ひどく苦しんだ産褥期 Ⅱ

2020、6月 お腹に新しい命が宿った。母の49日法要の日に発覚したのだ。


もともと三人こどもがほしかったのだが次男出産後から暫く授からずあきらめていたこともあり驚いた。


長男とは10歳離れての妊娠だったが喜びと期待でいっぱいだった。


またあの幸せなマタニティライフを送れるんだ!また可愛い赤ちゃんの成長を見れるんだ!


出産の痛みは壮絶だが、産前産後の楽しい生活を思い描くととても幸せな気持ちになったことを覚えている。


日に日に大きくなるお腹に語りかける兄弟はまさに望んでいたマタニティライフだった。


そう、医師からあの言葉さえなければ。



子宮頚菅が短いので切迫早産だから、入院ね


簡単に言われた。私は胸のなかで何かざわざわするのを感じた。


入院、その言葉に強く抵抗を覚えた。ここに閉じ込められる。点滴に縛られる。しかも24時間。逃れられない言い様のない不安に襲われ始める。だが手続きはどんどん進み、病棟へと進む自分がいた。ナースステーションへ声をかけると病衣を持ったナースが部屋へ案内してくれた。部屋に入った私は心がどんどん苦しくなっていき、不安でソワソワしていた。着替えたらナースコールしてくださいね、と看護師が言い去っていった。

その後不安と闘いなかなか病衣に着替えられず一旦病室の外へ出た。どうしてもここで何週間も過ごすことが不安でたまらない、無理だと感じて入院をやめようとしたのだ。逃げるように声をかけたばかりのナースステーションへ行き、やっぱり入院しません、帰らせてくださいと伝えた。


勿論答えはノー。手続きをした以上帰せない。ましてや今は切迫早産で危険。赤ちゃんをなるべくお腹にとどめておかなければいけない時期。まだまだ生めない。


私は頭で理解はしていた。でも心のざわざわが衝動的にむりだと叫ぶ。そしてワガママを言う幼児のように帰らせて帰らせて、一人でいれない、とダダをこねた。看護師長さんがでてきてなだめてくれた。なんとか落ち着いて話せるようになり、点滴を始めた。そういえば心がざわざわして、体がソワソワしている中でも時々ふと落ち着く時間もあってなんだか自分で自分が理解できなかった。

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