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夫婦で乗り越えた腎移植の葛藤と感謝の日々

これは2021年に腎移植を行った後に書いたブログを少し手直ししてnoteで発表するものです。どうしてわざわざnoteに書き直すのかというと、慢性腎臓病で苦しんでいる人の生活がどのようなものかということと、精神的な苦しさや葛藤はあるものの、成功すればかなり元通りの生活を送れるようになるということを知ってほしいという気持ちから書きました。
もし興味があれば是非読んでほしいです。


この度生まれて初めてドナーになります。何のドナーになるのかというと腎臓のドナーです。そして誰のかと言うと私の奥さんのドナーになります。

こういうことを書くと余計なことを考えがちな性分なので、自分のことを書くのは得意じゃないのですが、腎臓病になるとどうなるのか?病気になった後、どんな風に生活が変わるのか?
そして腹膜透析や腎移植についてリアルな情報があると助かる人たちがいるよ!と、担当してくださった看護師の方から言われたので、勇気を持って書くことにしました。

つたない文章ですが、誰かのお役に少しでもなれば嬉しいです。

それは突然やってくる!健康は当たり前じゃない

それは、突然やってきました。元気いっぱいの奥さんが、胃の検査を受けるため受診した医院で、血圧を測ると190オーバー。高血圧は自覚症状があまりないらしく、ずっと気づかずに生活していました。

それで、他の医院を紹介され、いろいろ検査を受けましたが、原因が分からないまま普段通りに生活していました。

その時医師からは降圧剤を処方されたのですが、奥さんは元来の薬嫌いなので飲まずにいたのでした。

そうこうしながら忙しい毎日を過ごしていたある日、「息ができない!」と、ただごとじゃ無い感じで言うので、近所の内科に行ってみるも原因が分からない。

呼吸器科に行ってみても分からない。最後に循環器科に行ったら心不全と腎不全と診断され即入院となりました。それが2012年のことです。

高血圧から来る心臓と腎臓への負担が原因と診断され、血圧をコントロールする治療を始めました。

次第に身体から過剰な水分が抜け、心臓の動きは回復しましたが、腎臓は臓器自体が傷んでしまっていて、回復の見込みはないと担当の先生から言われたとき、取り返しのつかないことをしてしまったとショックを受けたのを覚えています。
それから透析を受ける時期を出来るだけ遅らせるように、食事や生活を見直すことにしました。

難しい腎疾患患者の食事

腎疾患患者の食事制限ってものすごく難しいってご存知ですか?

とにかく腎臓に負担のかかる栄養素を抑えなければなりません。しかしそれらはほとんどの食べ物に含まれるのです。タンパク質、カリウム、リン、水分。そして塩分などなど。健康に良いとされる多くのものが全て腎臓に負担をかけます。それだけ腎臓が健康な体に重要な臓器であるということがわかります。
水分の摂取量ももちろん制限されます。

それからクレアチニンという言葉を初めて知りました。

クレアチニンとは、筋肉の代謝産物であり、通常は腎臓によって血液からろ過され、尿中に排泄されます。この物質は一般的に、身体内の筋肉の量が一定である場合に一定の速度で生成され、腎臓を通して体外に排泄されるため、血中のクレアチニン濃度は比較的安定しています。
腎臓の機能が低下すると、クレアチニンの排泄が減少し、血中のクレアチニン濃度が上昇します。このため、血中のクレアチニン濃度は一般的に腎機能の指標として用いられます。

その時の彼女のクレアチニン値は1.3だったと思います。これが1.5になったら透析を開始しないといけなくなるので、生活を充分に気をつけて腎臓に負担がかからないように気をつけていました。

そのおかげもあってか、透析をしなくてはいけないレベルになるまで、かなり緩やかに維持することができ、その間に思い切って海外旅行に2回も行くことができました。

奥さんの健康面など考えると、随分と思い切ったことをしましたが、今となっては良い思い出です。

しかし、いつまでも腎臓を保てるわけもなく、2019年3月にとうとう透析を受けなければならなくなりました。

透析には2種類の方法があります

透析には血液透析と腹膜透析と2種類あります。血液透析は手首にシャントという手術を受け、そこから自分の血液をダイアライザーという機械を通して、過剰な水分や不要な成分を取り除いて体内に戻していきます。これを週3回行います。

