさん、屋久島には素潜りをしに来たというTさん、そして数週間かけて日本を旅しているドイツ人のPさんだ。友人SとMは留学経験があり、海外旅行の経験も豊富で、ドイツ人のPさんと英語で問題なくコミュニケーションがとれるのを見て、先に居た男性2名はいたく感心していた。二人とも英語は不得手のようで、部屋で待機していた時から、Google翻訳の声が漏れ聞こえていた。(無機質な音声で「結婚していたら、こんなふうに旅行したりできません」と聞こえてきた時は何事かと思った。)

とりわけMはこの前一人でドイツ含むヨーロッパ諸国を3週間ほど旅してきたばかりで、その話題でPさんと盛り上がっていた。その中で、Mが覚えたドイツ語が、「Mit Karte bitte.(カードで払います)」と、「Scheiße!(クソ!)」だったらしいのだが、Pさんが、「日本語でそういう、ScheißeやF***にあたる単語が知りたい」と、やたらに食い下がるのだ。小説などではよく見かけるが、実生活で「クソ!」とはあまり言わない。というようなことを説明しても、Pさんは食い下がって、納得いかないようすだったのが面白かった。

私は春からゆるくドイツ語を勉強していたので、お酒の勢いもあり、「私の名前は○○です」「私は元気です」など3歳児レベルのドイツ語を披露し、「I can Understand(とドイツ語で言われたのだが聞き取れなかった)」と言ってもらって喜んだりもした。

他にも、Nさんのお孫さんの写真を見せてもらったり、Tさんの採って来た夜光貝のバター醤油炒めを分けてもらったりして、楽しい夜を過ごした。皿などを片付けた後には、みんなでUNOをやった。(このUNOがなぜかBTS仕様だったのがウケた。)

翌朝は8時くらいに起床し、準備をすませてバスで宮之浦港へ。帰りは飛行機ではなく高速船を使った。高速船の中では、ナニコレ珍百景の2015年の再放送をやっていて、まるで実家の平日の午後のような、なんとも長閑な時間だった。鹿児島港からは桜島も見ることができた。

友人Mは新幹線で帰るとのことで、ここで別れた。Sとともに鹿児島空港までバスで移動し、空港でお昼を食べた。悩んだ末に黒豚のつけ麺を食べたのだが、これが美味しかった。薬味に柚子胡椒があり、「柚子胡椒最初に考えた人すごいよね」という話になって調べてみると、なんと九州が発祥だった。豆知識だが、柚子胡椒の胡椒とは唐辛子のことで、唐辛子を胡椒というのは九州方言らしい。

鹿児島空港から飛行機で成田空港までは2時間ほどのフライトだ。私は気圧に弱く耳抜きが苦手なため、この旅に向けて気圧を調節できる耳栓なるものを100円ショップで買っていたのだが、このおかげで多少耳の痛みを抑えることができたので、同じような人がいたらぜひ試してほしい。

成田空港で友人Sとも別れ、ひとり帰路についた。
ほぼ5日ぶりにイヤホンをつけて音楽を聞いたら、はじめてイヤホンをつけた人のような気持ちになった。曲はSEVENTEENの「God of Music」だったのだが、音の奥行というか、耳に直接鳴り響く音がやたらクリアに聞こえる。

日曜夜の山手線に揺られながら、屋久島の森や、透き通った川の水面、街灯のない夜道を月明りに照らされて歩いたことが、夢の出来事のように感じた。

普段旅行から帰ってきても、ここまで余韻が長引いたことはない。切り替えが早い性格なのだが、今回ばかりはなんだか、この余韻に浸っていたいと思ってしまう、そんな旅だった。

来週からの課題では、屋久島の風景を描きたいと思っている。なんだか、晴れ晴れした気持ちで制作することができそうでワクワクしている。





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