対して腹膜透析はお腹の中にチューブを入れ透析液を注入します。腹膜がフィルターの役割となって血液から過剰な水分や不要な成分を透析液に移動させ排出し、そして新たな透析液を体内に入れます。

今回血液透析を選ばずに腹膜透析(以下PD)を選んだ理由は、

  • 自宅で透析を受けられること

  • 血液透析に比べストレスが少ないだろうという期待

  • PDをワンクッションとして透析生活に慣れる事ができそうと思った

以上の点からPDにすることを決めました。

そして2019年3月にPDに切り替えるためにお腹にチューブを入れる手術で入院することになりました。

実は私の母親は糖尿病から来る腎疾患で、長期に渡り血液透析を受けていました。若い頃はそれほど感じませんでしたが、齢を取り病気が進行してきてからは、透析が本当につらそうで、帰ってくるとぐたっとしていたのを覚えています。

その辛さを目の当たりに見ていたので、奥さんには出来るだけそんな辛い思いはさせたくないと思っていました。

この頃からPDから血液透析に切り替えるタイミングで腎移植をすることを私は考えていました。

順調ではなかった腹膜透析

無事、チューブをお腹の中に入れる手術を終え、3週間の入院生活の後、奥さんは大量の段ボール箱に入った透析液と見慣れない機械と、加温機というヒーターのついたクーラーボックスのようなものと一緒に自宅に帰ってきました。

見慣れない機械は「つなぐくん」というお腹のチューブと腹膜液の入ったバックを衛生的に繋ぐ機械です。

加温機は腹膜液をヒーターで温めておくための保温庫で、体温に近い温度の透析液を体内に入れることが出来ます。

冷たい腹膜液をいきなりお腹に入れてしまうと、下痢になってしまうので、適温に保つことが大切なのだそうです。(下痢も腹膜炎に影響するため)

透析液の種類や量は個人差があって、最初奥さんの場合は「レギュニール」という透析液を1Kgずつ処方されました。

これを日中8時、13時、18時、21時に交換します。ところが思ったよりも体調が良くならないため、最終的にもう1種類「エクストラニール」という種類の透析液を睡眠前に入れ、加えて2種類の透析液の量も1kgから1.5Kgに増えることになりました。

毎回1.5kgを体内から出して、入れるわけですから、まるで妊婦さんになったみたいにお腹がぽっこりと膨らみます。

手順を簡単に説明すると透析液は2つのバックから構成されていて、一つは新しい液の入ったバック。もう一つは廃液を入れるバックです。

まずお腹の中の廃液を外に出すためにチューブをバックと「つなぐくん」という機械を使って接続します。

それぞれのバックにはロックが付いていて、液が逆流しないようになっています。空のバックのロックを外し、お腹から廃液を空のバックに出します。

終わったら廃液側をロックし、次に新しい透析液のロックを解除して高いところに吊ってお腹に入れ、全て入ったらロックし接続していたキャップを外して完了です。

奥さんの場合は、この作業におおよそ3~40分ほどの時間がかかります。
これが1日4回ですから中々の作業です。

人によっては夜間だけの交換でもいい人もいるようですが、年齢や症状で違うそうです。

交換した廃液の入ったバックは、液をトイレに流し、残ったバックを燃えるゴミ(私の住んでいる行政区では)に出します。日に4セット毎日出るのでこれも中々の作業です。

「思ったより大変だけれど自宅で出来るから、まだいいよね!」と話していたのですが、その後腹膜炎を起こしてしまい、再入院することになりました。

結局、3年ほどの間に3~4回腹膜炎を起こし、その原因も分からなかったので、常に腹膜炎の恐怖を感じながらの腹膜透析生活となりました。

その頃、手術をした総合病院から近所の個人病院に転院することになり、思い切って新しい先生に腎移植のことを相談しました。

先生は、「若いうちに移植できるチャンスがあればしたほうがいい。術式はかなり完成されていて失敗は殆どない。奥さんの体調はかなり改善される」と説明を受け、2021年の3月に九州大学病院に行くことにしました。

検査の連続

初めて九大病院に行くとコーディネーターの方からヒアリングを受けます。
どうして腎移植をしようと思ったのか?二人の気持ちは?などなど。

このときに初めて移植を受ける側をレシピエントと呼ぶことを知りました。ドナーとレシピエント。ドナーは知っていますがレシピエントって言うんだって思った記憶があります。

次に担当医の先生から簡単な説明の後、僕の強い気持ちもあって、とりあえず移植出来るかどうか適合を調べるという方向で、検査をすすめることになりました。(実はこの時奥さんはまだ迷っていた)

方向性が決まり帰りがけ預かった紹介状の数にビックリ!
これから約3ヶ月ほどでこれら検査を全部済ませなければなりません。けっこう大変な作業です。

奥さんに出された紹介状

  • 胃カメラと大腸検査

  • がん検査

  • 乳がん検査

  • 眼科

  • 耳鼻科

  • 歯科

対して僕に出された紹介状は胃カメラと大腸検査のみでした。

これだけで済むならラッキーくらいに思っていたのですが、初めて受けた大腸検査が大変でしたが、結果異常がないことが分かり、これはこれで良かったと思います。

それに比べレシピエントである奥さんは歯科から婦人科まで、ありとあらゆる検査を受けなければなりません。しかもそれらは手術を行う九大病院ではなく、九大病院からの紹介状を持って自分で近所の病院を探さないといけませんでした。

普段でも大変だと思いますが私達が検査を受けた時期は、まさにコロナ禍真っ只中。病院を探すのも一苦労な時期でした。しかしありがたいことに、お付き合いのあるドクターから紹介していただき、わりとスムーズに受診することができました。

その間にも九大病院に行って血液検査、心電図、レントゲン、MRI、CT、肺活量測定と色々検査し、止めが血液適合検査。これだけ実費で80,000円くらいかかりました。

で、やっと適合するとお墨付きを頂きいよいよ手術を迎えることになりました。

間に受けたらいけない手術計画書

ドナーである私に出された手術計画書では術後2日で退院と書かれていたので、それほど大した手術ではなくすぐに動けるのだと勝手に思い込んでいました。ドクターにも「先生、自分で帰れますか?」と聞くと「大丈夫ですよ」と軽い返事。

車で迎えに来るぞって言ってくれた父にも、大変だから近くの駅まで自分で帰るのでそこまで迎えに来てとお願いしていました。タクシーで駅まで行けば電車くらい乗れるだろうと軽く考えていましたが、冷静に考えれば腎臓を摘出して(しかも腎臓を抜き取るため恥骨の上あたりを開腹して)2日後に自由に動けるはずもなく、病院とドナーとに意識のズレが有ることを、ドクターはもっと伝えたほうが良いのでは?と油汗をかきながら後で思い知りました。

術後1日目

麻酔から目が覚めると全身の痛みと吐き気で最悪の気分で目覚めました。看護師さんから体を拭いてもらい明日までの説明を受けたような気がします。

その時とてもじゃないけれど明日退院なんて出来ないよ!と思いました。

そんな最悪の気分の中、看護師さんの優しい声で「起きれたので、じゃ立ってみましょうか」という信じられない言葉が投げかけられます。

で、実際に立ってみると案の定

クラクラ

背中側にあった多くの血液が、立った瞬間に一気に下に降りていく感じがして思わず座ってしまいました。

立ったらこっちのもんなのかどうか知りませんが、容赦無く次にかけられた言葉は

「じゃ、歩いてみましょうか」

またクラクラ。

それでも少し休憩して再度トライすると点滴台に捕まりながらなんとか歩ける。

時間を置いて今度はトイレまで歩行訓練。

しかし不思議なもので回を重ねるうちにだんだんと楽に歩くことができるようになってきます。

じゃあ、尿管に挿しているチューブ取りましょうってことで抜いてもらうと、

「息を吐いているときに抜きますからね」の合図のあと

「はい、吸って~、はい、吐いて~」のときに、

お○ん○んの中に痛さとは違う何か熱いものを抜かれるような感じがして、思わず「あぁ〜」

もう、これは何度か経験があり知っていますが、拷問以外の何物でもありません。

尿の管を抜くと少し寝返りがうてるのでベットで寝ていても少しは楽になりました。

最後点滴も抜いて一人で歩行ができるようになるまで数時間。いや〜人間の体ってすごいです。しかし明日の駅までの移動は流石に無理だぞ!と言うことで、親に相談して病院まで迎えに来てもらうようにしました。

食事はというと、昼と夕方の食事は五分粥でしたが食欲がなく昼3分。夕方は5分ほど。食えるわけがありません。食欲旺盛な私ですが流石に残してしまいました。

術後2日目

昨日あれだけきつかったのに一晩経つと随分とマシになりました。人間の体恐るべし。

しかし切開したお腹が痛く、痰を出すのも咳をするのも笑うのも全て痛い。これには参りました。

朝ごはんは全粥で7分程完食し、脈と体温を測られ、今日の退院までの簡単なスケジュールを確認します。

投薬に関する薬剤師さんの説明があり、基本カロナールという鎮痛剤を3錠、朝・昼・夕の食後と就寝前に飲むということでした。

その後事務の方から会計に関する説明を受け、着替え、身支度をして最後看護師さんの忘れ物チェックを終了した後退出です。

めっちゃはや!

親に会い手続きを済ませ病院をあとにしました。

自宅についてその日は大人しくして食事後就寝。

疲れました。

術後3日目

やっとシャワー解禁です。

傷口を恐る恐る見てみると腎臓を抜き出した傷口が約15センチほど。そりゃあ痛いはずだわ!
なんでも私の腎臓立派すぎて予定していたオペの時間より2時間もオーバーしたのだとか。

こんなに開腹しているので今回は無理せず1週間は大人しくすることを心がけていました。

しかしとにかくお腹が痛い。特にくしゃみしたくなった時は恐怖です。

咳も小刻みに痛いので普段の健康のありがたみを感じる事になりました。

食欲はほぼ戻り旺盛です。しかししばらく運動できないため食事の量に気をつけなければなりません。

これ以後は日にち薬でだんだん良くなっていきました。親にもらった丈夫な体に感謝です。

ドナーとレシピエントの心の問題

検査を受けドナーとして適合したのは良かったのですが、健康な私の体から腎臓をもらう奥さんの気持ちを考えると、すべてが良かったというわけではありません。逆の立場に立って考えると分かることです。

最初、腎移植の話を九大病院に聞きに行ったときから、奥さんは前向きではありませんでした。

移植が成功すれば透析から開放され、これまでガマンしてきた水分を我慢せずに飲むことができます。またPDでお腹から出ているチューブが無くなるため、大好きなお風呂に自由に入れるようになるし、腹膜炎の恐怖から開放されます。

全てが健康だった頃と同じには戻らないけれど、PDをやっていたときよりも、自由に暮らせるようになるのは間違いないのですが、その自由は僕の犠牲の上にあることが彼女にとって辛いことは理解できました。

でも、僕も彼女も互いに幸せに暮らすことを望んでいるのは間違いのないことなので、これからも夫婦で話をしながら向き合って、理解していこうと思っています。

困ったときは誰かに助けてもらってもいい

腹膜透析を経て腎移植までの生活は、大変なことだらけで、その都度自分を責めたり、へこんだりすることも多々ありました。

しかし現実を受け入れ、できることをやっていくに連れて、前向きに気持ちを持つ事の大切さや、周りへの感謝を忘れないようになりました。今では腹膜透析時代から比べると驚くほど元気に暮らしています。そんな経験が誰かの役に立つと嬉しいです。

それともう一つ手術が決まってから、友人や知人たちに手術のことを隠さずに話すように心がけてきました。急に話された人にとっては迷惑だったかも知れませんが、自分たちだけで背負い込むのは、やめようと二人で話して決めた結果のことなので、そういうスタンスを貫きました。

少し怖かったけれど、
そうしてみて感じたのは、
人は一人で生きているのではないというあたり前のことでした。

自分が困ったら誰かに助けてもらってもいいし、自分たちが出来ることがあれば、困っている人を助ければいいのだ!そう素直に思えるようになりました。
私達もこの手術を乗り越えたらこのご恩をつないでいきたいと思っています。

みんないつもありがとう!

これからもよろしくお願いします。

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